『異世界の書  幻想領国地誌集成』

ウンベルト・エーコ編著 『異世界の書  幻想領国地誌集成』



「本書は伝説の土地と場所を扱う」と「序論」は書き始められる。本書で扱われるのは、「あくまで、多くの人々がどこかに実在する、もしくは過去に実在したと本気で信じ、その信念がキメラ、ユートピア、幻想を生み出した土地と場所だけを扱う」。

「もはや起源の定かでない太古の伝説によるものであれ、近年の捏造の産物にすぎないものであれ、そうした土地や場所は、信念の流れを創り出すのだ」。
そしてエーコはこの「序論」をこう結んでいる。「まさにこの幻想のもつ現実性〔リアリティ〕こそが、本書を貫く主題となる」。


「大地平板説」に始まり、聖書(「シバの女王」や「東方の三博士」のように、聖書に書かれていたものを越えて生み出されていく伝説ももちろん含まれる)、オデュッセウスはいったいどこからどこまで帰還したのか、マルコ・ポーロの伝えた東方世界、「エルドラード」、アトランティス、アーサー王伝説といった古典に属する「異世界」から、「近年の捏造」であるオカルト世界まで、エーコが解説を加えていく。さらに原典から真面目な研究書、今となっては古びてしまった考えやほとんど誰にも相手にされなかったであろう珍説まで膨大な引用からなるアンソロジーともなっている。何よりも豪華な図版を見ているだけでも楽しい。

また本書はエーコによる「異世界」の入門書として読めるとともに、小説家エーコの、エーコ自身による入門書・概説書・解説書としても読むこともできる。エーコのネタ帳を覗き見させてもらっているような楽しさもある。


ほとんどそのままエーコの作品としてしまってもよさそうにまで思えてくるのが、第14章で扱われる「レンヌ・ル・シャトーの捏造」だ。フランソワ・ベランジュ・ソニエールという司祭がいた。彼は1885年から1909年にかけて、レンヌ・ル・シャトーという小村で教区司祭を務めた。「確かなのは、ソニーエルが村の教会を修復したこと、私宅としてベタニア荘を建てたこと、そして丘の上にエルサレムのダビデの塔を思わせるマグダラの塔を建てたことである」。

この一連の計画には、田舎司祭の給料実に200年分もの資金が必要だった。当然調査の対象となるが、ソニエールは協力を拒み、転任命令も拒んで教区司祭の職も辞し、1917年に亡くなるまで貧しい生活を送った。

「教会の修復工事の過程で、ソニエールは次々に「何か」を発見したらしい」という憶測が出回るようになる。おそらくは当人がそう思いこんだだけの無価値なものであったのだろうが、次第にソニエールがとてつもない財宝を発見したらしいという説が「ひとり歩きをし始める」。

ソニエールは詐欺まがいというか、詐欺そのものの手口で金を集め、このせいで教会裁判にもかけられたような人物であった。そして彼は愛人とも噂された家政婦のマリーに建物などを譲渡した。資産価値を高めるためにお宝の噂は効果的なものだ。マリーは「燃料を投下し続けた」。こうして財宝伝説は脈々と受け継がれていくことになる。

ピエール・プランタールは反ユダヤ主義団体を立ち上げるなど極右の活動家であった。彼はヴィシー傀儡政権を全面的に支持したが、フランス解放後はこの団体がレジスタンス組織であったかのように偽った。このプランタールが戦後「シオン修道会」を設立することになる。しかも彼は、このシオン修道会が2000年前から存在していたと主張し始める。「この主張の根拠とされたのが、あのソニエールが教会を修繕している時に発見したとされる(ただし後に捏造が判明することになる)文書だった」。

ジャーナリストでもあったジェラール・ド・セードは文学の道を諦め、生計を立てるために彼の地で養豚業に従事していた。そして「ロジェ・ロモワという、浮浪者と神懸りの中間のような人物に出会う」。このロモワの証言をもとに、ド・セードはジゾール城の謎についての本を執筆する。プランタールはド・セードに接触し、今は見せることはできないが自分は秘密の文書を持っていると主張したようだ。そしてド・セードはさらに「この種の伝説では定番」であるテンプル騎士団についての本を執筆することになるのだが、これはどうも「プランタールの草稿をド・セードがまとめ直したものらしい」。

プランタールは後に、彼が持っていた写本の類はラジオコメディアンで俳優でもあるフィリップ・シェリゼが書いたものだと告白することになる。シェリゼは「写本のアンシェル体は国立図書館で見た写本類を模写したものだと認めている。また、シェリゼはモーリス・ルブランによるアルセーヌ・ルパン作品に影響を受けていたらしい」。
「とにかく、ソニエールが発見したとプランタールが主張する文書の中に、ド・セードは多くの隠された暗号を発見する」ことになるが、「こうした謎めいた符合は、やろうと思えばいくらでも見つけることができる」ようなものにしかすぎない(そもそもが捏造なので当たり前だが)。

数多くの類似の伝説がそうであるように、これも時間の経過とともに忘れられていくはずだった。しかしド・セードの著作が、ジャーナリストのヘンリー・リンカーンの目にとまることでさらなる展開をしていくことになる。リンカーンはオカルトミステリーの愛好者のリチャード・リー、やはりジャーナリストのマイケル・ペイジェントの協力を得てBBCで三本の番組を制作し、これをもとにした三人の共著『レンヌ=ル=シャトーの謎』はベストセラーとなる。問題は、この番組が「ドキュメンタリー」として放送され、この本が「あたかも全部が疑問の余地のない歴史的事実」であるかのように書かれていたことだ。

こうして「ミステリーを求める人々にとって新たな巡礼地」が生まれた。「結局この一連の法螺話を信じなかったのは捏造の当事者だけだった」。
ド・セードは「1988年の著作でそれまでの発言を全面撤回し、ソニエールの村をめぐってでっち上げられた数々の欺瞞や捏造を非難する側に回った」。翌年にはプランタールも「自らの全発言を否定」する。プランタールはインサイダー取引で告発されると、宣誓のうえ全てがでっちあげであったことを認め、家宅捜索では複数の偽造文書が発見された。「そして2000年、イエスとマグダラのマリアの末裔を自称した男は、誰からも見放されたまま死んだ」。

話はここでは終わらない。2003年にはそう、ダン・ブラウンによる『ダ・ヴィンチ・コード』が発売されベストセラーとなるのである。エーコはブラウンについて厳しく書いている。小説の手法として、「この話は実在する資料に基づく」という設定で書かれることは問題ない。しかしブラウンは「小説の外部、つまり実生活においても、常々自分の話は史実だと言い募っているのだ」。ブラウンの考証はおそまつなもので、ブラウンの言うとおり「99パーセント事実」なのだとすれば、「作中に散見される明らかな事実誤認についてはどう説明すればいいのだろう」とエーコは揶揄している。

このあと事態はさらに奇怪な方向へと向かっていく。ペイジェント、リー、リンカーンがブラウンを剽窃で告訴したのである。創作物として著作権を主張するということは、「要するに、彼らがいままで史実と称して売りさばいてきたものが、本当は全部空想の産物であったと公的に認めたということなのである」。これに対しブラウンは三人の本を読んだことがないと主張することになる。

ブラウンが『ダ・ヴィンチ・コード』などの「小説」を「史実」だと主張することについては、多くの人が苦笑するだけで、作品として面白ければそれでいいではないかと思うかもしれない。しかし、「レンヌ・ル・シャトー事件が教えるのは、何もないところに伝説を拵えることがいかに容易であるか、そしていったん定着してしまった伝説は、その後に歴史家なり裁判所その他の機関なりがその虚偽性を認定したとしても、そう簡単には消え去ってくれないということである」ということを考えると、笑ってやり過ごすことには慎重であらねばならないのかもしれない。

プランタールが反ユダヤ主義者であったことを思い出そう。そして「シオンの議定書」はあまりに荒唐無稽な内容であり、出回った当初から虚構であることが広く知られていたにも関わらず、「事実」として影響力を持つようになっていったことも。


本書にはナチスとオカルトとの関係も取り上げられている。1912年に「アーリア人の優越性を説く哲学」である「アリオゾフィ」を奉じる「ゲルマン騎士団」が結成され、1918年にはゼボッテンドルフ男爵がそこからの分派である秘密結社「トゥーレ協会」を設立した。「スワスティカ(鉤十字)はこのトゥーレ協会のシンボルマークであった」。

ナチスの鉤十字は「ルーン文字から着想を得たものであった」。古代北欧のルーン文字は「単なる文字ではなく、魔術的な象徴であって、これを用いる者はオカルト的な力を獲得し、占いや魔術を実践し、魔除けを作り、全宇宙を満たす微小なエネルギーを循環させ、そうすることでこの世の事象を思いのままに操ることができる」という主張があった。

これに先立つ1907年にはヨルク・ランツによって「新テンプル騎士団」が設立されており、「どうやらヒムラーはここから、アーリア人種至上主義を是とするSS(親衛隊)の着想を得たらしい。ランツは劣等人種について、去勢する、不妊手術を施す、マダガスカルに追放する、神への犠牲として焼却するといった案を推奨している。なおこれらの提案は――細部の修正を経たうえで――すべてナチスによって実施されることになるのである」。

「アーリア人種の起源を極北人に求め、唯一アーリア人種のみが堕落を経験しなかった」という「極北神話」もナチスの人種観に大きな影響を与えた。当初はフランス人やイタリア人、そしてイングランド人も含めた地中海人はアーリア人だとは見なされていなかった。しかし「次第に全ヨーロッパ民族をアーリア人としなければ辻褄が合わないことになってきた」。

ファシスト人種主義の雑誌『人種の防衛』は、「小柄で色黒の地中海人」である、「鷲鼻のダンテ・アリギエリをアーリア人とするために「鷲鼻人種」の理論を思いついたのである。これで後は心置きなく非アーリア人を、すなわちセム人(ユダヤ人)を排除できるわけである」。

「そうやってアーリア人ないし「極北人」の範囲を拡大するのであれば、結局あらゆる民族の中で最も地中海的な民族であるギリシア人を無視するわけにはいかなくなる」。「なにしろギリシアこそが西洋文明揺籃の地だというのがドイツ・ロマン主義の常識」であるのだから。
このような経緯をふまえると、ハイデガーが主張した「ドイツ語かギリシア語でなければ哲学することはできない」という言葉は、その夜郎自大性を笑って済ますことのできない不気味な響きを持っているとすべきだろう。

ナチスはオーストリアの似非科学者ハンス・ヘルビガーにお墨付きを与えた。ナチスが政権を握ると「宇宙氷説」などのヘルビガー説を真面目に扱おうとする科学者も出始める。レントゲンと共にX線を発見したフィリップ・レーナルトもその一人となった。

「ロシアの冬に対するヒトラーの楽観の背景」に「宇宙氷説」があったともされ、また「戦局逆転の切り札と考えたV-2ミサイルの実験が、発射時における宇宙氷の反応を確認する作業によって度々中断させられ、結果として開発が遅れた」という指摘もあるそうだ。
「ナチスの言う伝統知とは、結局はリベラルでユダヤ的な――とナチスが思い込んだ――近代科学への反感にすぎなかった」。

ヒトラーやナチスの幹部がオカルトをどこまで真に受けていたのかについては諸説あるだろうが、その周辺にオカルト主義者が集っていたことは確かだ。この手の話は本書でも言及されているように『インディ・ジョーンズ』をはじめ数々のエンターテイメント作品でネタとされてきたし、僕もそういったものを「楽しんで」いるところもあるのだが、ミイラとりがミイラになるというのもこの手のジャンルでは起こりがちであるからこそ、こういった歴史もふまえておかなければならない。


本書は一方でまた、「キリスト教世界がギリシア天文学の成果を切り捨てて大地平板説に逆戻りしてしまった」というのは「謬見」であるということにも触れられている。
「この「常識」は、19世紀の世俗思想家たちによるでっち上げなのである。各宗派がこぞって進化論に反発するのに業を煮やした彼らは、大地平板説を(教父神学とスコラ神学の別を問わず)キリスト教思想全体に押し付けたのである。キリスト教には大地が球体であることを否定してきた愚かな過去があり、まさにいま、それと同じ過ちを<種の起源>に対しても犯そうとしているのだ、という理屈である」。

この「世俗思想家」たちの振る舞いは「正しい」ものだったのだろうか。進化論が科学的に正しいものだと主張したいがあまり歴史を捻じ曲げ、さらにはそれが固定化してしまったのだとしたら、彼らは「知」に対して誠実であったとはいえないだろう。「サラマンカの博士たち」がコロンブスが西廻りでの東方航海を試みようとしたことに対して、「地の底へと吸い込まれるだけだと主張した」と嘲笑している人は、果たしてサラマンカの博士たちが本当にそんなことを信じていたのかどうかを考えたことがあるのだろうか。目的が手段を正当化すると考えることの危うさは、科学を信奉する側にも問われなければならない。


エーコはチェスタトンのものとされるこんな警句を引用している。「神を信じなくなった者は、何も信じなくなるのではなく、なんでも信じるようになる」。


このように、とりわけ小説家としてのエーコのエッセンスが詰まっているとすることもできる一冊であるが、気軽に手に取るわけにはいかない値段なもので(もちろんそのおかげで豪華な図版が堪能できるのだが)、まずは図書館などで手に取ってみるのがいいかもしれない(僕は図書館で借りて読みました)。英訳ペーパーバックは安価であるものの、訳者あとがきによると英訳には少々問題ありのようで、日本語でも普及版も出て欲しいのだが。


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佐藤太郎(仮)

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