『市民を雇わない国家  日本が公務員の少ない道へと至った道』

前田健太郎著 『市民を雇わない国家  日本が公務員の少ない道へと至った道』



「日本の公務員が諸外国よりも少ない理由を研究していることを筆者が打ち明けるたびに、研究者と実務家とを問わず、「そんなはずはない」という反応が口々に返ってきた」(「あとがき」)。

タイトルにあるように、本書はこの「直感」に反する事実がなぜ生じたのかが論じられている。

まず第一に、本当に日本の公務員は少ないのだろうか。OECDが2005年に行った調査によると、「国営企業の職員を除いた一般政府職員が日本の労働力人工に占める割合は約5%」であり、「この数字はOECD加盟国の平均の3分の1程度に過ぎず、その大半を占める欧米先進国はもちろん、後発工業国中で最も公務員の少ない韓国に比べても低い水準にある」。
「すなわち、国際的に見れば、日本は市民を雇わない国家であるという点において際立った特徴を持っているのである」。

このような事態が日本で起こったのはなぜなのだろうか。公務員数抑制のメカニズムや時期においても、日本では独特の現象が起きていた。
結論からいえば、1969年に成立した「総定員法」をはじめとする、60年代から中央省庁で起きた「行政改革」の影響によるもので、この結果「戦後の高度成長期に公務員数が増加しなかった」ことが一番大きな要因であるようだ。

ではなぜこの時期に行政改革が行われ、総定員法が成立したのか。
これには人事院制度が絡んでいた。元々はGHQにより、労働争議を封じ込め公務員の給与水準を低く抑えるための労働組合対策として人事院制度が導入された。組合側が反発したのはむろんのこと、政府側にもかならずしも評判のいい制度ではなかったが、政府与党にとっては公務員の労働基本権を制約するという点では都合のいい制度でもあった。しかし当初の目論見とは違って、民間部門の給与が上昇するのに合わせて公務員の給与も上昇することになる。固定相場制の時代でもあり、国際収支の悪化は深刻な問題であったが、人事院制度によって公務員の給与を抑制することで財政状況を好転させるという政策をとることはできなかった。そこで給与を抑制するのではなく人数を減らすことによって人件費の総額を抑制するという政策がとられたのであった。

日本はこのために諸外国に先んじて公務員数の抑制が60年代に始まり、今日に至るまで公務員数は極度に抑えられたままなのである。


すでに書いたように、日本の公務員数が少ないというのは多くの人にとって「直感」に反することである。それゆえにその理由については様々な仮説が唱えられた。その中に一つが、日本の公務員は一人あたりの生産性が高いので数を少なく抑えることができるというものだ。しかしこれは倒錯した論理で、生産性が高い結果人数が抑えられたのではなく、人数が少ないために生産性を上げねばならないということなのであった。このような状態が長く続けられるはずもなく、公務員の少なさによる弊害が指摘されるようになってきたものの、その実態と一般的な認識との間には大きな隔たりがある。そして公務員の人数を抑えているために、非正規職員などへ依存しなければ業務がこなせなくなってしまっている。人件費を抑制するために正社員の採用を抑制するという、現在の日本の民間企業の問題の先鞭をつけるようなことが公務員においてすでに行われており、「官製ワーキングプア」の問題も昨日今日始まったものではない。


また著者は面白い指摘をしている。それは公務員数が抑制されていることが女性の社会進出を妨げた可能性があるのではないか、というものだ。

公共部門における雇用は「特に男女の経済的な不平等を是正する役割を果たす」。
「国家が市民を公務員として雇用し、身分保障を与えることは、家庭内での男性に対する従属的関係によって出産や育児による労働市場からの退出を強いられる女性に持続的な雇用の機会を与える。それが仕事と家庭の両立を通じて女性の経済的な地位を強化すれば、家庭内でのパートナー間の力関係もより平等になる」という研究もあるそうだ。「北欧諸国が公共部門における雇用を通じて女性の社会進出を支えたのに対し、日本では公共事業にせよ農業部門の保護にせよ、政府による雇用創出の手段として広く用いられてきた政策の受益者は男性に大きく偏っている」。

「公務員は女性の社会進出に親和的な雇用形態である。従って、女性の社会進出を望む国民の多い国では、国民が多くの公務員を雇用することを望むため、公務員が多いという仮説が成り立つ」かもしれない。著者は「突拍子もない議論に聞こえるかもしれないが」としつつ、ある調査結果を引用している。これは「男性を女性に優先して雇用すべきだという意見への賛否を問う質問項目」があるもので、「同意しない」という回答が多ければ男女の平等を重視し、「同意する」という回答が多ければ男性を優先するということになる。すると日本は、何とというべきか予想通りとすべきか、「同意する」、つまり男性を優先して雇用すべきだという回答の割合が極めて高いのである。北欧諸国は総じて「同意しない」という回答が多く、日本とほぼ重なっているのは公務員の少なさで肩を並べる韓国である。

しかしその韓国よりも日本の方が「同意する」という率が高いが、注によると韓国では女性は男女平等志向であるのに対し、日本では男女の回答の平均値がほぼ同じになっているのだという。つまり日本では女性においてすら男女平等志向が著しく低いうことなのである。著者は慎重にも単純に因果関係があると結論付けるべきではないと断っているが、なかなか興味深い調査結果である。

本書は博士論文が元になっているために慎重な言い回しが目だっており、早くキャッチーな結論に飛びつきたい読者には少々もどかしく感じられるところもあるかもしれない。例えば日本では戦後も一貫して左派が弱く、政権の座につくことがほぼなかったが、このことと公務員数の少なさとの因果関係は多くの人が想像するところであろうが、これについても分析を行いつつ慎重に扱っている。

またアカデミックな論文であること以外にも著者が慎重になっている理由の一つとして僕が勝手に推測するのは、日本での公務員をめぐる議論には恣意的な数字を扱う例が目立つということからきているのかもしれない。例えば公務員の給与水準の問題である。平均給与を元に「公務員の給料が高すぎる!」という批判が起こると、行政側は好き勝手に給与削減などできないので、数を抑えることを選ぶ。すると新規採用が抑制されるので公務員全体の平均給与はかえって上ることになる。すると「公務員ばかり優遇されている!」という批判がまた起こるというスパイラルが起こってしまう。そしてこのしわ寄せは「物件費」として処理される非正規職員の増加と低賃金化という形を取り、その実態は統計調査には現れないのである。

数字といえばこんな部分がある。1951年に読売新聞がある記事の中で、「国民8人について1人の役人を養っているといわれる」として公務員の数が多すぎることを批判している。この数字が事実であれば、当時日本には「1000万人を超える公務員がいたことになる」。しかし『日本統計年鑑』で調べると、「国家公務員と地方公務員を合わせた人数は290万人程度にすぎない」。
「8人に1人」、あるいは「6人に1人」、「7人に1人」といった数字は1947年頃から語られ始めた。著者がこの元となったものは何であるのかを調べると、47年に片山哲内閣(というのは皮肉な話であるが)が公務員の人件費削減の方針を固めた時に、「公務員の人数に家族を加えて人為的に膨らませたものだった」。これがさらに尾ひれがつき、「いつの間にか公務員の人数そのものとして噂話のように広まったということなのであろう」。読売の記事が伝聞を元にしているように、恣意的な印象操作という以前の問題なのであるが、公務員問題はこういった形で語られがちである。

このように本来ならば行政側の嘘をチェックしなければならないメディアまでもが、むしろこれを拡大して拡散させていたのであった。こうして「公式統計とかけ離れた数字」が一人歩きしたまま現在にまで至っている。

これは「公務員の数が多すぎる」という思い込みがあるだけでなく、「公務員の数が多すぎる」という批判が読者等に受けるということも作用しているのかもしれないし、そうであれば近年繰り返される思い込みに基づく事実に依らない公務員バッシングの根というのは相当に深く日本社会に広がっているということになるだろう。


ここで思い出したいのが、トマ・ピケティが来日した際に、公務員の給与を引き上げることもデフレ脱却に有効な政策であるという趣旨のことを述べていたことだ。「公務員の給料を上げろ」というとぎょっとする人もいるかもしれないが、公務員というのはもちろんキャリア官僚に代表される中央省庁の役人だけではない。それこそ低賃金の非正規職員を正職員化し、安定した職とまともな給料を得られるようにすることは倫理的な面のみならず、とりわけ地方にとっては、経済的にも好影響を与えるのは当然のことだろう。

すると逆に、デフレ脱却を掲げる安倍政権はなぜ「官製ワーキングプア」の撲滅などを掲げ、公務員を増やそうとしないのだろうかという疑問がわく。「アベノミクスの行き詰まり」が指摘されるが、公務員を増やすことは効果的なデフレ脱却のための政策であるはずだ。
世論に気配りをした結果なのだろうか。とりわけ小泉政権以降は自民党も公務員バッシングに加担してきたのだから今さら掌を返すことはできないということなのか。しかし安倍政権は安保法などに見られるように、必ずしも世論の動向ばかりを窺って政策を進めているわけではない。その気になれば世論など無視して強行することも厭わないのではないか。

人事院制度については政府与党(つまり自民党)も必ずしも肯定的であったわけではないが、公務員の労働基本権を回復させるくらいならこの制度を維持しておいたほうがマシだと考えていたことを思い出したい。安倍当人を含めて自民党右派の日教組等へのパラノイア的被害妄想などをふまえると、公務員を増やすことは自治労をはじめとする労組加入者を増やすことにもなり、潜在的な敵を増やすことに他ならないという警戒心がこの効果的な政策を思いとどまらせているのかもしれない。

また「リベラル派はもっと効果的な経済政策を打ち出さなくてはダメだ」という批判があるが、では安倍政権の支持率の高さは有権者が個別的な経済政策を合理的に判断しての結果なのだろうか。仮に野党側が多くの経済学者を納得させるような効果的な政策を打ち出したところで、それがたちどころに支持につながるとは思えない。日本に限ったことではないが、有権者というのはしばしば矛盾した、もっといえば不合理な政策に固執することがある。公務員問題はまさにそうで、「リベラル」を自称する人が官製ワーキングプアなどの惨状を批判しつつ同時に財政均衡を重視し緊縮政策を取るべきだという、矛盾した主張を唱えることすらあるのはその一例である。

野党側が有効な経済政策を打ち出せないのは有権者に背を向けているためではなく、むしろ(ある種の)有権者の声に率直に耳を傾けすぎているからなのかもしれない。世論調査を見れば緊縮策による財政再建を望む声は圧倒的だろう。想像してみてほしいが、「我々は財政を拡大し公務員を増やしてデフレ脱却を実現することで景気をよくします」と訴えたところで(実に合理的にして効果的な政策であると思うのだが)、野党が勝つことができただろうか。

公務員をめぐる日本の特異な環境を改善するためには、「リベラル」派の政治家はもちろんのこと、とりわけメディア関係者の解毒が果たされなくてはならないし、そうならない限り世論の動向が変化することはないだろう。また世論が変化すれば、当然政治の流れも変わることになる。本書はこのような解毒剤としても参照すべき一冊であろう。

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佐藤太郎(仮)

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