『ダーク・マネー  巧妙に洗脳される米国民』その1

ジェイン・メイヤー著 『ダーク・マネー  巧妙に洗脳される米国民』





2009年1月20日、バラク・オバマの大統領就任式の日、首都ワシントンは多幸感と高揚感に包まれていた。同月下旬、カリフォルニア州パームスプリング郊外には大富豪たちが結集していた。この集まりを主催したのはチャールズ・コーク。資産10億ドル以上のビリオネアである。チャールズとデイヴィッドのコーク兄弟はオバマの就任演説を聞いて、彼らの政治顧問のリチャード・フィンクと「アメリカは滅びる道をたどっている」という点で意見が一致した。「オバマの当選が示す進歩主義の潮流を撃退するには、「生涯の戦い」が必要だ」と、フィンクは告げた。


大富豪と貧しい人のどちらの数が多いのか、統計を調べてみるまでもない。では金持ちも貧しい人も平等に一票ずつであるはずの民主主義国家において、大富豪が勝ち続けるのはなぜだろうか。貧しい人になくて大富豪にあるもの、それは言うまでもなく金である。莫大な金があれば、民主主義国家においてもごく少数の者が国を支配することも可能になる。アメリカ合衆国のように。

コークに召集された大富豪たちに女性は少なく、非白人はさらに少なかった。コーク兄弟がそうであるように、彼らの多くが親などから莫大な資産を受け継ぎ、それをさらに子孫に受け渡そうとしている。エネルギー産業や金融業など当局による規制にその利害が直接左右される者たちが多く、また法的な問題を抱えている者も多い。このような大富豪が求める政治がいかなるものかは容易に想像がつくことだろう。

本書はコーク兄弟を中心とする右翼の大富豪がいかにアメリカ政治を金の力によって支配しているのかを、その来歴から解き明かしたものである。


金の力といっても、政治家を買収する、あるいは莫大な政治献金によって政党や政治家個人へ影響力を及ぼすといった単純な話ではない。コーク兄弟をはじめとするビリオネアたちはもちろん献金等も行っているが、アメリカにおいて最も強く影響力を発揮しているのは、表に出ない「ダーク・マネー」だ。これは主にフィランソロピー、つまり慈善を装って作り出される。

アメリカの大富豪の「寄付文化」について、日本ではノブレス・オブリージュのように理解している人がいるかもしれないが、そのような意図を持つ人が皆無であるとまではいわないものの、たいていは的外れであろう。莫大な寄付の第一の目的は税金対策である。さらには、単に既存の慈善団体に渋々ながら寄付をするのではなく、自らに優位な政治、社会に誘導するためのマシーンを作り上げるのに使われている。税金逃れをするだけでなく、金持ちが税金を払わなくていい社会、大企業が規制を逃れる社会がこうして出来上がっていっている。

戦略的に大学、シンクタンク、圧力団体、NPOなどの非営利団体へ資金を流し込み、メディアなどを使って右派イデオロギーの浸透を図るとともに、保守内部においてすら「奇人」とすらされるような強硬右派を支援する。これらはまたリベラル派や穏健保守へのネガティブ・キャンペーンの実働部隊ともなっている。

1980年のアメリカ大統領選挙でデイヴィッド・コークはリバタリアン党の副大統領候補となったが、集められた票はわずか1パーセントほどだった。もっともこれは、候補者になれば無制限に資金を選挙に投じることができることから、当選を望んでのことというよりは(当人たちも当選の見込みがあるとは考えてもいなかっただろう)、プロパガンダの機会と捉えていたという見方もできるし、実際デイヴィッドは多額の私財をキャンペーンにつぎ込んでいる。いずれにせよ、コーク兄弟の奉じるリバタリアン思想の信奉者とは当時はせいぜいこの程度であったということもできる(もっとも「思想」というほど立派なものというよりは、ハイエクのご都合主義的なつまみ食いといったほうがいいだろう)。

この約10年前の71年には、あのニクソンですら自らをケインズ主義者だと称していた。しかし、レーガンが大きな政府か小さな政府かが問題なのではなく政府そのものが問題なのだと言ったように、リバタリアン的発想はこれ以降加速度的に信奉者を増やしていき、80年代以降社会保障は削られ、富裕層の税金は軽減され、環境や金融などの規制は取り払われ、コーク兄弟のような人物はますます肥え太っていった。クリントン政権も基本的にはこの流れを踏襲したものであったが、ブッシュ・ジュニアの失態もあり、オバマ政権の誕生という事態にビリオネアたちは危機感を募らせていった。こうして徐々に影響力を拡大していた右翼大富豪たちはさらに戦線を拡大することにし、最高裁から「言論の自由」を理由に事実上無制限に選挙に金をぶち込めるようになったことも追い風に(もちろんこれ自体が右派による運動の成果でもある)凄まじいキャンペーンを張り、共和党から穏健保守を追放するなどして党内を制圧ようとするティーパーティ運動としてそれは結実することになる。


フィランソロピーという形で税逃れをするとともに政治的影響力の拡大を図るというのはコーク兄弟らによって始められたのではない。ジョン・D・ロックフェラーは1909年に財団の法的な承認を得ようとしている。セオドア・ルーズヴェルトなどの批判派はその目的を見抜き、「そういう財産を使っていかなる慈善を行おうとも、その富を手に入れるための違法行為を埋め合わせことはできない」とした。1915年にアメリカ労使関係委員会のフランク・ウォルシュは「財団と称する巨大な慈善トラストは社会にとって脅威だと思われる」と述べ、スタンフォード大学教授のロブ・ライシュは「私立財団は「そもそも富豪階級の声を代表する」ものであるから、「基本的に根深い反民主主義の厄介な存在である……この統一体は、政治的平等を脅かし、公共政策に影響をあたえ、永遠に存在しつづけるおそれがある」とした。

まるで約100年後を予言したかのようであるが、この発言の十数年後にはこれは杞憂であったと思われたかもしれない。ニューディール政策に反対した富豪は多かったが、反ニューディールキャンペーンはうまくいったとはいえない。では、とりわけ1980年代以降この手法が成功を収めたのはなぜか。より大規模に、より巧妙に行われるようになったのであった。

ヘリテージ財団をはじめとする右派シンクタンクに多額の資金を流し込み、リベラル派の政策を批判させ、右派の政策のプロパガンダを行わせた。大学に寄付をして講座や人事に影響を行使し、エビデンスを欠いた学術的には話にならないような怪しげな主張にまでお墨付きが与えられるようお膳立てした。司法にも食い込み、観光地で裁判官向けに右派思想の「研修」会を開き、多くの裁判官がこれを無料のバカンスとして利用した。その中には後の最高裁判事も含まれていた。NPOなどを使い複雑に金をやりとりすることで、法的にも保護され、資金の流れの解明は難しくなった。

また卵が先か鶏が先とすべきか、メディアの環境も大きく変化したことも影響しているだろう。70年代以降、「リベラル偏向」という批判を浴びたニューヨーク・タイムズがその批判を交わすために保守派のコラムニストを起用するなど、エスタブリッシュメントメディアが右派にひよった態度を見せる一方で、右派によるトークラジオやフォックス・ニュースなどが台頭していく。さらには富豪たちはメディア企業を所有しているケースも多い。

エスタブリッシュメントメディアがプロパガンダを真に受け、ティーパーティを自然発生的草の根運動であるかのようなピント外れの報道をしている中、右翼のビリオネアたちは様々な団体を通して「ダーク・マネー」をせっせと流し続けた。グレン・ベックは「ティーパーティのスーパースター」であった。フォックスにおいて「最大で年間100万ドルの報酬で、ベックはフリーダムワークスのスタッフが書いた「埋め込みコンテンツ」を読んだ。オンエアで話すことを、フリーダムワークスが指示し、ベックはそれが自分の意見であるかのようによどみなく語りに盛り込んだ。フリーダムワークスの公開された税務記録は、この手段を「宣伝費」に計上している」。

「フリーダムワークス」とはフィリップモリスのような大企業と、コーク兄弟と並んで本書の主要登場人物であるリチャード・メロン・スケイフなどのビリオネアが中心的に資金を提供し、「ティーパーティ運動の初期にもっとも大きな役割を果たした組織」である。
つまりフォックスのこの番組は事実上スポンサードを受けた宣伝コンテンツであったのだが、視聴者はそうとは気づかないままベックのような煽情的司会者に煽られていき、リベラルなメディアまでもが当時はそれに騙されていたのであった。


コーク兄弟をはじめとする右翼の大富豪とその関連団体の最大の強み、それは失敗から学ぶことだろう。オバマの当選ばかりか再選までをも許したように、彼らは連戦連勝であったのではない。失敗し、反省し、それを挽回していった歴史でもあった。草の根にアピールしようとする手法は民主党のそれから学んだものである。またティーパーティ運動などによって共和党から穏健派を駆逐し過激さが増し民心がついてきていないとみると、中道無党派の取り込みをも図る。コーク兄弟は黒人大学連合や米国刑事弁護士協会といった相容れないかに思える団体への多額の寄付を行うようになる。コーク兄弟は行き過ぎた厳罰主義など刑事司法への批判も開始するようになるが、もっともこれは人権を重視するものというよりは、自身や保有する企業が訴追の対象になるという危機感からのものであるようだ。こういった私的な実利を追及しつつ社会正義の皮をまとうのも彼らの得意とするところだ。

大学への寄付も右翼への紐付きに限らないものも開始する。リベラル派といっていい学者の中にまで、資金を出してもらえるのならコーク兄弟の金でも受け取るという者まで現れるようになる。こうして「慈善家」のイメージを振りまくことで、著者らの報道によりその実態が暴かれたことへのダメージコントロールを図っていることは明らかだ。

また、90年代以降は大統領選挙では民主党が優位であるにも関わらず、州知事、州議会は各地で共和党が圧倒的に優位となっている。これは知事選や地方議員選挙にも右翼ビリオネアたちが以前では考えられないほどの莫大な資金を投じていることも影響している。知事、州議会を抑えることで連邦下院の区割りに影響力を行使することができ、これが共和党の下院議会選挙の強さの要因の一つでもある。また判事が選挙で選ばれる地域もあるが、こういったものにも丹念に資金を流し込み、司法への浸透にも余念がない。こういった小さな選挙もおろそかにしない地に足の着いた戦術はリベラル派にとってボディーブローのようにきいているし、リベラル派に非があるとすれば、こういった本来得意であったはずの地道な活動で右派の独走を許したことだろう。


原著刊行は2016年1月だが、共和党をすっかり支配したかのようなコーク兄弟を公然と批判する人物として、党のアウトサイダーから大統領選に挑むドナルド・トランプに言及されているのは、トランプ当選後に読むとなんとも皮肉なものを感じる。まさかこの時点では、著者はトランプが大統領に上り詰めるとは思ってもいなかったことだろう。しかし今になって読むと、本書には不気味な予言ととれるような箇所がいくつもある。

一部にはトランプが共和党大統領候補となったことで党が割れると予想した人もいたが、結局共和党の一体感が失われることはなかった。コーク兄弟はさすがにトランプを全面支援することはなかったが、かといってトランプ大統領誕生の阻止にも動かなかった。これは彼らの行動が実利優先で「思想」に基づくものではないことの何よりの証拠であろう。そもそもが真のリバタリアンならば中絶や同性婚の禁止などを求め私的領域への介入を強める共和党を支持できるはずがない。ほとんどの党人や共和党支持者は、トランプが大統領候補に指名されると批判を手控えるだけでなく、熱量にいくらかの差はあれ支援にまわった。共和党とその支持者にとって何よりも大事なのはリベラル派に権力を渡さないことであり、そのためにならどのような人物とも平気で手を組むことができる。これこそが保守・右派の最大の「強み」だろう。

トランプの登場によって何かが変わったのではない。本書を読めばトランプは結果なのであって原因ではないことがわかる。トランプ登場以前から、共和党が得意としてきたキャンペーンは差別とデマであった。本書に描かれているように、凶悪な顔をした黒人がリベラル派のおかげで死刑を免れることができたと喜ぶイラストがダイレクトメールで大量に送付されたり(ちなみにここでやり玉にあげられた民主党の候補はリベラル派どころか死刑存置派の保守的な人物であったそうだ)、あるいはニューヨークの「グラウンド・ゼロ」の跡地にモスクが作られるだの、オバマケアによって「死の判定団」が設置されるだのといったデマが共和党やその支持団体から流された。差別を煽り、デマを流布するのが共和党に長年染みついたやり口であり、それについていくのが共和党支持者であるという状況はすでに生じていた。トランプはそこに乗じたのであって、それを生み出したのではない。

一方民主党にも、数や金額では劣るとはいえジョージ・ソロスをはじめとするビリオネアは何人かついている。しかし、オバマ対ロムニーの大統領選挙の際、ロムニーがハゲタカファンドの経営者であったことへのネガティブキャンペーンを打つと、ウォール街や大富豪に気を使ってこれを批判する政治家が民主党内部から出ることになる。共和党がリベラル派を権力から遠ざけるためなら手段を択ばずに団結するのに対し、民主党はむしろ金融規制や税制をはじめとするいくつかの論点で分裂に向かってしまう。むろん大富豪やウォール街はリスクヘッジとしてこのために民主党にも資金を流しておりその結果だとすることもできる。ちなみにこの時に投資家擁護に動いた有力者の一人がビル・クリントンであった。本書によればヒラリーはビルのこのような動きに不快感を抱いたそうだが、これも今となってはなんとも皮肉な話である。


トランプ大統領の誕生を白人労働者階級の怒りや彼らを自暴自棄の状態にまで追い詰めたリベラル派の欺瞞のせいにしたい人もいるが、これもまた右派によるプロパガンダの一環という面があることに注意が必要だ。トランプが選挙期間中から提示していた減税プランは富裕層に有利なものであったのは周知のとおりである。当選後はウォール街が泣いて喜ぶような政策を実行に移そうとしているが、これに騙されたと憤っているトランプ支持に転じた元民主党支持者がどれだけいるだろうか。確かに個別的に見れば元民主党支持者もいくらかは流れ込んだろうが、それは経済政策や労働政策、再分配政策によってリベラル派に失望させられたからというよりは、白人男性中心の権威主義的社会の復活に引き寄せられたという要素の方が強いだろう。本書ではさらっと触れてあるだけだが、敵失によってオバマが「圧勝」をおさめたはずの2012年の大統領選挙であるが、この時すでに白人と高齢者票は前回より減っていたのである。まさにこの中高年白人がトランプ支持のコアな層であることを考えれば、トランプ大統領を誕生させる下地はすでに2012年には表に露出し始めていたとも考えられる。

差別的傾向のある権威主義者、こういった人々に差別とデマを使ってアピールすることは、右派の得意中の得意とするところだ。トランプが大統領になると、その支離滅裂な経済政策にも関わらず株価は上昇した。ウォール街やビリオネアは、リベラル派を権力から遠ざけたことで誰が得をするのかをよく知っている。共和党の支持層は経済保守と文化保守から成るが、両者の間に政策における共通点はほとんどない。両者が共に抱いているのはリベラル派への嫌悪であり、経済保守は手っ取り早く動員できる文化保守を焚きつけるのに手段を選ばない。

本書には、数少ないまともなビリオネであるウォーレン・バフェットのこんな言葉が引用されている。「階級戦争はたしかにあるが、戦争を行っているのは、私の階級、つまり富裕層で、勝ちつづけている」。


というところで長くなったのでその2に続く。
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