『騎士団長殺し』 顕れるテーマ編

村上春樹著 『騎士団長殺し』





ということで文体編に続きようやく本題に。


「私」は画家である。画家といっても著名であったり成功しているわけではなく、企業経営者の肖像画を描くなど意に沿わない仕事をして糊口をしのいでいた。それでも、「私」は自分なりの流儀でベストを尽くしていたし、その仕事は顧客からもエージェントからも評価されていた。建築事務所に勤める妻との関係は良好だと思っていたのだが、判然としない理由で突然別れを切り出されてしまった。その衝撃と喪失感とから数か月間あてのない旅を続け、ようやく帰ってきて連絡を取った相手が、美大時代からの数少ない友人である雨田政彦だった。政彦の父具彦(ともひこ)は高名な日本画家だ。具彦は妻に先立たれ、自身も認知症を患い施設に入っており、小田原のアトリエを兼ねた山荘は空き家になっていた。政彦は空き家にしておくと家が傷むし無用心だからと、「私」にこの山荘に住んだらどうかと声をかけてくれた。

こうして「私」の新たな生活が始まったが、ある日、屋根裏から物音がしてくるのに気づいた。ネズミか何かが入り込んだのかと屋根裏に上ってみると、そこにいたのはみみずくだった。そして「私」は、みみずくに導かれたかのようにこの屋根裏で、「こっそり隠すように置かれていた」絵を発見する。そこには「騎士団長殺し」というタイトルがあった。
そして「私」のもとに、奇妙な依頼が舞い込むのであった。


このように「いかにも村上春樹的」な物語であるとすることもできるし、過去作の再利用が目立つとすることもできるだろう。「私」が意味があるとは思えない仕事でも自分の流儀でベストを尽くすというのは『ダンス・ダンス・ダンス』の「文化的雪かき」が思い浮かぶし、離婚の雰囲気は『羊をめぐる冒険』のそれのようだ。彷徨するのは『ノルウェイの森』、奇妙な依頼や人里離れた山荘も『羊』であるし、死に瀕した老人は様々な作品に登場する。何よりも、実体化する「イデア」は「羊男」以来村上作品においておなじみのものである。
そしてまた、設定のみならず主題においても村上春樹的世界が展開されるのであるが、その行き着く先はこれまでの延長とすることもできるとともに、一人称作品としては趣を変えたとすることもできるものとなっている。


以下、作品の結末部分にも触れているので、未読の方はご注意を。



村上春樹といえば、デビュー時から「バタ臭ささ」の代名詞のように語られてきた。その作品が欧米に紹介され広く読まれるようになると、肯定的な意味で、作品の舞台がニューヨークやパリやローマであろうとも違和感がないとされた。欧米の読者はムラカミ作品にタニザキやミシマのようなエキゾチズムを求めるのではなく、日系の作家が英語で執筆したかのごとく、自分たちと地続きの物語として受容したのである。

一方で村上作品に早い時期から東アジア的叙情性を見出していた論者もいたし、また欧米においても、『海辺のカフカ』を絶賛したジョン・アップダイクの書評に代表されるように、怨念が実体化し現実を動かし、またそれをごく当たり前のごとく受け止めるというところなど、『源氏物語』をはじめとする日本文学、文化の伝統の延長線上に位置するという読まれ方もなされている。村上作品の英訳者であるジェイ・ルービンも村上の作品に日本の古典芸能との関連性を見ている。

『騎士団長殺し』は、村上自身がまさにそれを意識した作品でもあろう。村上とも個人的に交流のあった河合隼雄は、村上作品が極めてユング的であると評価しているし、精神分析をはじめ批評的視座から作品を読まれることを嫌う村上であるが、この評価は素直に受け入れている。『騎士団長殺し』はより一層ユング的な、集合的無意識をさらに押し進めたものとして読める。しかしそれよりも、仏教の縁起的世界に近いのかもしれない。

村上がある時期まで登場人物に名前を与えることに消極的であったのは、その作品が深読みを誘発させるという一般的なイメージと異なり、むしろそれを恐れていたからとすることもできる。80年代後半以降は徐々に名前が与えられていき、さらにそこにはっきりと意味を埋め込むという大江健三郎的手法までとることになる(「恐れ」を失った村上作品から引き締まった緊張感が薄れたとすることもまたできよう)。これは「手の内」を探られることを恐れなくなったとすることもできる。本作でも『海辺のカフカ』に引き続いて上田秋成の名を直接出し、仏教のある一面についても直接的に語られている。もちろん仏教といっても何か特定の信仰を説いているのではなく、あくまで仏教的世界観であり、それを相対化させるようにカルト臭のする怪しげな仏教的新興宗教団体も顔をのぞかせている。

『海辺のカフカ』が典型的であったように、まるで関わり合いのなかった人々の別々の行動が結果としてこの世界に大きな影響を与えるというのは、「袖振り合うも多生の縁」を物語化したものでもある。自らとは無関係に思えるような歴史から呼びかけられるのであるが、これも『羊をめぐる冒険』以来おなじみのものである。


雨田具彦は洋画家としてキャリアを開始したが、1936年から39年にかけてのウィーン留学を経て日本画へと「転向」した画家という設定になっている。時期的に考えればファナティカルな日本主義に捉われたのかと思ってしまうが、そうではなかった。具彦は特権階級の出身だったこともあって戦時中は沈黙を守ることができ、ひたすら創作に励んだ。戦後、他の画家が戦争協力を批判されるようになっても、この点で無傷であったこともあって画壇で成功していくことになるように、具彦の「転向」は自民族中心主義に陥った結果ではなかった。

具彦のこの経歴は、村上は自身の姿をいくらか重ねることができるだろう。村上はデビュー作をまず英語で書き始めたというのは有名なエピソードである。キャリアを重ねるごとに、日本社会の(あるいは日本の文壇の)住み心地は村上にとってますます居心地のよいものではなくなっていく。海外で評価されたこともあって精神的な意味で「亡命作家」となってもおかしくはなかっただろうが、それでも村上は日本を完全に棄てることはなかった。また同時に、欧米への長期滞在後に国粋主義化するという、江藤淳をはじめとする日本の文化人にしばしば見られる傾向とは逆のベクトルで、日本人としての責任を引き受けようとしている。

「騎士団長殺し」とはモーツァルトのオペラ、『ドン・ジョバンニ』から取られている。具彦はこれをなぜか日本画の手法で描いている。いったいこの絵が意味するものが何であるかというのがこの物語をドライヴさせる謎の一つであるが、これは村上自身の姿を暗示したものであると共に、具彦には村上の父、千秋の姿を重ねていることもまた明らかだ。作品の舞台となっているのはおそらくは2007年前後、92歳の具彦はいつ息を引き取ってもおかしくない状態である。そして千秋は2008年に90歳で亡くなっている。

村上は父と必ずしもいい関係を築けなかったことを隠そうとしていなかった。デビュー作『風の歌を聴け』には父親への言及があり、ここには父とその世代へのアンビヴァレントな感情が描かれているのだが、これ以降長らく村上作品は親子の関係を描くことはなかった。しばしば登場する、様々な姿をまとう死にかけた老人たちは、村上の父への複雑な感情を反映したものでもあるだろう。


2009年に村上はエルサレム賞を受賞した。この受賞スピーチで村上は父について珍しく率直に語っているが、その印象はこれまでとは異なるものでもあった(このスピーチは『雑文集』に収録されている)。

「私の父は昨年の夏に九十歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました」と村上は語っている。
村上千秋は大学院在学中に召集され、中国大陸に送られて戦闘に参加した。戦後になっても千秋は毎朝、朝食を取る前に仏壇に祈りを捧げていた。「何のために祈っているのか」と、息子は一度尋ねたことがあった。「戦地で死んでいった人々のためだ」と父は答えた。「味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈って」いた。「父の祈っている姿を見ていると、そこには死の影が漂っているように、私には感じられました」。

村上はこう続ける。
「父は亡くなり、その記憶も――それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに――消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです」。


具彦が「騎士団長殺し」に込めたメッセージの解読は、当初は歴史ミステリーへと展開していくのかに思われたが、それは詳細が不明のまま、具彦の二つの悲痛な喪失が明かされることになっていく。具彦には音楽を学んでいた継彦(継ぐ!)という弟がいた。彼は有力者を父に持つ大学生であったが、書類の不首尾からか召集され(もちろんまだ学徒動員が始まる前である)、中国大陸に送られ、南京攻略に参加し、そこで中国人の首を刎ねねばならなくなった。ここで描かれているのは『ねじまき鳥クロニクル』の「要領の悪い虐殺」の反復であるが、『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』が満蒙がキーとなる土地であったのに対し、南京での蛮行を描いているのは、南京虐殺に象徴される中国大陸での蛮行の数々の記憶を「引き継ぐ」ことが責任であるという意識がより高まったからであるのかもしれない。

村上は中国大陸で父の身に何が起こったのか、最後まで訊くことができなかったようだ(少なくともそれを表にはしていない)。父が中国で死んでいれば戦後に生まれた自分は存在していなかったという可能性は、子どもの頃から強烈にこびりついていたことだろう。同時に、父は中国での蛮行の加害者であったのかもしれないという疑念もあったことだろう。千秋が日本軍の蛮行を直接目にしたのか、間接的に耳にしただけなのか、あるいは雨田継彦のように、無理やりにその直接の加害者にさせられたのかはわからないままだ。

継彦は「ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生まれてきた男だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃな」かった。その継彦は帰国後に自ら命を絶つ。
政彦はこの会ったことのない叔父についてこう語る。「継彦叔父はその上官の命令に逆らえなかった(……)それだけの勇気も実行力も、叔父は持ち合わせていなかった。しかしその後、剃刀を研ぎ挙げて自分の命を絶つことによって、自分なりの決着をつけることはできた。そういう意味では、叔父は決して弱い人間ではなかったとおれは考えている。自らの命を絶つことが、叔父にとっては人間性を回復するための唯一の方法だったんだ」

「私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです」と村上はエルサレム賞のスピーチで語った。「国籍や人種を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。(……)我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」。

「システムというものはいったん動き出したら、簡単には止められない」、雨田政彦は叔父が不可解にも招集されたことについてこう語る。
そして継彦の死は、「ただ性格が弱い、根性がない、愛国心に欠けているというだけで片付けられ」てしまった。「当時の日本ではそんな『弱さ』は理解もされなければ受け入れられもしなかった。ただ家族の恥として闇に葬られるだけだ」

このように、本作はエルサレム賞受賞スピーチを小説化したものという一面を持っている。


「騎士団長殺し」は、具彦自身のウィーンでのある体験と、弟の死の衝撃から描かれたようだ。具彦は洋画から日本画へと転向したが、自民族中心主義に陥って「日本回帰」したのではなかった。この自らの内面を明らかにしない、偏屈な老人が描こうとしたものは、また村上が紡ぐ物語でもある。生き残った後に亡き戦友と中国人の犠牲者のために祈り続けた父千秋は、具彦であったのかもしれない。そして継彦のようになっていた可能性もあった。そうなっていれば、春樹はこの世に誕生することはなかった。日本には数多くの継彦たちがいた。そして継彦が中国人の首を刎ねたように、「システム」の被害者であり同時に「システム」の末端を担う加害者でもあった彼らによって、南京で虐殺された中国人をはじめ数多くの人々が、これから在り得たかもしれない数多くの可能性を、暴力によって断ち切られたのであった。

父との関係がうまくいかなかったことを隠さない村上であるが、また一人っ子であった自分が甘やかされて育ったともしている。かつてエッセイで書いたように、子どものころ春樹は「ツケ」で本を買うことが許されており、欲しい本を好きなだけ手にすることができた。千秋は戦前の京大で大学院にまで進んでいるのだから、研究者になっていてもおかしくはなかったほどだったことだろう。春樹は両親がともに国語教師であったことからそれへの反発もあって、かえって外国文学を読み漁り、日本文学などほとんど読まなかったとしていたのだが、これを文字通りに受け取ることはできない。『ノルウェイの森』のミドリの父との挿話は、春樹と義父との関係だけでなく、実父との歩み寄りの可能性を示すものでもあったのかもしれない。そして千秋の死の直後に刊行された『1Q84』では、文字通りの父との和解を描いている。そしてこれと前後して、その作品内部で『海辺のカフカ』や『騎士団長殺し』における上田秋成をはじめ、日本文学からの影響を進んで認めるようになっている。

千秋が生きて日本に帰ってきて、自ら命を絶つことなく、子どもを持つ決意をしたから春樹がいる。1949年に生まれた春樹は、自分は戦後生まれなのだから戦争とは何の関係もないし、負うべき責任などないとは考えていない。そう考えることなどできないし、それは許されるものでもない。そして、この偶然によって生まれた自分が果たすべき責任とは何なのか、それが村上の一貫するテーマであるし、『騎士団長殺し』のある部分はそれがストレートに表れている。「私」は自分の父とは疎遠になっているのだが、あえてこのようにしたのは、これは単に個々の親子の絆を見つめ直すということではなく、象徴的な意味合いにおける親子関係と、それが「縁」となる歴史の引継ぎを描こうとしたからであろう。


『騎士団長殺し』はこのように、歴史への責任意識というのが一つのテーマでもあるが、既に述べたように縁起的世界を「メタファー」として描いたものでもある。そしてこの両者は村上にとって不可分なものでもあろう。

本作について長過ぎると感じる読者もいることだろうし、正直僕も、とりわけ前半はもっとすっきりできるはずなのに、と思いながら読み進んだ。「すっきり」していないのは、例えば『羊』では素敵な耳を持つガールフレンドが担う役割をこちらでは複数の人物が担っているために、まどろっこしさが生じてきてしまうところにある。しかしそれは意図的に生じさせたものでもあるだろう。

本作の登場人物はその環境や体験や精神が重なり合うことになる。「私」には3歳年下の妹がいる。具彦と継彦の年齢差は3歳だ。「私」の妹は中学一年の時に亡くなってしまうが、「私」は中一の少女まりえと出会うことになる。免色は精液を搾り取られるかのような奇妙なセックスを体験したことがあり、まりえが生物学上自分の娘なのではないかと考えている。「私」は夢の中で妻のユズと強引に交わり、ユズは「私」とはセックスするのを避け、新しい恋人とは慎重に避妊していたはずなのに、妊娠してしまう。こういったことが繰り返されるために分量がふくらんでいっている。

誰もが誰かと入れ替わりが可能であるようだ。しかし同時に、「たとえ凡庸であっても、代わりはきかない」とも口にされる。村上千秋は中国で戦死していたかもしれない。戦場での体験に耐えかねて自ら命を絶ったり、このような世界にあって子どもを作るまいと考えた可能性もあっただろう。村上春樹という存在がこの世にいるのは偶然でもあり、それは誰の身にも起こりうることでもあり、そして村上春樹という存在、あるいはこの物語を手に取る読者は、交換不可能な唯一無二の存在でもある。

生物学的繋がりの如何に関わらず、「親」という存在に人間は左右されずにはいられないし、望むと望まざるとに関わらず、この社会から完全に逃れることはできない。社会は歴史から切り離され、突如としてどこからともなく姿を現すのではない。「我々がシステムを作った」のであるように、我々がこの社会を作り上げてきた。それは長い年月をかけて、正の面も負の面もその両面を吸い上げ、姿を変えながら存在し続ける。我々一人一人は、その社会をつまみ食いすることはできないし、そんなことは許されない。そこで生きていく以上――というか、人間はそこでしか生きていけないのだから――そこに積み重ねられてきた歴史に対して責任が生じることになる。
井戸の底へ、祠の地下へと降りることは冥府下りでもあり、また集合的無意識に分け入り、それを共有することでもある。そこでは歴史の深淵がのぞかれ、他者と(無)意識を分かち合う。


80年代の村上は、一般的には(とりわけ左派的な人にとっては)、社会に背を向けた現状肯定の微温的保守主義者、自分のことしか考えない悪しき個人主義者と映っていたことだろう。実際にはデビュー作である『風の歌を聴け』にすでにあったように、とりわけ中国、そして親の世代の戦争というのは村上にとって当初から重要なテーマであり、羊憑きの先生のモデルが児玉誉士夫であるように、戦前、戦中、戦後の連続性というのが常にテーマとしてあった作家でもあった。

あえていえば左派的な歴史意識のもとで作品を書いてきたことは明らかであったはずなのに、ではなぜ「誤解」が生じたのかといえば、80年代の村上にとっては日本(という社会)に生まれ育ったことによる責任意識よりも、日本(社会)という「システム」への嫌悪感の方が強かったためだろう。80年代に書かれた長編の結末はペシミスティックなものが多い。『羊』では、最低限の抵抗は行えたものの、「僕」は失われたものに涙を流す。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、「私」は「世界の終わり」を淡々と受け入れることになる。『ノルウェイの森』では、ワタナベは自分がどこにいるのか見当もつかないまま、電話で緑を呼びつづける。そのペシミズムはシニシズムにさえ接近しているようにも受け取られかねなかった。

これが『1Q84』になると、BOOK3は「社会の闇をえぐりだす」といった凡庸な期待をあえて裏切るかのような奇妙にも思える明るさに包まれ、『多崎つくる』にいたっては、かえって不気味さすらたたえているかのように丸く収まってしまう。2000年代以降、三人称という新しい「ヴィークル」で一人称時代の作品の「語り直し」を行ってきた村上だが、このように作品の着地点も異なるものとなっていった。

端的にえば、否定から肯定へと舵を切ったのである。オウム事件によって「物語」を改めて問い直すことになったことも「肯定」の物語が生み出されるようになった契機の一つであろうが、しかしすでに、『ノルウェイの森』を経て書かれた88年発表の『ダンス・ダンス・ダンス』は、『羊をめぐる冒険』の「続編」にあたるにも関わらず、人のぬくもりの中で目を覚ますかのような肯定的な結末となっている。この点でも『ダンス・ダンス・ダンス』は2000年代以降の村上の長編を予告するものとなっているかのようだ。94年から95年にかけて発表された『ねじまき鳥クロニクル』は、80年代と2000年代の長編の中間のような終わり方となっている。

『騎士団長殺し』はここ十数年村上が行ってきた、一人称時代の作品を三人称によって「語り直す」こととは様相を異にする。ほぼ全面的に一人称によって書かれたこの物語で試みられているのは、2000年代以降の長編作品、つまり「肯定の物語」を、かつては「否定の物語」を書いた一人称で語り直すことだろう。


繰り返しになるが、本作は村上の過去作品の再利用が目立つものとなっているが、そのまま移し換えているのではない。『羊』で「僕」は離婚する。『羊』では妻が子どもがいれば離婚していなかったのかもと言うが、「僕」はこんな世の中に子どもを生み出すということに否定的である(そしてこちらに書いたように、五木寛之との対談で語っているように、これは村上自身の感情でもあったことだろう)。一方『騎士団長殺し』では、子どもを拒むのは妻の方であって、これを反転させているのである。

本作には様々な設定において過去作を流用しているが、決定的に異なる部分がある。それは「悪」の存在だ。
『1973年のピンボール』でジェイの猫は、誰かに万力で潰されたかのように片手が潰された。鼠が「まさか」と驚くと、ジェイはこう言う。「無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれているって言ったっていいかもしれないね」

『羊をめぐる冒険』では「羊」として人にとり憑き、『ねじまき鳥クロニクル』では綿谷ノボルとなる、理由もなく猫の手を潰すような抽象的にして絶対的な「悪」の存在も、2000年代以降の長編も含めて、村上が繰り返し描く、一貫するテーマであり続けている。

『騎士団長殺し』も「悪」がその姿のぞかせないのではない。
「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」という「私」に、雨田政彦はこう言う。「人の首を刎ねるのに馴れることのできる人間は少なからずいるはずだ。人は多くのものごとに馴れていくものだ。とくに極限に近い状態に置かれれば、意外なほどあっさりと馴れてしまうかもしれない」

『羊をめぐる冒険』で、鼠は「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……」と言い、羊の誘惑を拒否して首を吊る。「羊」とは「システム」を支配する存在でもあり、継彦は「システム」に同化するのを拒むために、「人の首を刎ねるのに馴れる」ような人間にはならないために、「人間性を回復するため」、自ら命を断った。継彦は蘇った鼠でもあり、彼は自分を保ち「悪」を封じこめるためにも自ら命を絶たなければならなかった。

そして「私」に迫る「二重メタファー」は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」と同じく、抽象的な「悪」でもある。

しかし、全体的な印象はかつての作品とは異なるものだ。認知症で会話すら行えなくなっている雨田具彦は、寝たきりになっている羊憑きの先生の再来かとも思われたが、むしろ『ノルウェイの森』の緑の父のようであり、『ねじまき鳥クロニクルの』の本田であり、『1Q84』の天吾の父に近い。謎の依頼者である免色も、『羊』の黒服の男を思わせるように、何もかもを仕組んで計算しつくしているかのようで不気味な印象を与えるが、しかし彼はあの哀れなギャツビーであることが明らかとなる。
『騎士団長殺し』では抽象的にして絶対的な「悪」は「メタファー」にとどまり、『海辺のカフカ』のように実体化して現実世界に現れることはない。

何よりもその差が表れているのが、妻の妊娠である。『ねじまき鳥クロニクル』では、不可解な妊娠を遂げたクミコは中絶を行う。ここでは妊娠は呪いであり、この妊娠と中絶は終わりの始まりとなる。しかし『騎士団長殺し』では、ユズの不可解な妊娠は「恩寵」となる。夢の中で妻と交わったものの実際にはセックスをしておらず、自分が生物学上の父でないことは明らかであるにも関わらず、「私」は子どもの父親になることを強く望む。

『ねじまき鳥クロニクル』をはじめ、ミイラ取りがミイラになるかのように(この言葉は『騎士団長殺し』にも登場する)、主人公もが暴力に捉われることを村上は書いてきた。この作品では、「羊」や「綿谷ノボル」や「ジョニー・ウォーカー」のような抽象的で絶対的な「悪」の象徴は前景化されないものの、「私」は自らに潜む暴力性に直面させられることになる。そしてやってくる2011年3月11日に象徴されるように、この世界を無垢で幸福なものとして全肯定しているのではない。それでも、「私」は血のつながりがないであろう子どもを自分の子として、その存在を「恩寵」として受け入れるのである。


しかし、この部分は批判的に検討がなされなければならない箇所でもある。夢の中とはいえ「私」は妻の同意を得ない性行為をし、それは「私」も認めるようにレイプに近いものでさえあった。これは「私」に潜む暴力性の顕現でもあるが、その結果(?)生じる妊娠を「恩寵」とすることは、男性中心的視点とされても仕方ないだろう(ここには聖母マリアの処女懐胎も重ねられているのかもしれないし、そうであるならば「私」はマリアの子の受け入れるヨセフであるのかもしれないが)。「私」は意図せざるして生じた「現実」に対し責任を積極的に引き受けようとするのであるが、では妊娠した妻からはどう見えているのだろうか。

ユズは「私」に説得されて出産を決意するのではない。「私」の意思とは無関係に生むことを決意していた。しかしここはまた、一人称作品の限界が生じる場面でもある。妊娠、出産にまつわる負担とその結果生じる責任の重みは男性と女性では比較にならない。なんといってもユズは、象徴的にではなく、現実に妊娠しているのである。彼女は新しい恋人ができたことで夫との別れを決意するが、避妊には十分注意を払っていたため、新しい恋人がお腹の子の父親でないことを確信している。そしてこの恋人にはお腹の子の父親になってほしくないとも考えている。また、しがない画家である「私」とユズの結婚は、東大を出て銀行に勤めるユズの父親からは歓迎されなかったことが描かれているように(ここもやはり『ねじまき鳥クロニクル』の反復であり、ユズの父方の家系はステレオタイプ化された否定すべき日本的エスタブリッシュメントという感じで、『アンダーグラウンド』のインタビューを経る前の80年代的村上の世界観が顔をのぞかせているかのようでもある)、ユズが実家から積極的な支援が得られるとも、それを期待しているとも思えない。それでも彼女はシングルマザーになることを決意する。当然ながら経済面を含め現実的な厳しさについてユズは検討したであろうが、このあたりの心理が細かに描かれることはない。

ここが、自分が意図したわけでもそれを望んだわけでもないが生じた「現実」を引き受け責任を果たすということのメタファーとなっているのは容易につかめる。しかし2007年の日本の若い女性をとりまく環境からすると、このメタファーはやはりあまりに男性中心的世界観であるとの誹りはまぬがれないであろう。

『海辺のカフカ』にはフェミニストの活動家を戯画化した悪名高い場面がある。これは村上の中にあるフェミニズムへの無理解と60年代の挫折からくる「活動家」への嫌悪感とが絡み合ったものであろう。村上はミソジニー(女性嫌悪)の作家であるとされれば不本意に思うだろうし、むしろ男女平等に対しては積極的であると反論することだろう(『ノルウェイの森』では、女子学生たちにおにぎりを握ってこさせるうえにその出来を品評までする男性活動家を冷ややかに描いている)。

しかし、とりわけ日本の女性の置かれた現状に対する理解が現実に基づくものかは、かなり怪しくも思える。このあたりは、若い世代の閉塞感に対し共感を抱き(「近頃の若いのは……」や「俺達の若い頃は……」といった団塊親父的上から目線の説教を村上はまずしない)、精神面での共闘意識を持っているのであろう村上だが(主人公が若いままであることの理由の一つがこれであろう)、一方で若い世代の経済的な面を含む個別的な「リアル」な苦境にはそれほど関心が向かっていないようにも映ることと同根であろう。アッパーミドルの世界ばかりを描くことがけしからんということではない。しかし、自分よりはるかに若い世代を中心的キャラクターにする以上はそのあたりも視野に入れておくべきだろうが、そうではないあたりが、ユズの選択について男性中心的な描写に留まってしまうことにもつながったのではないだろうか。

言うまでもなく、小説は「政治的に正しく」あるべきだなどとは思わない。ただこれはおそらくは意図せざる結果であり、そして描こうとしたものとの齟齬が生まれてしまっている。

『騎士団長殺し』を読むうえでもう一つ参照すべきなのが「蜂蜜パイ」だろう。三人称で書かれているこの短篇の主人公は作家の淳平で、36歳で妹がおり、親との関係が断絶している(今パラパラっとやっていて気づいたのだが、「蜂蜜パイ」にも『騎士団長殺し』にも「青天の霹靂」を耳で聞いて理解できない少女が登場する。意識して目配せをしたのか、すでに使ったネタであることを失念してのことなのかはわからないが)。

「これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかり抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を」。

2000年に刊行された『神の子どもたちはみな踊る』(収録作はいずれも阪神・淡路大震災がモチーフとなった短篇となっているし、『騎士団長殺し』には前述の通り3・11が登場する)に書き下ろしとして収録された「蜂蜜パイ」のこの部分は、淳平が少なからず村上の伝記的事実を取り入れたキャラクターになっているように、村上自身の決意でもあるだろう。自分の子どもではない少女に父親的愛情を抱くのも、『騎士団長殺し』と重なる。この引用の後に続く部分は実はかなりパターナリズム的で、ひっかかる人もいるかもしれないが、この小説世界においてはそう違和感のないものになっているだろう。このように、短篇においてはぴしっとはまっているものが、長編となると緩くなってしまっているところも、2000年代以降の村上を象徴してしまっているかのようにも思える。


いずれにせよ、80年代までの村上作品においては、子どもを持たない、つまりこの世界に新しい命を生み出さないことは、「システム」への抵抗でもあったことだろう。人間が自らの意思で生殖を拒めば、人類は絶滅し、「システム」も滅ぶ。あるいはそれよりも、「システム」が強大なこの世界に、苦しむ人間をこれ以上増やしたくはないとしたほうがいいだろうか。

『騎士団長殺し』に南京虐殺が登場するのは、明らかに近年の日本における歴史修正主義の跋扈をふまえてのことでもあるだろう(まずは新潮社をなんとかしてよ、とも思ってしまうが)。このように、本作は能天気な楽観主義を振りまいているのではない。それでも、強大な「システム」を前に、逃避的なシニシズムに接近していたようにさえ見えてしまいかねないペシミズに包まれ、無力感と諦念に覆われた80年代から、責任を果たすという形でそれに抵抗していこうとするように変化していったことがより直接的に表れている作品となっている。その象徴が、「恩寵」としての子どもの存在である。「私」はその責任を積極的に果たすことを望み、そして暗い現実をふまえつつも、そこにある種の「明るさ」もまとうことになる。

「私」が経験するこの約9ヶ月間の奇妙な出来事が、妊娠期間のメタファーであることは言うまでもない。


「上下」ではなく「第1部第2部」を同時発表するという形式はどうしたって『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』を想起せずにはいられないし、そうであれば第3部が待っていることになる。ウィーンで具彦の身に起こったことの真相、まりえの父親、および彼がはまる新興宗教など、当然ストーリーに絡んでくるであろうと思わせながら放置されたいくつかの出来事や存在はそれを予告しているかのようだ。一方で、「とにかくこれで一連の出来事は終了したのだろう。そういう感触があった」と、「静寂」が訪れているのは、その梯子を外すことを示唆しているようでもある。あるいは、『1Q84』のBOOK3に多くの人が「え~、こっちに行くの?」と驚かされた(あるいは裏切られた)ように、読者は1年後くらいには、予想だにしなかった展開の第3部を手にしていることになるのかもしれない。


という感じで、思いつくままにダラダラと書いていたせいで重複だらけの締りのない文章になってしまったが、推敲しだすとキリがなくなりそうなのでそのままあげてしまいます。


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佐藤太郎(仮)

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