『ド・レミの子守歌』

永六輔の著書はその昔に数冊読んだきりといった程度で、熱心なファンであったとはとてもいえないのだが、僕はラジオが好きなものでその声にはよくなじんでいたし、ここ数年の体調を考えると覚悟はできていたとはいえ、やはり訃報を聞くと、その不在を埋めることなどできないのだという存在の巨大さを改めて感じている。

追悼云々というものを書くほどの知識はないのでその代わりといってはなんだが、ちょうど永も登場する平野レミの『ド・レミの子守歌』を読んでその感想を書きかけていたものでそちらを。


平野レミ著 『ド・レミの子守歌』





1970年代半ばから後半にかけて雑誌、新聞に連載された平野レミの妊娠、出産、育児エッセイ。文庫化にあたって本書でその誕生から成長過程までが詳述されている長男の和田唱のエッセイも加えられている。

後半は新聞の連載ということで担当者が配慮したのか、ほのぼの子育てエッセイといった感じになっている。

唱は「おいしいおいしい」をするようになったのだが、ほっぺを手でたたくはずが自分の頭をぽんぽんとやるようになり、周りに誰もいない時に一人でクッキーなど食べていても頭をぽんぽんやっているのを陰から見てしまったというのはなんとも可愛らしいエピソードである。またレミが唱と散歩をしていて、息子を走らせようとする時に「逃げろ逃げろ」と言っていたために、「行く」や移動することを「逃げる」というのだと思いこんでしまい、おもちゃを買おうとしたら、お金を払う前にそれを手にとったままの唱が「さあにげよう」と言い初めて決まりが悪かったとりといったあたりも微笑ましい。


しかし前半部分は平野レミはやはり平野レミだったという感じで、よくいえば天真爛漫、しかし一歩間違えるとデリカシーゼロの不穏なものともなりかねない。

例えばほぼ同じ時期に妊娠した友人が早産で、未熟児だった子どもが生まれて間もなく亡くなってしまいレミも不安にかられることが綴られているが、その不安はわかるものの、ほぼリアルタイムで連載しているわけで、その友人や家族がこれを目にしたらどう思うだろうかというような抑制はほとんどきかせていないように見えてしまう。その他にも家族や友人のかなりセンシティブな体験もあけっぴろげに書いているし、PC的配慮も皆無という感じで、悪気はないことはわかるしその気持ちは多くの人が抱くものでもあるのだろうが、活字にするのだからもう少しどうにかならなかったものかと、かなりひやひやするような箇所もある。もっともそういうのが気になる人だったらレミと親しくはなってはいないのかもしれないが。

レギュラーで出演していたラジオの生放送では、「放送コードにひっかかるようなことも言っちゃって、ディレクターはハラハラしていたらしいけど、私はコードのことなんか考えもしなかった」とあるが、これは久米宏とやっていた番組。「一生結婚できないタチだと思っていた」レミの前に「今の夫が現れて、インスピレーションというのでしょうか、知り合って一週間で、ほいと結婚してしまった」とある。主不在中の永六輔のラジオにレミと久米が出ていたのを聞いたのだが、それによると和田誠はこの番組を聞いて紹介してくれと頼んできたそうだ。

その昔、僕は平野レミの夫が和田誠だと初めて知った時はまさに仰天してしまったものだが(夫婦という以前に二人が一緒にいる姿すら想像できなかった)、和田がラジオの生放送で「放送コードにひっかかるようなこと」を口にしちゃう人に惚れてしまう人だということは、このエッセイを読むとなんとなくわかる。

なお、レミは「パンが大好きで、毎日パン食でもかまわないのに、夫はパンのことを代用食と呼んで、パンを食うと胸につかえるといってけぎらいするのだ」とある。これは戦争中に米以外は代用食といっていたことからくるもので、「混ぜご飯と白いご飯とどっちがいい?」と聞くと絶対に白いご飯と答えるのも、「戦争のなごり」であるようだ。「夫も戦争の落とし子の一人なのだ」とあるように、このあたりの微妙な年齢差による戦争の傷跡などでも、その体験は大分異なるものなのだろう。


出産予定日十二月十五日であることを知った永六輔が、「三億円事件の時効の日に合わせれば? そうすれば世の中の人が一生忘れないから」と言う。レミは「私もすぐにその気になっちゃって、じゃあ下剤を飲んで十二月十日にしちゃおうかな、なんて思ったり」する(この直前にレミは便秘になって下剤を飲んでも便がでないので頭にきて容量の倍の下剤を飲んで出血してしまい、医師からそんなことしたら「陣痛が来ますよ」とたしなめられている)。すると和田はその日だったら子どもを「三億」と名づけようと言い出す。「ミオク」と読ませれば男の子でも女の子でもかわいいじゃないか、とするのだが、「デノミになったらバカにされちゃうな」と、とりやめた。和田は坂本九に子どもが生まれた時も「つむぎ」という名前を勧めている。坂本の本名は大島なので、「大島紬」となる。もちろん冗談ではあるのだが……と言いたいのだが、本当にこの日に生まれていたら勢いで「ミオク」と名づけかねないような気もしなくはない。

レミの母親は、自分が子どものころの思い出としてこんな話をきかせたことがあったそうだ。いっしょに遊んでいた女の子が「まん子」という名前で、夕方になるとその子のお母さんが「まん子ー、まん子ー」と呼びに来るもので、近所の人はかわいそうだと言っていたのだという。
女性器の名称というのは地域によって異なるし、昔は地域差というのが大きかったために無知から付けてしまったとも考えられるが、母は娘夫婦に、面白がって孫にあまりエキセントリックな名前をつけるのはよしとくれよ、ということを遠回しに言いたかったのではないかとも思えてくる。

すでに何人か有名人の名前を書いたが、夫婦そろって交友範囲が広いもので有名人が何人も登場する。中山千夏、赤塚不二夫から貰った猫(この猫があまりに可愛いもので、レミは出産前に猫と赤ちゃんのどっちの方が可愛いのだろう、と思ってしまう)、立木義浩、横尾忠則、黒柳徹子、庄司薫・中村紘子夫妻、白石冬美といった人びとが登場する。唱の出産祝いとして永六輔は自ら作詞し、八木正生作曲、デューク・エイセスが歌うオリジナルのカセットテープまで送ったそうだ。
こういう環境の家庭に生まれるというのは、それはそれでさぞ大変なことだろう。

もちろんレミの父、平野威馬雄も孫を溺愛する祖父として描かれる。こちらに書いたように威馬雄もなんというか、とにかくすごい人でもある。

威馬雄は「唱を見ないと死ぬ。あした、必ず唱を見せにきてくれ。そうでないと死ぬ。レミ先生」という手紙を送るほど、この孫を可愛がる。いたずら盛りになって悪いことをしても、かわいいかわいいと言いつづける。唱が調子に乗ってツバをひっかけると、「ああかわいい」と言ってひっかけられたツバをなめてしまうほどだ。

唱が「つけあがり方が最高」になると、わざわざ遠くから訪ねてきた祖父に「じーじ帰れ」と言い放ち、威馬雄が座ろうとすると「ここは唱ちゃんのところ!」「そこはかーかんのところ!」とイスにも座らせず、トイレに行こうとすると「入っちゃだめ!」となる。威馬雄は「恋人にふられたみたいにしょんぼり」として、「無邪気な子どもがあんなにオレのことを嫌うはずがない。オレに悪魔がいるのか、それともあの子に悪魔がついたのか」と本気で悩んでしまう(なお原因は唱のストレスだった模様)。

和田がおむつなどを換えるようになると周囲から「信じられない」、「イメージ狂っちゃった」とも言われたそうだ。その夫はお風呂係りで、これがうまかったらしく赤ちゃんだった唱は泣いたことがなかった。ある日風呂場から「おーい、洗面器」という声がしたので行ってみると、「湯船がうんちのまっ黄黄でかき玉状態。夫があわててかき玉をすくい出そうとした」。するとレミは「そのかき玉、ぜーんぶ、私のおっぱいでできてるのよ。なんにも汚くないでしょ」と怒ると、「夫は捨てるのをやめて、かき玉の中で静かに赤ちゃんと首までつかっていた」。

自分の子どもの排泄物の処理は苦にならないというような話も聞くし、感動的といえばそうでもあるのだが、ほのぼの子育てエッセイ風のところはそのままドラマ化でもできそうではあるが、祖父のエピソードといい全てを忠実に映像化したらかなりカオスなことになりそうでもある。

毎日『徹子の部屋』を見ていたことから唱が徹子の顔を覚えて、雑誌などで徹子の写真を見ると「レロレロ」と言うようになり、ついに本人が家にやって来るとニヤっと笑い、本箱の徹子が載っている雑誌を指差して「レロレロ」と言った。「ちょっと気味が悪い」のは、唱はこれが徹子からもらった服だというのを知らないはずなのに、その服を見ると「レロレロ」と言ったことだ。「どうしてわかるの?」と聞いても「レロレロ」と答えるだけだった。横尾忠則とのオカルトチックなエピソードもあるが、今となっては「花京院かよ!」と突っ込みを入れたくなる若干不穏な響きを持つ「レロレロ」エピソードも、カオスな挿話として使えそうである。


それだけに、レミが多くの母親と共通するであろう悩みを抱くようになるのは示唆的でもある。
和田は子どもは縛り付けずに自由奔放に育てたいようだ。「おまわりさんが来ますよ」というようなよくある子どもを怖がらせておとなしくさせるための言葉も、「恐怖統治はやめろ」と否定する。子どもが間違って言葉を使ってもかわいいから直さなくてもいいじゃないかとなる。唱が行きたくないのなら幼稚園に行かせなくてもいいだろと言うのだが、レミの方は教育や、おむつがなかなかとれないことや、息子が人見知り気味なことなどあれこれ不安にかられ続ける。

さらにこうも書いている。「子どもはかわいいけれど、朝から晩まで一年中子どもに合わせていると、これでいいのかしらという思いが、ふと頭をかすめることがある。子育てしか知らないで年をとっちゃうような気がしたり、もう少し社会と交わりを持ちたいと思ったりする」。

これは多くの母親が当然持つ気持ちであろうが、とりわけかつてはこういう気持ちを表に出すことすらはばかられるような風潮であっただろうし、今でも根強く残っていることだろう。レミの場合は夫がベビーシッターを頼むことをすすめるなど、外へ出ることに理解がある方だし、友人知人もたくさんいて仕事もあるのだが、それでもこのような気持ちになってくるということは、家族の理解もなく社会とのつながりも断たれてしまった母親ならさらに精神的に追い詰められるであろうことは想像に難くない。


もっとも、第二子の出産を直前に控えていた時に届いたばかりの芝刈り機を使ってみたらこれが面白く、妊婦のやるようなことではないにもかかわらず手に豆ができるほど夢中になって芝刈り機を動かし、夫から「こんなバカと結婚したとは思わなかった」とまで言われてしまうエピソードを読むと、やはり「普通」の母親ではないな、とも思わせてもくれるのであった。

すでに書いたようにちょっとぎょっとするような表現などもあるので、妊娠中の方が読む場合には注意が必要かもしれないが、平野レミってどんなお母さんだったのかな、なんてことに興味がある人は期待を裏切らないであろうし、またどれだけ恵まれた環境にあろうとも母親であるということによって生じる困難について考えさせてくれる一冊でもある。




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佐藤太郎(仮)

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