『ザ・ピープル  イギリス労働者階級の盛衰』

セリーナ・トッド著 『ザ・ピープル  イギリス労働者階級の盛衰』




歴史は勝者によって書かれるという言葉があるが、こう言い換えてもいいだろう。歴史は支配層によって書かれる。エドワード朝についてこう回想する声がある。「すべての人が自分の地位をわきまえ、相応の満足を覚えていた「黄金に輝く午後の長く続いた園遊会」」であったのだと。しかしこれはあくまで「豊かな人たち」の声だ。

本書は、自らも労働者階級出身である著者による1910年から2015年までのイギリス労働者階級の歴史である。労働者たちの声について、「政治家や貴族の回想はよろこんで使う歴史家たち」は「ノスタルジア」だと一蹴しがちだ。また「体面のよさを求めてがんばるか、革命を求めて奮闘するという「伝統的」な労働者階級の典型的な物語」に回収しないために様々な声を集め、「幕間」として1961年にサッカーくじで過去最高の金額を当て、「使って使って使いまくる」と宣言し、その言葉通りに数年で金を使い果たし破産したヴィヴ・ニコルソンの人生も描く。

「不平等は害をおよぼす、間違ったものであると主張するために労働者階級の人びとを革命の英雄扱いしたり、助けになる隣人に仕立て上げたりする必要はない」。権威づけられた記録の中にも、左翼が広める労働者階級神話のなかにも、「労働者階級の人びとの歴史を見つけだすことはできなかった」。
「わたしが描く人びとは、自分たちのことを代弁してくれる他者を必要とした、なすすべのない貧困の犠牲者ではない。ヴィヴのように、人びとは自分の精神と言葉をもっていた」。

本書は20世紀から21世紀にかけてのイギリスの歴史であるとともに、現在のイギリス社会について考えるうえでも示唆してくれるものが多い。


1923年にヴァージニア・ウルフは、1910年の12月あたりで「人間の性質が変わった」と書いている。1910年を分岐点だと考えたのはウルフだけではない。この年の1月には、福祉の拡充を約束した「人民予算」が貴族院に否決されたのをひっくり返そうと自由党のロイド・ジョージが選挙に挑み、議席を減らしながらも政権に帰ってきた。労働党は大きく議席を伸ばし、貴族の政治的力は大きく後退した。5月にはエドワード7世が死去。女性参政権を求める激しいデモが各地で繰り広げられ、内務大臣チャーチルは炭鉱労働者のストを押さえ込もうと武装した軍隊を送り込む命令を出した。議会では貴族の権限をめぐる議論が行き詰まり、12月にはまた選挙が行われ、貴族院が法案を否決する権限を廃止しアイルランド自治を実行に移すことを約束した自由党が政権を維持し、労働党はさらに議席を増やした。イギリスが繁栄したのは貴族が強力で労働者階級に選挙権が与えられていなかったからだとする保守派にとっては嘆かわしい事態であったが、「雇用主との交渉と投票箱の両方を通じて福祉、労働、賃金に関する発言権をもっともつべきである」と考える労働者たちにとっては一歩前進だった。

ウルフは「社会の変化のバロメーターとして召使いたちを見た」。1910年の時点で、そして1923年の時点でも依然として、「イギリスで働く人びとのなかで、召使いがもっとも大きな割合を占めるグループ」であり、「召使いと雇用主との関係はイギリス社会を映す鏡であると多くの人に見なされていた」。
それまで労働組合で活動してきたのは主に「友情と連帯の絆」を形成しやすい熟練労働者たちであったが、1910年までには非熟練労働者たちも声をあげられるようになってきていた。

自由党は労働運動を弾圧する一方で、福祉の拡充も目指した。それは「金持ちと貧しい人びととのあいだの溝を埋めようとしたものではなかった」。「労働運動の力を殺ぐための万能薬」として考えられたのであった。
この発想はプロイセンにおけるビスマルクそのものだが、労働者階級や貧困についての支配層の考え方も世界的に共通したものだろう。1904年に民生委員になったある女性は、労働党の代表を除くすべての民生委員が「給付金や救援物資をもらっている人びとを慈善にたかって遊び暮らす、感謝することもできない間抜けどもだと見なしている」のに気付き嫌悪感を抱いた。貧困問題は極めて深刻な水準でありながら、それを示す調査結果が出されようとも、政府や貴族、富裕層は常にこれを軽視し、対策を怠ることになる。国民保険をめぐっては、保守派の「タイムズ」紙に「主人と召使いとのあいだの思いやりあふれるつながりを弱めてしま」い、「仮病に特典が……与えられることになるだろう」という投書が掲載された。

それでも時代の変化を押しとどめることはできない。召使いも労働者であるという意識が広がり、「人生が自分にどれほどわずかなものしかもたらしてくれないかということに不満と憤りを覚える非熟練労働者と熟練労働者、メイドと炭鉱者をつなぐ共有されたアイデンティティがあらわれてきた」。それは「現代版労働者階級が誕生してきたしるし」であった。

なお、まさにこの時代を扱った貴族とその屋敷で働く召使いたちを描いた『ダウントン・アビー』にもちらっと言及があるが、このドラマが好きな人はぜひともこの第1章だけでも読んでほしい。


第一次大戦後、失業問題は深刻化していった。戦時中に女性たちは工場などで働くようになり、帰還兵には十分な数の仕事が用意されていなかった。政府の失業対策は「仕事の創出ではなく女性たちを家事奉公に送りこむこと」だった。右派の新聞はこれをもちろん支持し、「タイムズ」紙は社説で「怠惰な生活が公共の支出でまかなわれることがあってはならない」とし、ある貴族は女性が「失業手当の濫用」をしていると嘆いて見せた。

労働組合はこの苦境に先鋭化していき、1926年についに大規模なゼネストが起こることになる。ここで注目されるのが、労働党が日和った態度を取ったことである。このゼネストは「マンチェスター・ガーディアン」紙からも批判されるなど、「リベラルで左寄り」の人にとってはあまりに過激、あるいは非理性的なものだと感じられ、また組合指導部も必ずしも乗り気ではなかった。労働党は炭鉱労働者をはじめとする労働者階級に忠実であるよりも、中間層からの支持の離反をおそれた。このような労働者と組合指導部、労働者階級と労働党との微妙な関係というのは、その後も繰り返されることになる。

失業の時代に、福祉に頼らねば生活できない人が多数いたが、「政府の方針は失業者に罰を与えるかのごときものだった」。とりわけ失業者を苦しめたのが、尊厳を傷つけ、家族や近隣住民とのつながりを破壊する収入調査だった。権力や特権を持つ人は、貧困の原因は怠惰であるとの偏見を持ち続け、貧しい人が貧困状態にあるのは自らに責任があるのだとした。むろんこれはイギリス独特の現象などではなく、こちらに書いたようにマルコムXは幼少期に母親がミーンズテストで屈辱的な扱いを受けたことを記憶しており、また日本でも、そして世界の多くの場所でも、現在でもまだこのようなことが行われ続けている(というよりも、一度改善された状況が近年になったまたひどくなってきている)。

1931年には失業者は「失業保険によって麻痺させられて」いて、仕事を探さずに怠惰な生活を送っているという投書が「タイムズ」紙に掲載されている。また「ビジネスマンや教師、郊外の主婦が読者層」である「スコッツマン」紙には、「公共の財源から援助を受けるくらいならみずから命を絶つほうが好ましいとするスコットランド人の独立心の強かりし時代」を懐かしむ投書が載った。失業者が失業手当てで安楽な生活を送っていることを嘆く声が新聞の投書欄には溢れたが、もちろん実際には失業手当で快適な生活を送ることなど不可能で、失業者は常に困窮状態に陥りかねない状態にあった。屈辱的で懲罰的な収入調査やこのような偏見は失業者をむしろ追い詰めていくだけであるのだが、失業者や貧困者に対するこういった攻撃は現在にいたるまで繰り返し行われていくことになる。
それでも、暗い時代が続くことで、1930年代後半には中流階級の間にもこれまでのような失業者は生まれつき無気力で無責任なのだという考えに変化が生じるようになっていった。

1930年代はまたファシズムの時代であった。イギリスではオズワルド・モズリーが英国ファシスト連合を結成する。モズリーの主催する暴力的集会は保守派の「タイムズ」紙などの保守派からも強く批判されるほどだった。モズリーは移民こそが失業の原因だと、人種差別と排外主義を煽ろうとした。こういう主張になびいてしまう人もいたが、概して「労働者階級のファシズムへの支持は弱かった」。一つにはイギリスの失業率は深刻だったとはいえ、ドイツやイタリアほど高くはなかったことがある。また失業手当を受け取っている人の多くがファシストが引き入れようとした若い世代ではなく、組合員であり、イギリスの組合運動が強力で自律的であったことも防波堤になったようだ。

貧しい人たちの多くが日々の生活を送るのに手一杯であった。また貧困や失業の問題と人種や宗教の問題が絡み合うと緊張が高まることになるが、それでも、移民がイギリス国民になるにはイギリス生まれの身元保証人が必要とされるのだが、コミュニティが機能していたことから職場の同僚や近所の人が進んで支援を申し出た。

ファシズム活動に熱心に加わった者の多くは、むしろ「豊かな社会階層の出身だった」。
「モズリーは「商取引……新聞……映画〔そして〕ロンドンのシティ」を牛耳る「巨大な利権」を声高に批判していたが、貴族や産業資本家、工場経営者たちからの支援を受け入れていた」。サフォークでは富裕な農家が支援に回り、1931年までデイリー・ミラー紙を所有していたロザミア卿は、1934年にデイリー・ミラーの三分の二ページに渡って「黒シャツ隊に支援の手を」という自分の書いた記事を掲載させた。ここでロザミアは反ファシズム勢力を「パニックを煽る連中」と非難している。

排外主義を煽り、「巨大な利権」を批判しつつ、実はその利権を享受する側から支援を受けていたモズリーの姿はトランプをはじめとする近年の各地の右翼政治家と重なるところが多い。強力な労働組合の存在とコミュニティのつながりによって労働者階級がこの誘惑を断ち切ったという点は、現在への教訓になるだろうが、逆にいえば、「伝統」を声高に唱える右翼政権がしばしばコミュニティを破壊する政策を進め、何よりも労組の弱体化を図るというのは、右翼側がこれをよく理解しているということでもあろう。

ファシズムに浮かれる貴族の姿は、執事の視点でこの時代を描いたカズオ・イシグロの『日の名残り』でも扱われており、この小説/映画のファンも本書、とりわけ第4章を読むとさらに背景等がよくわかるだろう。


1930年代とは何百万もの人にとって「失業を意味し、失業は困窮と屈辱を意味した」。政府は失業者が国家に頼らないよう職探しのインセンティブを高める政策に主眼を置いたが、これは失業の根本原因に取り組むものではなく、失業者の困窮を防ぐものでもない、「部分的には中流階級の納税者を懐柔しようとするもの」にすぎなかった。懲罰的な福祉制度は失業者を減らすことにはならず、過酷な収入調査はいたずらに失業者の屈辱感を増すだけだった。この「飢餓の三〇年代」の忌まわしい記憶が、1945年の選挙で「福祉国家と完全雇用に尽力する労働党を選ばせることになる」。


もちろんこの労働党の勝利によって一気に福祉国家が形成されたのではない。うまくいかない政策もあれば、有権者の揺り戻しもあった。1951年の保守党の勝利の最大の要因は住宅問題にあったとされ、住宅問題は以降もイギリスにとって重要な問題であり続けている。政府が宣伝するほど生活が豊かになったのではなかった。それでも、福祉国家は前に進み続けた。

一般的には労働者階級は人種差別的であるというイメージを持つ人が多いだろう。しかし著者は差別意識を煽ろうとしたのはとりわけ保守党の政治家や地域の政治家であったとしている。1950年代には異人種間カップルにたいする敵意が高まり、また住宅不足や失業とからめこれを煽る政治家もいた。1958年には興味深い調査がなされている。ブリストルのある地区では、「黒人住民の近くに住む白人住民のほうが移民に対する敵意を感じない傾向にあ」った。イラン系の女性は、移民があまり住んでいない街の中心部では自分が浮いているような気がして、見知らぬ男の子たちから「ニガー・ニガー」と声をかけられたこともあった。生まれ育った公営団地に戻ると、自分がまわりの人を知っていて、まわりの人が自分のことを知っているから安心できたという。もちろんこれも一様であるわけでないが、偏見や差別がどのように生じるかについての一例を示したものだろうし、先頃のイギリスのEU離脱問題でも、移民が少ない地域の方がむしろ移民への排斥感情が高まっている傾向が窺えた。

また教育面でも労働者階級にとってその環境は変わり始めたが、これも一足飛びに改善されたのではなかった。選抜試験によって労働者階級にもグラマースクールに通う機会が開けたが、その試験は中流階級にとって優位なようにできていた(IQテストにも客観的な知力など測れないという批判があるように、試験による選抜だからといってそれで公平だというのではない)。

たとえ合格しても、労働者階級地区の小学校出身者は成績に関わらず人気の低いグラマースクールの底辺にいると気付かされた。グラマースクールは学費以外にも文房具、修学旅行、制服、スポーツ用品などで金を徴収したが、それは労働者階級には手が出ないほど高級なもので、労働者階級の子どもたちはみじめな思いをさせられた。また多くのグラマースクールは生徒達に近所のスポーツ・クラブなどに加わらないようにせよと言った。これによって、グラマースクールに通う労働者階級の生徒たちは親や近所の友人たちなどから心理的、物理的な距離をとらされることになった。「社会的な分断を克服するどころか、人生での成功に「値する」のはごく少数の者たちだけだとほのめかすことで選抜制の学校はそうした分断を悪化させた」のである。

こうしてグラマースクールに通うことになった「多くの生徒たちは、最終的には反逆した」。
生徒の知的好奇心を引き出してくれたり大学進学を進めてくれる教師もいたが、あくまで少数派で、労働者階級の生徒達は大学に入るには不適切な試験を受けさせられたり、奨学金制度などの説明をされなかったりした。この背景には労働者階級の生徒は勉学に向いていないという決め付けもあった。

しかし50年代後半には労働者階級をとりまく状況にも変化が生じ始めた。労働者階級であることが「流行」となり、恥ずかしく思うのではなく、それを誇示するようにさえなった。ポール・マッカートニーは医者の娘のジェイン・アッシャーと交際するようになったが、当時の新聞には彼女の「階級なんてもはや問題にならないわ」というコメントがある。64年にはビートルズのマネージャーでもあるブライアン・エプスタインは新たに契約したシーラ・ブラックについて、「シーラはリヴァプールのもっとも荒れた危険な地区の出身で、目の覚めるような燃え立つ自然の生命力に満ちあふれている」と語った。


60年代は失業率も低く、各種の改革も進んだ。70年には1930年以来初めて労働者階級出身の大学生の割合と数が増加した。しかしこのような時期は長くは続かなかった。70年代半ばにはオイルショックなどもあり経済に陰りが生じ、労組などは達成感だけでなく敗北感も味わうようになっていった。74年には賃金抑制政策に反対するストが行われ、保守党のヒース政権はエネルギー不足の緊急事態として週三日労働を実施し、これを受け入れた労働者は失業手当の対象者となった。この結果かえって費用がかさんむことになったが、ヒースがもっと早く炭鉱労働者と折り合いをつけていればこれより安くすんだはずだった。ヒースは政治的意図からこの争議を全国的ものへとしようとしていたのだった。炭鉱労働者たちが仕事に復帰する気配を見せない中、ヒースは「誰がイギリスを統治するのか?」というスローガンで選挙に打って出たが、勝利を収めたのは労働党であった。

この時の労働党の公約は「一緒に働こう」というもので、「完全雇用、住宅、教育、社会保障手当て」を通じて「経済的平等」と「社会的平等」を達成するというものだった。しかしウィルソン政権はこの公約を達成できず、労働党はIMFの支援受け入れを決め、「福祉と完全雇用は経済危機においては不要とされるべき贅沢であるということが示されることになった」。

「労働党がIMFと合意したことは、公共支出が現在の危機を招いたのだとする福祉国家に批判的な右派陣営に攻撃材料を提供した」。労働党と保守党は「労働者階級の危険な団結を非難することで手をとりあった」。ウィルソンとその後継のキャラハンの顧問だったバーナード・ドナヒューは、「サッチャリズムとして知られる特定の自由市場政治は、労働党政権と、なかんずくIMFによって「原始的な形で」始められた」と語る。
こうして「他の選択肢はありません」と主張したサッチャーが政権に就くことになる。

サッチャー政権は雇用を増やす政策を一切とらず、失業率は10パーセントを越えるようになった。とりわけこれが直撃したのは黒人コミュニティであり、警察は高圧的な弾圧を強めた。仕事のない黒人は昼間から街をぶらつくしかなく、それによってさらに警察から攻撃を受けた。暴動が起こったが、これには白人の若者も加わった。50年代後半に起こった「人種暴動」ではなく、黒人も白人も仕事とお金がないことの不満を吐き出すためにこうするより他なかった。「暴動を起こすことが彼らに行使できる唯一の集団的な力であった」。

労働組合員の数は急激に減少し、そして労働者階級の内部では分断が進んだ。サッチャー政権は失業の増大で支持率が下落傾向にあったが、83年の選挙ではチャールズとダイアナの結婚やフォークランド紛争で吹き上がったナショナリズムを煽ることによって圧勝を収める。サッチャーは労働組合の無力化政策をさらに押し進めた。84年には20の炭鉱が閉鎖される予定であることが発表された。2万人が失業することになるが、退職年金の増加や解雇のための支払い、失業手当などを考えると炭鉱労働者の雇用を継続したほうが安く済んだはずだが、サッチャーはこれを断行した。サッチャーの目的は実利的なものではなく、炭鉱労組を潰すことだった。炭鉱労働者はストに入り、これには驚くほどの支持が集まることになる(映画『パレードにようこそ』はロンドンのゲイたちが炭鉱労働者たちの支援に立ち上がる物語である)。サッチャーは動揺しているかに見えたが、「政府は警察を動員する能力があることを示し、新聞は権力側の戦いを支持し、労働党からはほとんど、あるいはまったく反対がなされなかった」。

失業率は高止まりしたが、保守党は福祉の削減を進めた。社会保障の削減によって「給付金文化」に陥るのを防止できると主張し、政府は公共支出をするのではなくボランティアに人びとを助けるよう呼びかけた。労働党はといえば、「一方には豊かな労働者がいて、他方には役立たずの失業者がいるという階級についての保守党の説明を甘んじて受け入れてきた」と労働党左派のトニー・ベンは苦々しく振り返っている。

労働者階級で保守党を支持していたのはどういった人びとなのだろうか。保守党の人気が高かったバジルトンという町について調査すると、一貫して人気があった唯一の保守党の政策が持ち家政策で、福祉削減にはあまり興味を示していなかった。失業率の高さには腹を立てていたが、調査をした研究者は「彼らには代わりの道が見つからない。……彼らの利害を代表してくれる政党がないのだ」と語っている。

サッチャリズムに対する労働党の弱腰な態度は「自由市場以外に代わりの道は存在しないという首相の主張を強化するだけだった」。保守党は「労働党がイギリスを破綻させる」と言い立て、「人びとにインセンティブを与えなければならない」と民営化を正当化した。サッチャーは87年には「社会などというのはありません」と言い放ち、「福祉の手当を増額したり労働組合により大きな力を与えたりすれば有権者が手にしているわずかばかりの安定性を奪い去ってしまうだけではないか」との恐怖をかきたてた。しかしそのサッチャーも人頭税をめぐってつまづき、退陣に追い込まれる。

とはいえ、これで政策の流れが変わったわけではなかった。後任の首相のメージャーは93年に失業率が10パーセントを越えると、「手当てをめぐる不正と闘うために「手当てホットライン」を開設した」。もっとも、内務省の計算によれば手当ての不正請求は社会保障予算の0.8パーセント未満にすぎなかった。

ついに政権交代が起こり、ブレアが首相に就任する。教育や医療などへの公共サービスへの投資は増えた。一方で、ブレア率いるニュー・レイバーは「貧しい人びとと「仕事がない人びと」の態度と行動を変えることによって貧困は減らせるし、社会的な不平等は改善されうる」とした。「取り組まなければならないのは雇用主の行動ではなく、教育や動機の欠如」ということになる。

「アンダークラス」への対応は社会的分断を深めることになる。「政府は反社会的行動禁止令を実施し、外出禁止令を出したり、問題を起こしがちな人物が特定の地区に立ち入るのを禁止したりすることにより、困窮した地域で問題行動をとる者たちを罰した」。不良たちに安全を脅かされ、政治家と警察から忘れ去られていた労働者階級の住民には歓迎する人もいたが、一方で「権力の座にある人たちを見つけるより簡単なわけですから、みんなあの若い人たちに文句を言ってますよ」という声があるように、本来取り組むべきことから目をそらせるための政策でもあった。

「反社会的行動禁止令によって社会的な分断は強化された。無責任なアンダークラスとそのまわりに住む勤勉な人びととのあいだの分断ではなく、豊かなエリートと仕事や財産や権力のない人びととのあいだの分断である」。
「労働者階級のコミュニティは社会的な「包摂」を進めるよう促されるのに対して、金銭的な面での包摂は優先事項ではなかったのだ」。


2011年に行われた調査では、労働者階級の年配者の間に「自分たちの子供たちや孫たちは、結婚をして子供をもてるほどの余裕が手にできないのではないか」との不安が広がっていることが明らかとなった。

「トニー・ブレアは新たな雇用構造を公共部門に採り入れ、仕事の柔軟性を強調しつつ、成果に応じた給与の支払いを導入した。ブレアは「成功する公共サービスとはフレキシブルなな雇用と労働の実践」であり、これには「フレキシブルな給与制度」と出来高に応じた給与といった「インセンティブ」が含まれると主張した。終身雇用と固定給と昇進構造は生産性の邪魔をする「制約的な実践」なのであった」。

同じく2011年の調査によると、働く成人ひとりにつき約4.5日の労働日が病気のために失われているが、「もっとも上位を占める原因がストレス、抑鬱、あるいは不安であった」。鬱病のような精神の不調を抱え、病気の状態で職場に来る人の数が急増したことを雇用主の側も報告している。とりわけ2008年に始まった景気後退期以降は、病気によって仕事を失うことを恐れ、心身に不調を抱えても仕事を休むことができない人が増えている。

一見豊かさを享受できるようになったかのようなブレア政権時代のイギリスであるが、労働者たちは絶え間ない不安に苛まれるようになった。そしてこの不安を利用し、さらなる分断が図られていく。2010年には保守党の財務大臣ジョージ・オズボーンが「給付金に頼って人生を寝て暮らす」ような「義務怠慢な人」や「責任回避者」を批判した。翌年には「デイヴィッド・キャメロンは、「努力なしでも与えられる報酬、罰の与えられない犯罪、責任をともなわない権利」の結果もたらされる犯罪と十代の妊娠と失業に特徴づけられた「壊れたイギリス」を立てなおすと約束した」。メディアもこれを無批判に拡散した。高級紙とタブロイド紙において「金をせびる人(スクラウンジャー)」という語が使われたのは2007年には46回だったのが、2010年には219回、2011年には240回に増えていく。1975年生まれの著者が同級生と再会すると、そのほとんどが、「「給付金を受け取るに値しない人たちも存在する」と信じていた」。
2011年の調査では労働者階級は「怠惰」「強欲」「薬物中毒」といったイメージと結び付けられ、中流階級は「勤勉」、「努力」をして「才能」をもちあわせているというイメージと結び付けられていた。

詐欺的に要求されているのは福祉予算の1パーセントに満たず、2010年から13年までのあいだに手当ての削減で影響を受けた人の60パーセント以上が働いている人びとだったが、労働者階級の間にも実態に基づかない印象が広がっている。元バスの運転手だった男性は福祉手当で生活いている人を「金をせびる人」と呼び、自分が生活が苦しく酒もタバコもやめなければならなくなったのに「金をせびる人」が酒やタバコをやっているのに腹が立つとしている。「しかし「福祉に頼って」いる人たちに向けられる怒りは、しばしば人びとの自分たち自身が置かれた状況への失望によって喚起されるものなのである」。

政治家たちは人種を、そして移民を分断に利用する。安価な労働力として移民を利用しながら、失業の原因を移民のせいにする。80年代を通して保守党に投票していたデボラという女性は、労働党支持者である父親と「黒人」に対する嫌悪を共有していたが、彼女の住む「小さな町では黒人をひとりも知っていなかったし、見たことさえなかった」。デボラは悪いことだとは思っていても、黒人が近所に引っ越してきたら出て行くと語る。「わたしたちは黒人と一緒に育ったことなんてないし、彼らがどんな生活をするか知らないから」。

「しかし、そうした態度は不可避だったわけでもなければ普遍的だったわけでもない。デボラの町よりも移民の数が多い地域に住む年配の白人労働者階級の人びとの多くは、イギリスが人種的、民族的にますます多様になっていくことがよい方向に向かう変化になりうると思っていた」。ところが「白人の労働者階級の人びとが不平等について語ることを許容された唯一の枠組みが人種と移民になってきた」。「雇用主や政治家から仕事や住宅の数には限りがあるのだと言われると、人びとは移民労働者に与えられる機会と比べて自分の子供や孫たちに与えられる機会のことが心配になる」。

「どの主要な政党も経済的な格差に終止符を打つとは言わず、すべての政党が移民を制限する必要があると述べる国において、人種は白人の労働者階級の人びとが自分たちの産み出す商品とサービスに対して権利を主張することができる唯一の方法になってしまっているのだ」。

支配層による福祉への攻撃という点では20世紀初頭に戻ってしまったかのようであり、その策動によって労働者階級内に広まる分断は状況がさらに悪いものであるようにも思えてくるが、著者は最終章において、ウィルキンソン、ピケットの『平等社会』やオーウェン・ジョーンズの『労働者階級の不良たち(チャヴス)』がベストセラーとなり、またイギリス人の60パーセントを越える人が自らを労働者階級であると思っていることなどに希望を見出そうとしているような締めくくりをしている。しかしその後に書かれた「後記 わたしたちの現状 2011-2015」ではやはり暗くならざるをえない。

『平等社会』を熱心に読んだと語るキャメロンだが、「政府は政権発足以降十八歳の三分の一しか高等教育の恩恵にあずかれていないという事実にもかかわらず、大学が授業料を三倍にするのを認めた。福祉の給付金を減らし、給付金の申請をむずかしくした。何千人もの人びとを公営住宅から立ち退かせ、所得税ではなく消費にかかる付加価値税を増税することで、もっとも稼ぎの低い人びとが不当に厳しい生活を強いられる状況をつくりだした」。

職があってもこれを失うのではないかという不安に苛まれ、厳しい労働条件で長時間働こうとも生活は苦しい。労働者階級が団結することを何よりもおそれるエリート層は、なんとか職がある人と、失業者・福祉手当受給者・移民との間に分断が起きるよう誘導し、メディアもそれに加担する。こうして労働者階級をめぐる状況は悪化の一途をたどっているように思えてきてしまう。

ただ絶望するしかないのだろうか。それこそがエリート層の望みだろう。著者はこの言葉で本書を締めくくる。
「人びとはたいていの場合、成功の望みなどほとんどない状態で何かを変えることに着手したが、変化のペースは人びとに勇気を与えるくらい急速であることも多かった。一九三三年の暗黒の日々に、十二年後にはイギリスが完全雇用と福祉国家へと邁進しているなどとは誰も予想できなかったことだろう。また、一九四五年の総選挙で票を投じた人びとは、自分の子供たちが一九六〇年代と一九七〇年代の抗議活動を通じて黒人、女性、住宅を貸借している人びと、ふつうの労働者の権利の拡大を大幅に推し進めることに貢献しようとは予見できなかったのではないだろうか。もし過去が何かしらわたしたちに教えてくれることがあるとすれば、それは次のことである。もしよりよい未来を望むのならば、私達はそれをみずからの手でつくることができるということであり、つくりだすべきだということである」。


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