『ダンケルク』

『ダンケルク』


近年のクリストファー・ノーラン作品について、個人的には「志しもやりたいこともわかるし期待したのだが……」というものが多かった。ではこの『ダンケルク』はどうだったかというと、ノーランがやりたかった事とやれた事とがしっかりと嚙み合ったとしていいのではないだろうか。

フランスのダンケルクからイギリスへの帰還を試みる若き兵士、イギリスからダンケルクへ援護に向かう戦闘機、ダンケルクへ英兵救出へ向かう民間の小型船と三つの視点が平行して進められるのだが、それぞれ時間の進み方が異なるというのはちょっと『インセプション』っぽくもある。本作の肝はこの三つの物語が徐々にシンクロしていき一つに重なるところであり、それが瑕疵なくきれいに一つに溶け込んでいるところは『インセプション』よりもはるかに洗練されている。ノーランよ、こういうウェルメイドな脚本を書けるのではないかと思ってしまったが、本作は単独クレジットで、かえって弟がいない方が……ということなのかどうかは知らんが(『インセプション』も単独脚本か)。


ヒトラーはもちろんのこと生身のドイツ兵はほぼ登場しないし、方やイギリス側でもチャーチルは会話の中で言及されるだけでその姿は描かれない。このように、本作は大局的視点を意図的に回避している。

我が身可愛さで醜悪な行動を取る兵士や、守護天使のごとく救いの手を差し伸べる兵士が実は……といったあたりは危機に直面した人間の多様な姿が炙り出されている。しかし、「人間の本質とは何かが極限状態の中で抉りだされる」といった「壮大」な試みがなされているのではない。哲学を比喩に使えば、形而上学的ではなくプラグマティズム的作品となっている。根源を問うのではなく、限られたリソースの中でいかに生き延びるか、あるいは限られたチャンスを最大化するにはどのような選択をなすべきか、それが時間的にもタイトに描かれている。

『ダークナイト』前後の「バットマン」に典型的なように、ノーラン作品は志しは高くとも、脚本が甘く、またスペクタクル的視覚表現もそれについていけていない印象が強かった。そう考えると、このようにプラグマティズム的作品の方が彼の資質に合っているのではないだろうか。ノーランの「壮大」な作品も楽しみではあるが、こういう方向に進むほうが監督と観客双方にとって幸福なのかもしれない。


あと、お腹が弱い人間としては用を足そうとしながらそれが果たせないトミーの姿は他人事ではなかった。災害時を考えても、トイレ問題は笑いごとではないのですよね。とりわけ下しがちな人間にとっては。




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佐藤太郎(仮)

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