『美しき闘争』

タナハシ・コーツ著 『美しき闘争』





2015年に刊行された『世界と僕のあいだに』は高く評価され、ベストセラーとなった。本書は2008年に刊行された、コーツの幼少期から大学入学までを綴った自叙伝である。

「ボルティモアにクラックが出回るようになって、僕たちの社会は崩壊した」。こうあるように、75年生まれのコーツが語るのは80年代から90年代にかけての荒廃した、黒人が多く居住する都市部についてであり、これはボルティモアに限らず多くの都市部で起こったことでもあっただろう。

もちろん昔も喧嘩沙汰はあったし、それによってけがをすることもあった。でも「葬儀屋の世話になって讃美歌が流れるなんてことはめったになかった」。父が若かった頃はコミュニティの結束は固く、互いに支え合っていたが、「それが時間とともに僕たちは支援しなくなるどころか共食いするようになってしまった」。

「その時はわからなかったけれど、これが恥ずべき僕たちの始まりだった。マンデラ、ニカラグア、そしてレーガン政権に対する闘い――世間は重要な主張に基づく運動で盛りあがっていたのに、僕たちは、世界のどこかで奴隷のように働かされている人たちが縫ったスニーカー、白人が所有するスポーツチームを応援するジャケット、南部連合に参加した州の名前を刺繍した野球帽、そんなつまらないもののために殺し合っていた」。

この部分だけを読むと、コーツは荒廃したアメリカ都市部の黒人社会を嫌悪し、それを否定しようとしているかのように思えるかもしれない。むろんそう単純なものではなく、なぜ黒人社会がこうなってしまったのかを、かつてブラックパンサーの支部長であり、従軍したことで在郷軍人局から支給される小切手目当てで30歳から大学に通うようになり、修士号まで取り、大学図書館で初めて専門職に就き、黒人による古典の復刊に努めるようになった父の歩みをたどるなどして探ろうとしていく。

父の経歴を見ればわかるように、コーツ家は典型的、平均的な都市部の黒人家庭ではない。家庭環境もかなり複雑だ。
「ストリート出身だけれどストリートに属していない」とコーツは自分と父について書いている。豊ではなかったが誇りを持ち、子どもたちの可能性を伸ばそうとし続けた。コーツ自身何度も罠にからめとられるように道を踏み外しそうになるが、その度に引き戻されていったのは父と母のおかげであったろう。裏を返せば、このような父と母でなければ、ヤクの売人になりつまらないことで拳銃を振り回し、マイク一本を武器にラッパーとしてのしあがるかみじめで陰惨な生活に転落するかといった人生になっていたかもしれない。

コーツもやはりラップに夢中になり、自身でもリリックを書いていた。このようにアメリカ都市部の黒人文化を否定し、それを乗り越えようというのではなく、そこから多くのものを受け取り、それを肯定してもいる。まずプロレスに関するエピソードから始められるように、現代アメリカの黒人文化の一部はファンタジーやアニメ(本書には『マクロス』のリン・ミンメイの名前も出てくる)など、ある意味ではごった煮的なサブカルチャーの中から紡がれていったという面もあり、コーツもまたその中で育ち、それに積極的に意義を見いだしているようにも見える。

訳者解説で触れられているように、本書のタイトルからしてタリブ・クウェリの曲から取られたものであり、「各章のタイトルもさまざまなラップのリリックからの引用となっている」。コーツのヒップホップに寄せる思いはここからも明らかだ。

このように、80年代から90年代前半のヒップホップをリアルに体験した世代からの回想ともなっており、ヒップホップファンにとっては『世界と僕のあいだに』にも増して必読であろう(なお『世界と僕のあいだに』には訳注が付されていなかったが、本書にはちゃんと注があり、引用元などが確認できる)。

僕自身はヒップホップには明るくないもので、コーツのその時々のシーンへの反応が平均的なものか特異なものであったのかはよくわからないが、80年代後半に勃興したパブリック・エネミーのようなシリアスなアティチュードがギャングスタ・ラップに取って代わられていくのを苦々しく書いている。

「パブリック・エネミーのチャックDフレイヴァー・フレイヴは彼らにできるかぎりのところまで僕たちを導いてくれたけれど、新しい音楽はすでに殺人を礼賛する集団に乗っ取られていた。つい先週マルコムXにシャウトアウト(尊敬している人物にささげる)していたラッパーたちが、スタジオのギャングスタに変わり、目に入る黒人をすべて殺してしまう。僕にだってそういった力で支配するストリートの世界で、街角に立って大金を設けたい気持ちが部分的にあった。でも、大人になる入口にいた僕は、こういったラッパーたちに影響されなかった。彼らは、いちばん大事でないことに力をこめ――女性すべてを批判し、ストリートを経済的に支配していると主張し、そして白人に続いてストリートから逃げたのだ」。

当時のシーンをこのように振り返るコーツに異論があるヒップホップファンは少なくないだろうが、コーツにとって重要な問いの一つが、父の世代である60年代から70年代にかけて盛りあがったはずの黒人たちによるムーヴメントがなぜコミュニテイの崩壊、社会の荒廃という形になってしまったのかであり、それを80年代から90年代にかけての自らの世代の経験に重ね合わせているところからきているのかもしれない。


本書を読んでいると、これは映像化にぴったりではないかという気分になってくる。家族の物語であり、また友情や淡い恋といった少年の成長物語であり、そして現代アメリカ文化史でもある。近年は映像作品でもヒップホップの歴史を描くことが積極的に行われるようになってきたが、本書を連続ドラマ化でもすれば、そこにまた新たな視点が加わることだろう。


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佐藤太郎(仮)

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