『反知性主義  アメリカが生んだ「熱病」の正体」』

森本あんり著 『反知性主義  アメリカが生んだ「熱病」の正体」』



近年日本でも「反知性主義」という言葉が飛び交うようになったが、この言葉の「名付け親」であるホフスタッター的文脈とは別のものとして広まっているのかもしれない。現在の日本では少なからぬ人が、「知性的なことに何でも反対する」という「反・知性」という意味でこの言葉を用いているようだ。しかし著者はアメリカにおける反知性主義は「社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だった」とする。

ホフスタッターの『反知性主義』は名著とされているが、邦訳の刊行まで40年の時を要したのはなぜだろうか。「理由の一端は、この本の内容が日本人には理解しにくいアメリカのキリスト教史を背景としているところにある」。つまりホフスタッター的文脈における「反知性主義」を理解するためには、アメリカ史、アメリカ社会史、そしてとりわけアメリカにおけるキリスト教史をふまえておかなくてはならない。著者の専門は神学であり、本書はその専門性を活かした反知性主義入門であり、アメリカキリスト教史ともなっている。アメリカ社会、その指導者や支持者のメンタリティーについて考えるうえでも大いに役立つだろう。


ハーバード大学の設立は1636年、これはプリマス入植から数えてまだ16年、マサチューセッツ入植からはわずか6年しか経っていない。当時植民地の人口はまだ1万人にも満たなかった。こんな時期に大学が設立されたのは奇妙なことのように思える。「新大陸」にやって来た人々が怖れたのは、現在いる牧師が死んだ後、その代わりを務めるのは誰かということだった。もう一度「旧世界」に戻り、神学を学んで「新大陸」に帰ってくるべきなのか。そのような危険を避けるためにも、牧師養成学校としての大学設立が急がれたのであった。

「大学史において明確に「プロテスタン的な大学」を作るという最初の実験でもあった」ように、ハーバード大学はヨーロッパとは異なるアメリカ独特の形式を取るようになる。ハーバードは「神学校」であるだけでなく、「今日のハーバードが体現しているような幅広い知を目指すリベラルアーツの大学としての半面ももっていた」。

17世紀の卒業生をみると牧師になったのは半分強で、政治行政職や医師となった者も多い。また長年に渡って学位は重視されなかった。1692年に当時の学長インクリース・マザーに神学博士号が授与されたがこれは歓迎されず、次に博士号が授与されたのは70年後のこと。試験を経て神学博士号が授与されるようになったのは1870年になってからであった。神学のみを学ぶのではなく幅広い教養こそが重視されたが、これはそのままアメリカにおける聖職者像を表してもいる。ハーバードが「堕落」したとして新たな大学が作られるが、「いずれの大学も、同じように牧師養成と一般教育という二つの目的を矛盾なく受け止めた」。


アメリカにおける聖職者の大卒率は極めて高く、またその職務を務めるにあたっては高度の知力が要求された。アメリカの牧師はカトリックの神父と違って儀式を滞りなく行えばそれでよしとなるのではなく、自分の言葉で説教をしなくてはならなず、毎週説教の言葉をひねり出さねばならないというのは大変なことでもある。牧師は一週間まるまるこの準備にあてなくてはならなかった。聖職者は教養溢れる名士として尊敬される一方で、礼拝は最低でも3時間は続き、牧師の祈りは1時間に及ぶこともあり、それは長ければ長いほど評価された。これはカトリックなどでは有り得ない現象であった。

このような習慣に息苦しさや堅苦しさを覚え、信仰とはこうであらねばならないのかと疑問を持つ人が出てくるようになるのは容易に想像できる。植民地の人口は増え続けるが、既存の聖職者たちは不安を抱えた新移民に対応することはできなかった。

ホフスタッターは「教育ある牧師たちが完全に否定されるという最初の大事件は、一八世紀半ばの大覚醒の時期に起こった」としている。
「信仰復興」はジョナサン・エドワーズなどカリスマ的牧師の影響で瞬く間に広まったが、また印刷などのテクノロジーや社会の変化もこの追い風となった。さらに世俗的、実利主義のフランクリンがホイットフィールドを高く評価したように、ある種のアメリカ的精神とも共振することとなり、それは宗教とビジネスの結びつきという独特の現象に表れているだろう。

アメリカ独特の現象として「メガ・チャーチ」がある。スタジアムで数万人規模の礼拝が行われることまであるが、これもリバイバリズムと関連がある。既成教会の牧師は自分たちの教会をリバイバリストに貸すことを拒んだので、野外で日曜日以外に行うしかなかった。また数千人もの人が集まるため、身振り手ぶりを加えた、わかりやすい説教を行った。これがまた信者を惹きつけることとなる。インテリの牧師による数時間に渡る教理の陳述と比べると、多くの人にとってどちらが魅力的に映るかは言うまでも無いだろう。

「信仰に基づいて権力に昂然と挑戦することは、反知性主義のもっとも明快な表現である」とあるように、アメリカにおける反知性主義とは反権威主義のことでもある。本書では『ペーパー・ムーン』などの映画も参照されているが、学歴も何もない人物が口八丁手八丁でのし上がり、権力や権威をコケにしつつ、同時に弱き者には優しくもあるというキャラクターは、たとえそれが詐欺師や犯罪者であろうとも肯定的な印を帯びることになる。

権威に屈しない懐疑精神を持つというのは肯定的な面であるが、もちろんそこには危うさも孕まれている。「下層階級の人びとの好奇心を刺激し、享楽の欲望を満たし、支持をとりつけるために低俗で野卑なものを提供すること」が求められ、それを利用する政治家が登場すれば、途端にきな臭いものとなる。その最悪の例が、アメリカ史における汚点としていいであろう赤狩りである。またホフスタッターの反知性主義の分析の出発点が、1952年の大統領選挙において知的に洗練されたスティーブンソンではなく知的には凡庸であったアイゼンハウアーの勝利に終わったことであったように、アメリカ史においてこの肯定的な面と否定的な面とは繰り返し登場する。


その代表的な例がアダムズとジャクソンのライバル関係だろう。
アダムズは第二代大統領を父に持つ名家出身で、ヨーロッパ留学経験を持ち、ハーバードの教授を務めたことがあるほどのインテリで、行政経験も充分に積んでいた。しかしワシントンの右腕だったハミルトンが「国の安定と発展は、国の利害が社会の上層のいる人の利害と一致している時にのみ可能である」と語ったように、建国時には少数のエリートや富裕層による貴族政治的体制が自明視されていたのであったが、これは揺らいできてもいた。現職大統領としてアダムズが進めようとした中央集権体制やアメリカの学芸を発展させようとする国立大学や天文台の創設は否定的に受け止められた。

ジャクソンはといえば幼少期から腕白ぶりを発揮し、聖書の他には本を読むことも稀で、「あの悪党が大統領になれるなら、誰でもなれる」と言われるほど奔放に育ったが、叩き上げの法律家であり、戦争の英雄であり、また投機などによって資産も築いた。

最初の対決はアダムズの勝利であったが、これは過半数の選挙人を獲得した候補がいなかったためにクレイがアダムズ支持に回ったおかげだった。アダムズはこの見返りとしてクレイを国務長官に起用し、ジャクソンはこれを「不正な取引」だと攻撃し続ける。二度目の対決ではアダムズがジャクソンの無教養をなじり、ジャクソンがアダムズの特権階級ぶりを暴露するというネガティブ・キャンペーンの応酬のあげく、ジャクソンが圧勝する。

ジャクソンは特権階級の既得権益に挑み、「一般市民がまじめに働いて、その勤勉な努力が報われる社会を建設」しようとした。またアメリカ独特の、政権交代が起こるたびに公務員も入れ代わるというシステムを作ったのもジャクソンであった。「官職が特定の人びとに固定的に割り振られ続けることは、権力の独占と腐敗を招く。機会均等という民主的なプラスは、入れ替えによる未熟練の公務員というマイナスよりも大きい、という判断である」。このあたりはまさに反権威主義としての反知性主義の面目躍如だろう。もちろん支援者に見返りを与えるという、「実利」に基づくものでもあるのだが。

しかし、ジャクソンの「アメリカ人民」には、「黒人や先住民や女性は含まれていない」。ジャクソンがとりわけ先住民に対し過酷な政策を取ったことは悪名高い。一方のアダムズは大統領退任後も「リベラルなインテリという自分の立場を貫き通した」。スピルバーグが『アミスタッド』で描いたように、奴隷制反対にコミットしたのである。

アダムズ対ジャクソンは「知識人の「タテマエ」と一般大衆の「ホンネ」のぶつかり合」いであった。


反知性主義はどちらの方向にも振れる。
特権階級や権力を否定し、平等を希求するという形を取ることもある。第二次信仰復興運動の「もっとも傑出したリーダー」であるチャールズ・フィニーは、「神学も法律もほとんど独学で学んだ」。彼はヘブライ語やギリシヤ語を学ぶこともなかった。フィニーは「現実的」で「効率的」で、教会の保守派から猛反発を受ける一方で、多くのリバイバリストを育てた「プロデューサー」ともなった。

因習にとらわれないフィニーが教授、学長を務めたオベリン大学は、「アメリカで最初に男女共学を掲げて設立された」。「オベリン大学の卒業生は、参政権など女性の権利を拡大するための活動や奴隷制廃止運動で、指導的な役割を果たしてゆくことになる」。
フィニーはその実践志向により、黒人や女性たちの社会進出を支援し、障がい者扶助などの社会改革にも道を開いた。

しかしまた、他の国の人間からすると理解し難いほど「中央政府」へ抱く不信感もまた反知性主義によるものだ。一部のエリートによる専横を防ぐという意味で「小さな政府」を志向するが、これは社会的、経済的に弱い立場にある人たちを切り捨てることにもなる。また「現実」的であることは、単なる現状追認に堕することにもなりかねない。金持ちが金持ちなのはなぜか? それは彼らが金持ちにふさわしい人間であるからだ、という発想にもつながる。19世紀に、巨大な富を築いた実業家がリバイバリストと結びつくこともよく見られた。またすでにふれたように、リバイバリズムはその発端からビジネス的手法とも深く結びついていたのであった。


さて、では日本の状況と照らし合わせるとどうであろうか。
本書ではエマソンやソローも反知性主義の系譜にあげられているように、反知性主義とは反権力であり反権威主義であって、知性の欠如ではない。現在日本でいわれるところの「反知性主義」とは「非知性的振る舞い」とした方がより的確だろうし、このような人びとはむしろ権威主義的傾向にあるのではないだろうか。

では日本において反知性主義的なものが全く見受けられないかというと、主として否定的な意味でのそれは見られるとすることもできるのかもしれない。著者が「あとがき」において、「はじめは反権力を掲げて大衆の支持を得ながら、結局は地方自治体の首長として自分自身の権力の虜になってしまった人もいる」と、名前を出さずにあてこすっているのは橋下徹のことだろう。

橋下は最初に府知事選に出る際から自民党、公明党、及び関西財界の支援を受けているのだから彼を「反権力」と認識することはそもそも誤りなのであるが、彼は公務員攻撃などによって「反権力」、「反権威」的イメージをふりまき、橋下支持者の少なからぬ人は主観的には反権力のつもりだったのだろう。橋下は公務員という「特権階級」に挑むという演出を行い、彼を批判するのは「現場」を知らない浮世離れした「インテリ」なのだと主張した。このあたりはまさにアメリカにおける反知性主義とも重なるもので、橋下、並びに彼の支持者を反知性主義だと批判するのはながち的外れではないのかもしれない。

だいたいアメリカにおいても、ブッシュ対ゴアはまさしく反知性主義の勝利であったとすることができるだろう。ブッシュという人物は特権階級出身にして親のコネを疑われつつも名門大学に入った人物であり、反知性主義が反権力だとすれば否定すべき人物であるはずだ。要は同じ二世政治家といっても、「リベラルなインテリ」は気に食わないが(ゴアをリベラルとすべきかは疑問ではあるがそれはおいといて)、親しみやすく思えるボーン・アゲインなら受け容れられるということであり、このような恣意性というのも反知性主義の否定的な一面でもあるだろう。


反知性主義の否定的な面に悪しきポピュリズムがあることは本書でも繰り返し触れられているように、著者はその危うさを認め、留保しつつも、それでも反知性主義に対して比較的好意的だとしていいだろうが、ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』と比べるといささか楽観的でありすぎるようにも思えてしまったのだが、『アメリカの反知性主義』は大分前に目を通したきりなもので、あらかたその内容は忘れてしまっているので読み返してみないと。

ということで、ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』を読み返しての感想はこちら

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