『『諸君!』『正論』の研究  保守言論はどう変容してきたのか』

上丸洋一著 『『諸君!』『正論』の研究  保守言論はどう変容してきたのか』





著者は朝日新聞の編集員。2002年から05年にかけて雑誌『論座』の編集長を務めた経験から『諸君!』や『正論』に関心を持ち、「そもそも『諸君!』『正論』は、いかなる思想的土壌から生まれ出てきたのか。/米ソ冷戦期において、両誌は何をどう主張していたのか。/それは冷戦の終結によって変わったのか、変わらなかったのか。変わったとしたら、どう変わったのか」を研究することとなる。

序章は2010年2月11日の「建国記念の日奉祝中央式典」から始まる。神話上の人物である神武天皇の即位の地とされる橿原神宮への遥拝に始まり、『諸君!』『正論』にしばしば登場する小田村四郎によって当時の民主党政権や「左派リベラル」への批判決議が読み上げられ採択され、ゲストとして登壇した当時の自民党総裁、谷垣禎一に決議文が渡される。そしてこれまた『諸君!』や『正論』でお馴染みの渡部昇一の講演が行われた。


保守派や右派は敗戦後間もなくから70年代あたりまでを左派優勢の時代としているが、僕から見ればこれは被害妄想もいいところのように思えてしまう。確かにアカデミズムやジャーナリズムの世界では左派寄りが比較的優勢であったとすることができるかもしれないが、かといって、しばしば右寄りの人が恨み節をこめて語るほど左翼にあらずんば人にあらずといった状況であったかは疑わしく、実際に右派のアカデミシャンや論壇人も数多く存在していた。

何よりも、戦後ほぼ一貫して保守・右派によって権力は担われてきており、また歴史学者などから批判を浴びながらも紀元節の「復活」が大きな抵抗もなく実現してしまったように、多くの日本国民も保守的な感覚を持ち続けていたとすることができるだろう。
このように、戦後の日本社会というのは戦前・戦中との断絶のうえに成立したというよりも、連続性のうえ成り立っていると考えられる。しかし同時に、とりわけ近年の右派組織による、自民党を中心とする右派政治家への浸透を見ると、これまでとは違う現象が起きているのではないかという気にさせられてくるところもある。
本書はこういった政治や右派論壇の連続性と変質とを考えるうえで貴重なものとなっている。


結論から書くと、ある時期を境に『諸君!』や『正論』から多様性が完全に消えたのであった。もちろん両誌はその創刊時の意図からして反左翼であり、執筆者は保守・右派が中心を占めていた。しかし昭和天皇の戦争責任や靖国神社へのA級戦犯の合祀、「大東亜戦争」が侵略であったか否かをめぐって、90年代半ばまでは保守・右派の内部においても論戦が行われていた。

もっとも、かつての右派論壇誌が最低限の良識を持っていたとするのも早計だろう。

藤岡信勝は96年刊行の著書で「渡部〔昇一〕は日本がおこなった戦争のもつ侵略性を一度として認めたことはない」としているが、実際には渡部は『諸君!』82年10月号で「日本がアジアの大陸や諸島を侵略したことは確かである」、「日本が大陸に侵入し、侵略したことには一点の疑念もない」としていたことがあった。渡部はこのわずか数ヵ月後、『正論』83年2月号での小堀桂一郎との対談において、「極東裁判否定というのを公の場で出さなきゃいかんと思うんですがね」と今度は侵略であったことを否定する立場に「転向」している。このように右派論壇における知的不誠実さというのは、かつてから現在にいたるまでおなじみのものだとしていいだろう。

また87年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者一人が死亡、一人が負傷した事件では、激烈な言葉で朝日批判を繰返していた『諸君!』誌上において、徳岡孝夫は匿名コラムで朝日を「自己への批判を許さない」、「権力の府」だとしたうえで、「朝日阪神支局の襲撃は宥すべからずものだが、それをもってファシズムがいよいよ暴力に訴え日本に暗い時代が来ると騒ぐが如きは、一人の娘の襲われたのを見て海千山千の女が女性全体の貞操の危機を叫ぶに似たものではないか」と、二重三重にひどい暴言を書き散らしている。
このように下劣極まりない文章が平然と掲載されていたのも昔からのことであった。

このように、現在と比較してかつての右派論壇誌が良識的なものであったとすることは躊躇われる。とはいえ、それでもかつての右派論壇誌は現在とは違う姿であったとすることもできる。

『諸君!』の創刊の中心的人物であった池島信平は東大教授の林健太郎と親しかった。林は68年、東大文学部長を務めており、学生から173時間に渡って「軟禁」されたものの、一切の妥協を拒み三島由紀夫などから称賛された保守派であった。『諸君!』においても常連の執筆者となったが、猪木正道などと並び先の戦争の侵略性を否定することはなく、植民地支配も含め加害責任を認める立場であり続けた。

むろん『諸君!』や『正論』には侵略性や加害責任を否定する論考が数多く掲載されていたが、同時にまた林のように保守の立場からそれらを率直に認める論考も掲載されてもいた。しかし徐々に前者の立場が強まっていき、89年にはベルリンの壁崩壊を言祝いでいたはずの林は、90年代に入ると侵略性や加害責任を否定する勢力との論争に入ることになる。つまり論敵が左から右へと移り変わったのである。

そしてついに、渡部昇一は『諸君!』2002年11月号での岡崎久彦との対談で、林や猪木といった「『諸君!』『正論』の創刊以来、長く両誌を支えてきた保守言論のリーダーを」、「「おかしなことを言う人」と呼び、事実上「左翼」のレッテルをはった」のであった。

右派論壇誌の変質を示すのは「反日」という言葉にあるのかもしれない。著者の集計によると、『諸君!』と『正論』がタイトルに「反日」という言葉を使った記事は80年代まではごく稀であったが、90年代に入ると増え始め、とりわけ『正論』は2005年以降は爆発的に増えている。90年代後半以降は日本の加害性を認める論考はほぼ消え、かつてはそれを認めていたはずの論者も意見を修正していくのであった。

『諸君!』は2009年に休刊した。歴代の編集長にも取材してあるが、初代編集長で文藝春秋の社長も務めた田中健五はタイトルの付け方などを「これはいかがなものか」と感じていたとし、また77年から79年にかけて編集長を務めた竹内修司は文藝春秋は「アンチ左翼ではあっても右翼ではなかった」が、左翼が影響力を失うにつれ自家中毒になっていったのではとしている。

著者もそうであるように、『正論』が「ガチ」なのに対して『諸君!』はいわば「ネタ」的であるという印象を持っていた人は少なくないだろう。『諸君!』休刊の直前に極右化する右派論壇をたしなめるような論考が掲載されたのもそれを表しているとすることができるのかもしれない。しかし『諸君!』休刊以降『文藝春秋』が『諸君!』化していることを考えると、はたしてそうだったのかとも思ってしまう。

林や猪木のような立場は90年代後半以降の『諸君!』にはとうてい受け入れられなかったであろうし、田中や竹内が嘆くようにこの雑誌の性格が変質したとすることもできるのかもしれない。しかしすでに書いたように、80年代であっても目を疑うような異様とすら思えるような文章が平然と掲載されてもいた。個人的には『諸君!』や『正論』は日本社会全体がそうであるように、「変質」したというよりも連続性が強いように思える。結局は「保守」を名乗る人々は単に左に厳しく右に甘いだけで、左翼(あるいは朝日新聞や岩波書店、そして朝日岩波文化人)批判さえしてくれれば何でも有りという発想があったがゆえに、譲ってはならない一線というものを持ち合わせず、この事態を招いたとすることもできるだろう。

僕は世界各地の出版事情に通じているわけではないが、文芸春秋社に限らず、純文学や学術書や辞書も刊行する一流とされる出版社(新潮社や小学館などなど)が、学術的には全く話にならない歴史修正主義としか言いようのない本や、差別を煽動する出版物を公然と刊行するというのはかなり特異なことなのではないだろうか。そしてこういった現象が異様なものとして批判されるのではなく、それこそ左翼的とされる人を含めてなんとなく容認されてしまってきたことこそが、日本の現在の状況に繋がっているとも思える。こういった点も合わせて考えると、現状を単に「保守」の堕落のみに帰することもできないしすべきでもない。日本の独特の出版業界の有り方を含め、日本社会全体が、敗戦後から現在に至るまで極右的なものに対して一貫して異様なまでの「寛容」さを持っているということに、この社会の実相が表れているとすべきだ。その歪みを最もグロテスクな形で体現しているのが「保守言論」なのであろう。


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佐藤太郎(仮)

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