『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』

ジェイ・ルービン著 『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』




ジェイ・ルービンが日本文学と出会ったのは1961年のことだった。シカゴ大学2年生だったルービンは、夏目漱石の『こころ』の翻訳でも知られるエドウィン・マクラレンの「日本文学入門」というクラスを取った。日本語を学んだことのない学生が対象の授業でテキストはすべて英訳だったが、これをきっかけに日本語を学び始める。
夏休みには小さなトラックでアイスクリームを売り歩くアルバイトをしたのだが、バナナスプリット用に大量のバナナがあったことが「日本語の勉強の役に立った」。その皮にボールペンで漢字を書いてみると「何とも言えないスムーズな手ごたえですらすら書け、すぐ覚えられたのだ。これは読者の皆さんにお勧めしたいと思う」。
雇い主が漢字だらけのバナナの皮を不審に思い、「あれは何だ」と聞かれたので、「中国産のバナナです」とごまかすと「あ、そうか」と「気にせずに帰っていった」。

と、このように基本的には軽いタッチで書かれたものが中心となっている。扱われている話題は村上春樹とその作品、翻訳について、彼との個人的交遊などが中心になっているが、その他にも日本文学関係の話題から自伝的、身辺雑記的エッセイまでと幅広い。


もともとは夏目漱石をはじめとする明治の日本文学の研究をしていたため、現代日本文学には関心を持っていなかった。村上の作品を初めて読んだのも、すでに『羊をめぐる冒険』の英訳が少し話題になっていたことから、ヴィンテージ社から『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出版に値するかどうかを判断してほしいと依頼されたためだった。いざ読んでみるとたちまち魅了され自分が翻訳したいと申し出るが、ヴィンテージ社は出版しないことを決定した。

ルービンは村上作品を読んだ時、「わざわざ私のために書かれたかのようだった」と思ったという。僕自身も、十代半ばで初めて『風の歌を聴け』を読んだ時に同じような気分になったものだったが、村上より年上のルービンにも、そして親子ほども年の離れた(というか村上と僕の母は同年齢である)僕のような世代にもこのように思わせてしまうことこそが村上が広く読まれる理由であろうが、ルービンはこれを「密輸入」に例えている。

「フレッシュで、微笑ましくて、結局説明を許さないイメージは直接に村上さんの頭脳から一人ひとりの読者の頭脳へ伝わる。ある密輸入者のように、村上春樹は当局の監視を避けて、国境を通り抜けて、関税を支払わないで、自分の心から直接に世界中の読者の心へ貴重な品物を届ける。その、当局を避けている気持ちは非常にスリリングでプライベートのように感じられるので、世界中の読者は、村上春樹という作家が自分のために書いていてくれている、自分の心の中にあるものを理解してくれていると思うようになり、膨大な数で、村上ファンになるのではないだろうか」。

ヴィンテージ社からは出版を却下されたものの、ルービンは村上の住所を調べ、いくつかの短篇の英訳の許可を直接得ることにした。エージェントから提案を歓迎するという返事があったので、「パン屋再襲撃」と「像の消滅」の訳を送った。数週間後、電話が鳴ったので出てみると、「今まで聞いたこともない、まか不思議な、鶏を絞め殺すような音がずっと聞こえて」きた。ガチャリと切ったのであるが、また電話がかかってくる。恐る恐る受話器を取ると、「こちらは村上春樹ですが」と日本語が聞こえてきた。村上はルービンの英訳を『プレイボーイ』誌に載せたいと電話してきたのであった。

後に判明するが、「鶏を絞め殺すような音」の正体は村上がファックスを送ろうとしていたのだった。村上は「とてもシャイだったようで、知らない人とはなるべく直接電話で話したくなかった」のであるが、ルービンが「技術的に後進的」だったために電話せざるをえなかった。連絡を取ると、当時村上はプリンストン大学滞在中で、ルービンのいたハーバードのあるボストンとは車で4時間ほどの距離だった。こうして作家と翻訳家として、そして友人としての長い付き合いが始まる。


欲をいえば、日英、英日をはじめとする翻訳に関心がある人のために、翻訳に焦点をあてた文章がもっと読みたかったのだが(これだけで一冊編んでもそれなりに需要はあるのではないだろうか)、それでもいくつか技術的なことにも触れられている。

日本語では名詞の単数と複数を区別しなくてもいいが、日本語を英語に訳そうとするとこれがやっかいなことにもなる。『1Q84』で、青豆は月が二つあるのに気づくのであるが、他人に尋ねて頭がおかしいとは思われたくもない。そこで電話での会話で探りを入れるという場面がある。この会話は「言葉の単数、複数の曖昧さによって成り立つ」。日本語なら単数でも複数でも「月」ですむのであるが、英語ではこれを区別しなくてはならない。話し相手のタマルが「moons」を使えば彼が月が二つあるのを見たことが青豆にわかるため、タマルが見ている月が一つなのか二つなのかはぼかされねばならない。ここをどう処理したのかというと、「moon-viewing」と「月見」に変えたり、代名詞を使うことで「moon」を省略するなどして対応した。

またこの場面でも顕著な、「内的と外的独白の区別と、一人称と三人称の語りの区別は、日本語では非常に曖昧」であり、これをどう処理するのかというのも英訳にあたって難問となったのだが、ルービンはこういった日本語小説の特徴を謡曲の伝統という視点からも分析している。このあたりは日本語を母語にしているとかえって見えてこないのかもしれない。

翻訳は究極の精読といってもいいだろうが、『ねじまき鳥クロニクル』を訳した際(ちなみにここでも英語では「クロニクル」を単数にするか複数にするかという問題が生じた)には、疑問点を直接村上に会って解決しようとして、こんなやりとりがあったそうだ。

「『ねじまき鳥クロニクル』は水のイメージが大事だが、第1部3章で主人公の岡田亨のネクタイのパターンが「水玉のネクタイ」と形容されているところは、作家がわざと水玉の水を強調しているなら、「水玉の」の普通の英訳の「polka-dot」には水のイメージが現れないので「polka-dot」の代わりに「water-drop-pattern」として翻訳した方が村上さんはいいと思いますか」。

他にも第2部で出てきた「塀」は「wall」とすべきか「fence」か。第2部7章で登場するフォークシンガーはここでは「茶色のプラスティックの縁の眼鏡をかけていた」が、17章では「黒いプラスティックの縁の眼鏡」になっているがわざと色を変えたのか、等々といった疑問が出てくる(村上がどう答えたかは本書をお読み下さい)。
さすがに丸一日かけて延々とこういった質問攻めに合うのには村上もげんなりしてしまったようで、ルービンも一度にまとめてやるのはこれを最後にしたそうだ。

村上は自身でも翻訳を行っていることから、訳に対する注文は厳しいのだろうと覚悟していたが、英訳についての村上の反応は意外なものだった。「その時期村上さんが自分の小説の翻訳を評価する方法は、両方のテキストを綿密に読み比べるのではなく、ただ、英文を読んで、英文の小説として面白いかどうかを判断することだけだった」。
フランス語小説を翻訳している友人が原著者と激しく議論しているのを見ていたので、「面白かった」とだけ簡単な返事をされることには「いささか不満」もあったが、これは村上自身も翻訳を行っているからこそ訳者の主体性を大事にしたということもあったのかもしれない。

唯一の例外が『ノルウェイの森』で、これは西洋でもベストセラーになるかもしれないということで、村上は訳を細かくチェックした。すると「かわってあげたかった」とあるのを「わかってあげたかった」と読み違えて訳している箇所を発見する。「「かわってあげたかった」というところを漢字を使わずに書いたばかりに私の目が「わかってあげたかった」と読み違えたのだと、村上さんはあたかも間違いが自分のせいだったかのように謝ってくださった」。

もっとも作家と翻訳家が常にこうした幸福な関係になるのかといえばそうともいかず、ルービンは野坂昭如との間にあった不幸な行き違いにも触れている(これも野坂らしいといえばらしいエピソードになっている)。


またアメリカでの村上人気の高さを表すエピソードもあるが、そのうちの一つがMITで2005年に行われた講演だ。これまでも錚々たる顔ぶれの作家たちが講演を行っていたが、500人収容のホールが満席になることはなかった。ところがこの日は人が殺到し、通路にも人を入れたがそれでも入りきらず、おまけに大学の消防署が火災法によって席についている人以外は退室を求めたために、一度はなんとか中に入りながら涙ながらに会場をあとにした人もいたという。
そして「村上さんは世界の実体を見せてくれます。しかも私たちが見たことのない世界の実体ではなく、私たちがそれとは知らずに日々見ている世界を見せてくれるのです」と村上を紹介したのは若き日のジュノ・ディアスだった。今となっては紹介役を務めるだけでなく対談でもしてくれていればと思ってしまう。

この頃の映像





村上関連以外では、『風俗壊乱』として出版される検閲の研究にちなんだ発表をもとにしたものも収録されている。これは82年に行われたもので、83年に『諸君』に掲載された。本書にもあるようにルービンは江藤淳のもとで漱石研究を行っていたので、江藤らがしきりと書き立てていた占領軍の検閲について引っ張り出されたのだろう。本書収録のものは手を加えたものなので『諸君』にどのような形で載ったのかはわからないが、ルービンは占領軍による検閲を批判的に検証しつつ、「とにかく、検閲というのは短ければ短いほどいい。6年半の占領検閲は77年の帝国検閲ほど日本の心的生活に害を与えたとはどうしても思えない」と結んでいる。

『風俗壊乱』でルービンは日本(社会)が大日本帝国下における検閲と正面から対峙しなかったことを厳しく評価しているし、ここでもやはり占領軍に対し、実務にあたっていた日本人のブリーファーが拡大解釈し、むしろ積極的に検閲の範囲を広めようとしていたことも取り上げている。
現在、江藤のような「保守」がいた時代はまだよかったと考えるか、当時から日本の「保守」とはこのようなものだったと考えるかはいろいろであろうが、個人的には後者の意見である。占領軍が検閲を行っていたのは周知の事実であるし、それは様々な角度から批判的に検証されてしかるべきものだ。しかしだからといって大日本帝国下での検閲が相対化されるはずもないのだが、これを意図的に混淆させミスリードさせるのが狙いであるのは明らかである。そしてそれは「GHQによる洗脳」云々という極右陰謀論へと「結実」していくのであるから、現在の惨状の種をせっせと播いていたのは江藤らの世代の「保守」だったとすべきだろう。
ルービンの発表は『諸君』としては当てが外れたという感じだったのかは知らないが、日本政府(というか自民党)の政策を批判する日本人を売国奴と罵りながら、自国政府の日本への政策を批判する外国人はやたらと有難がるというしょうもなさというのも、この頃にはすでにあったとすべきか。

そういえば、60年安保の敗北もあって保守化しつつあった江藤は60年代後半をプリンストンで過ごし、保守化を通り越して右翼化してしまうことになる。村上はそのプリンストンでの授業で江藤の『成熟と喪失』を使っていたこともあって、90年代半ばの村上もこうなるのではないかという危惧を持った人もいたが、村上は「日本人」としての責任意識に目覚めながらも江藤のような道は取らず、むしろそれを批判する方を選んだ。このあたりは「アメリカ」に対し直感的にどのような感情を抱くかといった世代的な差異もあるのだろうが、村上について考えるうえで重要なポイントでもあろう。


ルービンの初の小説である『日々の光』の成立過程についても語られている。日系人強制収容を扱ったこの小説は、日本人を妻に持つアメリカ人としても他人事ではない歴史であろうが、何よりもルービンはアメリカ人として、アメリカ合衆国がその憲法の精神にそむいてこのようなことを行ったのに憤っている。

レーガンは政府として公式の謝罪と補償を行い、さらには5000万ドルの教育基金も設立された。結局この教育基金はどんどん減額され500万ドルにまでなってしまうように、アメリカ全体がこの謝罪や教育事業に真摯に取り組んだとまではいえないが、それでもその一部は「シアトルにおける、強制収容所の歴史資料を永久保存するホームページ「伝承」が発足するための基金」として使われるなど、確かな実績も残している。「和解」とは忘却によってもたらされるのではない。記憶するという責任をはたしてこそ、初めて困難なその一歩が踏み出されるのであり、まさに日本人こそが学ぶべき過程であったはずだ。

ルービンは70年代にシアトルのワシントン大学で教鞭をとるためにここに越した。子どもたちが通った学校は、ボーイング社に勤めるエンジニアの子など白人が中心であったが、長男の源の担任になったのは若い黒人女性だった。ある日源が弁当におにぎりをもっていくと、「お前の弁当臭いじゃないか」、「おい、なんだ、その黒い紙は」、「おーい、源は紙を食べているぞ」と囃し立てられた。するとこの担任は、「私スウシイー大好き、少しちょうだい」と手を伸ばし、「源、あなたはすごくラッキーだわ。こんな美味しいものを毎日食べられて」と言った。すると囃し立てていた子どもたちまで恐る恐る試食をし、その結果「妻は余分におにぎりを作るのが毎朝の日課になった」。このあたりの経験は『日々の光』にも活かされている。

同じ頃、ピアノレッスンを始めた源はその才能を評価され、「ワシントン州では1,2との評判のピアノ教師」に紹介される。このピアノ教師はシアトル生まれの日系二世のミセス・宮本で、「ワシントン大学の社会学教授だったミスター・宮本は4年前に100歳でお亡くなりになったが、源のピアノの先生であったミセス・宮本は今年100歳のお誕生日を迎えられ、健在である」とのこと。

その源が今何をしているのかというと、メアリー・J・ブライジ、アレサ・フランクリン、日本のゴスペラーズや福原美穂、韓国の少女時代などに楽曲提供を行っており、パウリナ・ルビオに書いた「Don't Say Goodbye」はチャートの上位にも入いったそうである。


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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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