ヘレロ族の虐殺とその後

トマス・ピンチョンは『V.』、『重力の虹』の中で、1904年に起こったドイツによるヘレロ族虐殺を取り上げている。ナチスによる蛮行に先立つこと約30年、すでにドイツはある民族を絶滅させるという意図をもって大虐殺を行っていた。しかしドイツは当時激しい国際的な批判にさらされることはなかった。これがアフリカで起こったことで、被害者がアフリカ人であったためだろう。このことからわかるのは、ユダヤ人やロマ(ジプシー)、障害者、同性愛者などの大虐殺をナチスのせいにだけ帰することはできないし、またドイツ人のせいにだけすることもできないということだ。もしこの時ドイツがその行いによって国際社会から強く批判され、ジェノサイドを防ぐための国際法や条約が作られていたなら、その後の世界史は違ったものになっていたかもしれない。ピンチョンがこの虐殺に注目した理由は明らかだ。


EconomistにSalt in old wounds What Germany owes Namibiaという記事があり、ピンチョンのファンとしてもなかなか興味深かったので、その内容をざっと紹介する。

ドイツの政治家の中には罪を認め、とりわけ虐殺から100年目にあたる2004年には反省の気運も高まり、これを「ジェノサイド」だったとした政治家もいたほどだった。しかしドイツとナミビアとの間で謝罪と補償の交渉が始まると、複雑な展開を見せることになった。

ヘレロ族と、同じく虐殺・迫害の被害にあったナマ族の有力者の一部が、国を超えてジャノサイドなどの国際法違反を審理できるニューヨークのAlien Tort Statuteに、補償はヘレロ族とナマ族へ直接行うよう訴えたのだった。というのも、現在のナミビアで中心的存在となっているオヴァンボ族はこの蛮行の被害とは無縁であったためだ。ナミビアの友好的な交渉役であった人物はヘレロ族出身であったが、彼は裏切り者という批判を浴びることになった。こうした動きにナミビアの財務大臣は「部族主義が醜い首をもたげた」と非難するのであるが、彼はといえばドイツ系なのであった。

ドイツの官僚側では、補償交渉中に「G-word(ジェノサイド)」を避けようとする動きが支配的となった。ある高官は国連のジェノサイド条約が締結されたのは1948年のことで、それ以前に起こったことなのだからこれはジェノサイドにはあたらないとし、「倫理的には不満を感じる人がいるかもしれないが、法的にはそのような立場をとる」と語っていた。これに対しジェノサイドだという告発を支援するドイツ人歴史家は「たわごとだ」と憤る。「まるで弁護士のような言い草で、倫理や政治的責任について考えていないではないか」。

なおTelegraphのこちらの記事には、2016年にドイツはこれまでの方針を変え公式に「ジェノサイド」であったと認め、謝罪したとある。Economistのこの記事はどこまでが過去で、どこからが現在進行形なのか時系列がわかりづらい。


ナミビアではかつてほどではないとはいえ、依然としてドイツ系がビジネス、農業で優位な立場にある。ナミビアのドイツ系住民は、ジンバブエであったように、農場が補償という名目で没収されるのではないかと戦々恐々としているという。

ナミビアのドイツ語メディアにおいて「ジェノサイド」という表現は禁句であった。そしてナミビアのドイツ系住民の多くは、引退した農民で第二の人生として虐殺を否定する著述に手を染めるようになったある人物の意見に共鳴しているようだ。その人物によれば、ドイツ人もヘレロ族に襲われて被害に合っておりヘレロ族への殺害は一方的なものではなく、また絶滅指令はすぐにベルリンから取り消されたにもかかわらずヘレロ族の被害は実数以上に過大に見積もられており、そしてナミ族が収容所や砂漠へ追い立てられたのも意図的なものではないため、これらをジェノサイドとは呼べないというのだ。
ドイツの歴史家はこのような主張を「否認論者」によるものだと一刀両断切り捨てている。

ドイツ系住民が通うナミビアのルター派の監督は、ドイツ人に負うべき罪があることは認めるものの、「ホロコースト」と同一視されるべきではないと言い、過去を引きずりだしてこれを歴史的連関に架橋しようとする人に我々は非常にフラストレーションを感じている、とまでしている。

ある農夫は祖父のことを思い起こしている。プロイセンの男爵だった祖父は1913年にこの地にやってきて、1915年、第一次世界大戦中にイギリスに牛を没収されていた。「私もイギリスに補償を要求すべきなのかもな」とこの農夫は「冗談」を口にした、というところで記事は締めくくられている。


なるほど、確かにこの男爵は虐殺後の移住したのであって、直接手を下したわけではない。しかし彼がアフリカで農園を営むことができたのはドイツがここを植民地にしたからで、その植民地を維持するためにこの大虐殺は行われた。そして孫の世代が依然としてナミビアで特権的地位にあるのは、それだけ植民地時代の残滓が色濃いからである。こういった事実への反省的視線を一切欠き、相対化してはならない過去を相対化しようとする「冗談」が口にされるというのは、なんともグロテスクだ。植民地支配からの多大な「恩恵」を散々享受しながら、むしろ被害者意識にかられているというのは、あまりに身勝手な論理であろう。

そしてナミビアのドイツ系住民にはびこる否認論を見ると、史料の恣意的なつまみ食いという歴史修正主義者の手口はどこにおいても同じものだと嘆息してしまう。

歴史問題において日本は、とりわけ60年代以降の(西)ドイツにおける取組から学ぶべき点が多々ある。しかしまた、いたずらにドイツを理想化するのにも危ういところがあるのも事実だ。ドイツの官僚が交渉を優位に進めるために「ジェノサイド」という表現を避けようとしというのはその一端であろう。もしこれがヨーロッパの白人相手であれば同じ手法をとったのだろうかと考えると、ピンチョンがこの問題を取り上げたことの慧眼を改めて評価したくなる。

同時に「ドイツだって一皮むけばこうなのだから……」と日本に蔓延る歴史修正主義を相対化し、正当化するような動きには警戒しなければならない。むしろあのドイツですらこのような対応なのだから、日本の右派政治家や、とりわけ官僚(とりわけ外務官僚の右傾化は極めて深刻な状態にまで至っているが、主要メディアはこの問題にほぼ沈黙してしまっているためにそのことが多くの日本人には不可視化されてしまっている)が、国連をはじめとする国際社会でいかなる振る舞いに及んでいるのかを、一層注視しなければならないとすべきだろう。



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