『きみを夢みて』

スティーヴ・エリクソン著 『きみを夢みて』



アメリカ合衆国の作家は「アメリカ」というものを問い直す傾向が、他の国や地域に生まれた作家が自身の出身国に対してそうであるよりも強く出ることが多い。スティーヴ・エリクソンはその代表格ともいえる作家であり、本作もまさに「アメリカ」を問い直す作品となっている。

「この国は、よろめきながら物事を行う国だ。政治的な急進主義の中で生を受けたものの、それからの数年、数十年、いや数百年は、過激なことをするのをしぶり、あげくの果てに、これ以上はない過激なことをしでかすのだ。とはいえ、同様に、この国は――その中にある遺伝子が組み込まれているせいか――想像できないことを想像できるし、ひとたび想像できれば、それを成し遂げることもできるのだ」。


「だが、数年後の十一月初旬のこと」と、いきなり接続詞から書き始められるのは、我々が「アメリカ」というものをすでに夢見ていて、それでいてこの夢はまた終わることがないことを暗示しているかのようだ。エリクソンが見据えるアメリカは現実のアメリカ合衆国であり、そしてさらには「アメリカ」という概念を幻視する。

「十一月初旬」、それはあの男が大統領に当選した瞬間である。白人作家であるザンは、エチオピアの孤児院から、当選した男と同じ黒い肌を持つ少女を養子に迎えていた。白人の妻との間に生まれた息子は選挙の結果に飛び上がって歓喜する。そして茫然としている父親の姿にとまどい、「うれしくないの?」と問いかける。ザンはテレビで、崩れ落ちて顔を両手で覆っている若い黒人女性を見て、「中年の白人男性であるオレには、顔を手で覆って喜びを表す権利があるのだろうか」と自らに問いかける。「ザンは、ない、と結論する」。

ザンは40年前のロバート・ケネディの大統領選挙への挑戦と、バラク・オバマの当選とを重ね合わせる。ロバート・ケネディは、もともとは決してリベラルであったのではない。しかしアメリカ合衆国における、とりわけ人種問題の不正義を目の当たりにして政治姿勢を変化させていく。この結果、黒人たちからも強い期待を抱かれる政治家となる。そしてこれはザンの姿でもあった。保守的な家庭に生まれた右翼少年は、アメリカが看過出来ない問題を抱えていることを受けいれるようになっていく。

それにしても、なんという変化だろうか。40年前は黒人たちは白い肌の男に期待するより他なかった。しかし今や、黒い肌をした男が大統領となるのだ。しかしこの国は「よろめき」続ける。すぐにバックラッシュがやってくる。彼に期待を裏切られたと感じる人々もいれば、肌の黒い大統領になど耐えられないと、陰謀論に逃げ込む人もでてくる。

バラク・オバマを「黒人」としてしまうのは奇妙な、もっといえば異様なことだろう。彼の父は黒人であり、母親は白人だ。なぜ黒人と白人の間に生まれた子どもが、「黒人」となるのだろうか。オバマはアメリカ合衆国の奴隷の子孫ではない。そして彼は、ある人にとっては「黒過ぎる」し、またある人にとっては「十分に黒くない」。自らのアイデンティティの形成に苦しんだ。こういう人物は、作家にこそふさわしいのであって政治家向きではないと、ザンは考える。

本書を貫く大きなテーマは「mixture」であろう。人種の「混合」であり、文化の「混合」、これらを否定的にとらえる人もいれば、大いなる可能性を秘めた肯定的なものと受け取る人もいる。

ザンは小説家であり、DJのセミプロでもある。文学の、そして音楽のmixについての作品ともなっている。大きな役割を果たすのがデヴィッド・ボウイだ〔本作は2012年発表なので、もちろんこんなに早くボウイが亡くなるということはエリクソンは想像もしていなかっただろうが)。グラム・ロック時代にはそのファッションなどは日本からの影響も受け、70年代中盤からは今度はブラック・ミュージックからの影響を全面に出す作品を作る。ロックは、そしてジャズも、ヒップホップも、様々なジャンルの音楽を貪欲に吸収することでポピュラリティーを獲得していった。しかしこのような「混合」はまた、不安ももたらす。もう「新しい」、「オリジナル」なものを生み出すことなどできないのではないか。あるのはただ模倣のみなのではないか。しかしそれは本当に嘆くべきことなのだろうか。ザンの小説の登場人物は、未発表だったジョイスの『ユリシーズ』の剽窃を行おうとする。これ以上ないほどの「オリジナル」であるように思える『ユリシーズ』であるが、これはタイトルからも明らかなように、『オデュッセイア』を換骨奪胎した作品だ。

原題のThese Dreams of Youはヴァン・モリソンの曲のタイトルから取られている。北アイルランド出身のヴァン・モリソンが、「レイ・チャールズが撃たれた。でも、立ち上がりベストを尽くした」と幻視した光景を唄っている。ボウイの「ヒーローズ」をはじめとする歌詞は繰り返し引用され、ベルリンも作品の舞台となる。「ニュージャージー出身の女性パンク詩人」とはパティ・スミスのことであろう。ボウイが「ベルリン三部作」を作ったことや、エチオピア出身の養女シヴァは自身が「ラジオ」となるが、パティに「ラジオ・エチオピア」(エチオピアも重要なファクターであり、イタリアによる侵略戦争で大きな被害を受けた国であるとともに、ラスタファリアンにとっては特別な国だ)というアルバム/曲があることなど、ロックについてある程度知識がないと細かい所は理解しにくいかもしれないが、全体のテーマがわからなくなるということはないだろう。

エリクソンらしい重層構造となっており、またザンの芸術家である妻が剽窃騒動に巻き込まれたことや、アフリカから養子を迎えたことなどはエリクソンの自伝的体験をふまえているという。このようにメタフィクション的な作品ともいえるだろう。またリベラルの戸惑いや、書けなくなった作家であるザンが経済的に行き詰まり、抵当に入っていた家を失うという経済的苦境に陥ることなどは白人中産階級の没落を描いたものともできるし、本作は現在進行形のアメリカ合衆国の姿でもある。

エリクソンは現実のアメリカ合衆国の近現代史を描き、そしてまた概念としての「アメリカ」を幻視する。本作は楽天的な、「アメリカ」の夢と可能性を讃えるだけの作品ではない。しかし同時にアメリカ合衆国への絶望を語った作品でもない。アメリカは「よろめく」。惑いながら、それでも前へと進んでいこうとするのは、様々な人、文化が入り混じり、それを受けいれてこそなのである。そこに希望を見出す人もいれば、反動化する人々もいる。このような可能性とバックラッシュとが極端な形で表れるのもまたアメリカ合衆国の姿であろう。それでも、「アメリカ」では、「 想像できないことを想像できるし、ひとたび想像できれば、それを成し遂げることもできるのだ」。










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