21世紀における民主主義の最大の敵

ロバート・アルトマンのドキュメンタリー『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』を見ていたらこんなニュース音声が挿入されている場面があった。

「トルドー首相は教会指導者と会談 カナダはアメリカの徴兵忌避者を受け入れると明言しました」

アルトマンは独立系監督を支援していたためにカナダを撮影地に選び、また『マッシュ』を撮る直前にはベトナム戦争に反対であったことからカナダ移住を考えたこともあったそうだ。

この「トルドー首相」というのはもちろん現カナダ首相ジャスティン・トルドーの父親のことである。これを見たのは数ヶ月前のことで、面白いなあと思ってメモしたもののそのまま放っておいたのだが、全く笑えない状況でこのエピソードを思い出すことになるとは。


今回のアメリカ大統領選の結果は全く予想していなかったし(後知恵込みでいうと投票直前に楽観論が広がったことになんだか嫌な予感はなきにしもあらずであったが)、ほんとうにショックで、気を紛らわせるために何か書かないことにはということで。


トランプ勝利の原動力となったのは見捨てられた白人ブルーカラー層で、彼らの絶望的な状況をエスタブリッシュメントが汲み取ることができなかったためにこんなことが起きたという説明のされ方をしていくことになるのだろう。確かにそれは間違いではない。間違いではないが、全てでもないことを押さえておかなくてはならないし、それこそが僕がショックを受けたことであった。

ニューヨークタイムズのこちらの記事にあるように、2013年に出たShelby County v. Holderの最高裁判決の影響というのは間違いなくあっただろう。ものすごくざっくりまとめると、事実上選挙人登録(アメリカでは投票するためにはこの手続きしなくてはならない)の際に差別的な嫌がらせをすることを州が合法化するのに道を開いた判決である(今回の選挙でさらにおそろしいのは、上院も共和党が勝ったため最高裁がさらに保守化するおそれが強いことだ)。
またワシントンポストのこちらの記事にあるように、選挙人登録などでトランプ支持者は1920年代のKKKさながらの嫌がらせを行っていたという。

つまり少なからぬ白人をトランプ支持へと駆り立てのは紛れもない人種差別意識であったということなのである。トランプによってこのような状況が作られたというよりは、このような状況を見て取ったトランプがこれを利用したとすべきかもしれない。「黒人の大統領になど耐えられない、メキシコ人がでかい顔をすることなど許せない、次は女の大統領? そんなことは絶対に阻止する!」、このようななメンタリティがここ数年で急速に広がっていたのだろう。一連の警官による黒人射殺事件もこれが表れたものだとすることもできるのかもしれない。

Shelby County v. Holderの判決が1965年の法律を事実上修正したものであるように、少なからぬ白人の意識は公民権法以前に戻ってしまったかのようだ。これは単に選挙の勝敗だけではないショッキングな状態であり、民主党関係者からすれば「まさかここまでの広がりを見せているとは」ということだったのかもしれないし、僕もこのことに愕然としている。

選挙人登録の際の嫌がらせの実例を知りたい人はキング牧師と公民権運動を描いた『グローリー/明日への行進』をぜひ見てもらいたい。映画の冒頭がまさにこれを描いたもので、アメリカの差別主義者の常套手段なのである。FBIが公民権運動を敵視し、キングの女性関係などを盗聴し脅迫していたことも描かれているように、FBIが差別主義者に加担するというのもまたおなじみの光景といえばそうだ。この作品を撮ったエイヴァ・マリー・デュヴァーネイは黒人女性監督であり、オスカーが「真っ白」であったことを厳しく批判していたが、比較的リベラルなはずのハリウッドですらこの状況であったのだから、他は推して知るべしという状況はすでにこの頃にはあったともできるだろう。

最近思うところあって『風と共に去りぬ』を見返してみたのだが、トランプ支持者が取り戻したい「偉大なアメリカ」とはこのような世界なのかもしれない。「騎士道精神」溢れる「古き良き南部」がヤンキーどもに蹂躙される。その実態は奴隷制に支えられたおぞましいものであるが、南部の貴族的白人富裕層にはそう写っていたことだろう。
黒人奴隷がその身分を受け入れ白人に唯々諾々と従っていれば温情をかけることにやぶさかではない。しかしそこを踏み越えれば激しく憎悪を燃やす。黒人がヤンキーと組んでビジネスに乗り出したり、ましてや政治的野心を持つなどということなど断固として容認できない。「ヤンキー(北部人)」を「リベラル」に置き換え、黒人にメキシコ人を加えれば、トランプ支持者の一部の傾向と重なるところが多いだろう。

もちろん「ワシントン」への不信と不満というのはそれこそ民主党員のジョンソンへの不満、共和党員のニクソンへの不信からクリントン対ブッシュの時のロス・ペロー現象など一貫して根強いものであるし、さらにクリントン夫妻というのは非常に脇が甘い政治家であることも確かだ。このあたりも大きく作用しているであろうし差別問題が全てだというつもりはないが、しかし重大なファクターであるわりには軽視されているという印象があるし、その軽視こそがトランプへの追い風となったのではないだろうか。


ということでメディアではあまり語られることはないだろうが、やっぱり引っかかっていることなので以下はポール・セローのインタビューを基に書いたこちらのほとんど繰り返しになるが。

セローはトランプ支持者は銃の見本市に集まるような連中で、とりわけ南部の貧困状態にある白人は被害妄想をつのらせ、もはや共和党すら信用していない、そしてこのような心情はマサチューセッツのようなリベラルは州のホワイトカラーの白人共和党員にすら広がりを見せていると語っている。
これはまさに実体験に基づく適切な意見であろうが、強調しておきたいのはトランプとテレビとの関係である。

ここ約50年ほどの共和党は「経済保守」と「文化保守」という、本来異なる価値観を持つ両者が「リベラル」という共通の敵を前にして共闘している。「共闘」というよりは、極端な経済保守が手っ取り早く動員できる文化保守を利用しているとすべきだろう。もちろん共和党にも穏健派はいるのだが、そういった勢力が伸張しそうになると、経済保守は宗教や差別カードを切って文化保守を動員し、共和党を右へ右へと引っ張っていく。トランプの言っていることはティーパーティと大差ないし、ティーパーティの言っていることは90年代の共和党を象徴するギングリッチと大差ない(このあたりは『バーニー・サンダース自伝』を読むとよくわかる)。そしてこれらの種を播いたレーガンは「福祉の女王」をはじめとして白人による差別感情を煽る手段をとることを厭わなかった。トランプが「新しい」とすれば、より直接的に文化保守にアウトリーチしたことだろう。セローが言うように、共和党は長年に渡って「犬笛」を吹いてきた。共和党主流派は「差別的」な言動を繰り返してきたのだが、「差別的」ではなく差別そのものを口にするトランプは、より「本音」を語っているように写ることになる。

トランプ支持者について調べると、実際にはアッパーミドルや富裕層も多数含まれているとされる。とりわけヘッジファンド系の富裕層にとっては、金融の規制強化や金融取引への課税といったことを避けるためにも、是が非でも民主党大統領を阻止したかったはずだ。つまりトランプ現象とは特殊なものというよりは、経済保守と文化保守が「共闘」してリベラルに敵対するという、いつものパターンにより近いのではないだろうか。トランプは一見すると労働者に寄り添っているようで富裕層への目配せもしている。共和党支持層はだいたいにおいて党に忠実で、そこに普段は選挙に行かない層が乗っかったという形になったということかもしれない。

とはいえそのバランスはやはりこれまでとは異なるものでもあるが、それを可能にしたのがテレビであろう。
トランプという存在は日本でいえば石原慎太郎と橋下徹を掛け合わせたようなものである。差別発言を繰り返しながらメディアはそれを正面きって批判することに及び腰であり、またトランプはテレビタレントでありテレビコンテンツの製作者でもある。トランプはどういったロジックを使えばテレビの視聴者が喜ぶか、どこまでの差別発言がテレビ局に許容されるかを身を持って学習してきた。

民主主義は何もかもを多数決で決めることではない。某氏が名前を知らないといった芦部信喜は、人権を制限するような憲法改定はたとえ多数派の意志であっても認められないと主張したが、僕もこれを強く支持する。トクヴィルはアメリカを見て、民主主義に潜む多数派による専制という危険性に警戒心を抱いたが、これを防ぐのが憲法であり三権分立であり人権である。つまり差別を煽って票を稼ごうとする人物は民主主義の外にいるのであり、民主主義の担い手はこれと対決することが義務なはずだ。そのタガが外れてしまったことが、この結果だろう。

アメリカのテレビは「おいしいネタ」としてランプの発言を垂れ流し続けた。「テレビに出ている」というだけで何か正当性があるかのように感じる人がいるし、テレビの露出が多いというだけで支持者が集まってしまうことは、半年前には自民党支持者にすらその存在が忘れられかけていた小池百合子をワイドショーが大量に露出させることで何が起こったのかを見れば、日本でも証明されている。

いや、日本でも証明されているというよりは、日本で証明されていたこと(小池のやったことは小泉のコピーであり、橋下にとって石原の振る舞いはロールモデルであったことだろう)がアメリカにも伝播したとすべきだろう。トランプ当選はアメリカのテレビの日本化の産物だ。

トランプの側近にはロシア利権を持つ人物が複数おり、トランプ自身もロシアで一儲けしようとたくらんでいたともされる。ロシアは民主党へのハッキング攻撃でトランプを援護し、これを受けてトランプはロシアに対してさらなるハッキングを呼びかけた。まともに考えれば無茶苦茶な状態なのであるが、アメリカのテレビはトランプとロシアとの問題を掘り下げてきちんと報じることはほとんどなかった。

ワシントンポストはかなり頑張ったし、ニューヨークタイムズもそれなりにやったが、今回は予備選から本選を通じ、アメリカのテレビが気概を見せたことはなかった。これはアメリカのテレビに限られたことではなく、BBCを見ていても、差別発言を公然とする人物が権力の座に近づいているという危機感などなく、まるでスポーツイベントでも楽しむかのような調子であった。今回の大統領選挙は政治のエンタメ化の成れの果ての姿であり、その「最先端」を走っているのが日本である。

「地上波のテレビはもうオワコン!」なんてことを言う人がいるが、実際には新聞の存在感は大きく低下し、ネットメディアの広まりは限定的(基本的には同質的な人の中にしか響かない)という状況で、政治的な影響力という点では地上波のテレビの一人勝ち状態になっている。

21世紀における民主主義の最大の敵は地上波のテレビであった、なんてことが言われないように、テレビに関わる人には最低限の良識と気概を持って欲しいのだが、思いつくままに適当にこんなことを書いているうちに、なんとも絶望的な気分になってきて……


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佐藤太郎(仮)

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