『踊る大地球』

山口昌男著 『踊る大地球』



山口昌男のフィールドワークの際のスケッチに畑中純、中川六平による山口へのインタビュー、杉浦日向子のコメントからなっている。

「ぼくは東大の駒場の時に二年間勉強しないで画廊ばっかり見て歩いていたことがある。日曜日になると、黒田頼綱(清輝の甥)という二期会の画家の家に行っては、裸婦のクロッキーデッサンを百枚くらい描いた時期があるんですよ。だから形を早く捉えて表現する技はあると思う」となかなかの自信を見せているが、確かに山口の絵というのは印象深く味わいのあるもので、「漫画的」ともいえるようなやわらかなタッチでありつつも正確さというのも兼ね備えた見事なものである。絵が苦手どころの話ではない人間からすると、こういうのをさらさらっと描けてしまうというのは本当にうらやましい。それこそ漫画家になっていてもその技術は注目されることになったのではないだろうか。


「石膏デッサンなんだけど、小学校から中学校にかけてね。ぼくの異母兄、彼は本格的に画家になろうとしていたんだが、残念ながら二二歳で亡くなったんだけど、そこに遊びにいくと、アグリッパーの像があって、「それでデッサンやれ」とね。「陰影づけはいやだな」とブツブツ言いながら二年ぐらいやっていたことがあるんです」なんてところを読むと、環境って反則だよな~なんてことを思ってしまったりもするが。


随所に山口節も楽しめるが、このあたりはその真骨頂だろう。

「その頃、ナイジェリアのクバダン大学がスタッフを募集していたので応募したら、これが入った。大学側は、ドクターコースを終えた奴が英語を話せないとは思ってもいなかったんだね(笑)。/ナイジェリアに行くと、学生はじめみんなビックリしたね。でも、こちらは慌てない。絵も描くし字も書く。三ヶ月でイギリス人が、ぼくの講義の様子を外で聞いていた。ぼくは、ナイジェリアのなまりがすごい英語を話していた。コミュニケーションが不可能なところは絵を描いて切り抜けるわけ。それで、現地のナイジェリアの人ともイギリスから来ている教授とも、両方の言葉に慣れ、わかるようになったね。/いつノイローゼになるかと思ったけど、二年たって、悠々と日本へ去っていっていたね」


またスペイン語を勉強するためにメキシコへ行ったのは、「こちらの方だと優位性を保ちながら、練習できるだろうと」というのには「――え! 山口さんにも、ヨーロッパに対して劣等感があるんですか信じられない」とあるが……

「劣等感があるわけ(笑)。実際はそれが幸いすることになるんだがね。オクタビオ・パスと非常に親しかったんですよ。/メキシコでは、絵を描くよりも、一ヵ月に一度、オクタビオ・パスの家に遊びに行っていた。オクタビオ・パスは行くと必ず、メキシコ市内にある画廊に連れていってくれたわけ。昼食を食べた後にね。彼は、ぼくに絵を見る修行の機会を与えてくれたんですよ。いろんな絵を前にして「これどう思う」とぼくに聞く。ぼくが感想をのべると、反応が返ってくる。そうした時間を持ったんですよ」と、このあたりもやはり山口である。


フローレス島の木彫りぼレリーフの模写について、キース・ヘリングの作品に似ているという指摘(確かに似ている)があるが、それについて山口はこう言っている。

「キース・ヘリングね。彼がニューヨークで落書きしはじめた頃に、ぼくはニューヨークにいたことがある。そのときに、地下鉄にへんな落書きがあってね。七〇年代だった。ぼくはヘリングの登場に立ち会っている。/フローレンス島もヘリングも、いずれも、単線だけでものを作りだしているね」

こんなことを言えてしまうのは山口昌男くらいのものであろう。


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Author:佐藤太郎(仮)
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