日本社会はカズオ・イシグロの世界に向き合えるか

前にこちらに村上春樹よりもカズオ・イシグロの方がノーベル文学賞を取る可能性は高いというようなことを書いていた。これは別に村上よりイシグロの方が優れているというのではなく(言うまでもなく作家に優劣をつける必要はないし、ノーベル文学賞はそれを計るものでもない)、ノーベル文学賞がポストモダン作家を嫌っていることは明らかなので、世界的にはポストモダン作家に括られる村上が取る可能性は皆無とまでは言わないが、かなり低いというだけのことだ。なおイシグロがノーベル文学賞を取ったら「日本人」に含めるのだろうかという嫌味も書いたが、日本のメディアは案の定の有様のようで……。

僕はイシグロ作品を愛読してきたが、ノーベル文学賞はこれで2年連続英語圏から、しかもボブ・ディランもイシグロも世界的に知名度は抜群で、ついでにカネにも困っていないわけで、このニュースを聞いた瞬間はさすがにどうなのよと思ったが、冷静に考えるとこれは政治的な熟慮もあってのことなのかもしれない。「ブリグジット」に象徴されるようにイギリスでは排外主義が急速に高まっているし、アメリカもご存じの通りの惨状を呈している。移民英語作家であるイシグロの受賞は、この状況へのメッセージも込みのものだろう。
そしてこの状況が問われているのは、日本も同様である。

イシグロは作品ごとに設定を大胆に変えるが、多くの作品に共通するテーマが「記憶」と「語り」である。

最も典型的な例が、一躍世界にその名を轟かせた『日の名残り』だ。時代の変化に直面した老執事が過去を振り返りつつ将来を模索するというのが表面上のストーリーであるが、この老執事はまた「信頼できない語り手」でもある。彼が長年仕え、思慕する貴族は親ナチで、その屋敷はファシストのたまり場となっていた。当然ながら冷ややかな目が注がれることになるが、老執事はこの醜悪な現実と正面から向き合うことができず、もごもごと口ごもりながら弁解を重ねていく。

アーサー王伝説を題材に取った『忘れられた巨人』もまた同様である。謎の霧により人々は記憶を失っていっている。次第に、どうやらこの世界には血塗られた過去があり、それを忘却することでなんとか上辺の調和がもたらされていたというのが明らかとなっていく。

「過去のことは水に流して前を向いていこう」というのは一見するとポジティブなメッセージだ。しかし被害者からすればこれは、「お前が余計なことをすれば危ういバランスの上に築かれていた調和が崩れ去ることになる」という恫喝になる。忘却に頼った見せかけの「和解」は抑圧という機能を持つのである。さらには、責任を負うべき張本人が「過去は水に流すべきだ」などと被害者に迫れば、それはグロテスクな暴力に外ならない。

過去の忘却の欲求に完全に屈っしつつある日本社会は、イシグロ作品のこうした面をいかに受け止めるのだろうか。

イシグロと村上春樹は友人であり、互いの作品を愛読していることを公言している。村上もまた、デビュー作の『風の歌を聴け』から最新作の『騎士団長殺し』まで、戦争、それもアメリカとのではなく中国との戦争にこだわりを持ち続けている。『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』に明らかなように、戦前、戦中、戦後を断絶したものとして捉えるのではなく、連続したものだという意識が極めて強く、近年は作品外でもより直接に忘却の欲求を批判している。ノーベル文学賞で毎年バカ騒ぎを繰り広げる日本のメディアは、村上のこういった面を完全にオミットしている。

温又柔は台湾に生まれ、親の仕事の都合で日本に越してここで育ち、日本語で創作を行うようになった。イシグロと共通する環境であるが、温の「ことば」や「母語」への問いを宮本輝は「他人事」とのたまった。この発言は文学否定宣言といってもいいほどのひどいものであり、日本のメディアはこうした視座も加えてイシグロのノーベル文学賞受賞を論じるべきであるが、それはとても望めそうにない。

ポストモダン嫌いであるはずのノーベル文学賞が村上に与えられる日がくるとすれば、それは排外主義に抗するメッセージが隠喩としてうかがえるイシグロのケースと同様、日本の社会状況へのメッセージが込められるということになるのかもしれない。


『日の名残り』や『私を離さないで』は映画化されているし、それぞれ映画としていい作品だとは思うが(後者は日本でもドラマ化されているが未見)、イシグロのナラティブの構造というのはなかなか映像化しづらいもので、映画だけで「わかった気分」になるのはもったいない。映画を見ていて原作を未読な人はぜひとも読んでほしい。

またイシグロには無関係の作品であるが、映画『手紙は憶えている』は結構イシグロ的構造の作品かもしれない。強制収容所の生き残りである認知症を患っている老人が、妻の死を受けて、老人ホームで知り合った友人の助けを借りて元ナチスに復讐を挑むが……(ネタバレをしたら魅力は半減してしまうのでこれ以上は書けない)。

こういったミステリータッチの方が、「信頼できない語り手」を映像化しやすいのかもしれない。そういえばイシグロの読書体験の原点はシャーロック・ホームズにあるようだ。もっとも、上海を舞台に「探偵」を主人公にした『わたしたちが孤児だったころ』のように、イシグロは一筋縄でいくミステリーを書く人ではないけれど。


それから、よく言われるように、イシグロ作品はセンテンス単位で見ると読み易い英文になっており、イシグロ自身翻訳されることを意識してこの文体をているとしている。それだけにその無味乾燥にも映りかねない文体に拒否感を示す玄人筋もいるが、英語の勉強をしたい読者にとってはうってつけの教材でもある。何か英語の本に挑戦したいと思っている英語学習者は、これを機にイシグロの原著に挑んでみてはいかが。

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佐藤太郎(仮)

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