『綻びゆくアメリカ  歴史の転換点に生きる人々の物語』

ジョージ・パッカー著 『綻びゆくアメリカ  歴史の転換点に生きる人々の物語』





何かがおかしい、こんなはずではなかった、いったいいつからこうなってしまったのか、そう感じているアメリカ人は政治的左右を問わず数多くいることだろう。本書は1978年から2012年まで、様々なポートレートを通してアメリカの「歴史の転換点」を描いている。

もちろん78年に決定的なことが起こったというのではない。アメリカに限らずどの国、社会でも影の部分はある。とりわけ第二次世界大戦以降の数十年、アメリカ合衆国は自由と豊かさを享受していたかのようだが、一皮めくれば人種差別をはじめとする不公正がはびこり、また「赤狩り」をはじめパラノイア的被害妄想も社会を確実に蝕んでいた。70年代後半以降というのは、世界が根本からひっくり返ったというよりは、ヴェトナム戦争、ウォーターゲート事件などを経て、覆いが剥がれて影の部分がむき出しになったのだしたほうがいいかもしれない。そしてその状況を前に、人々は惑い、変化し、もがき続ける。


トランプ大統領の誕生という事態を受けて「予言の書」として再び注目を浴びることになった本がいくつかあるが、原著が2013年に刊行された本書もその一つである。

ディーン・プライスは80年代前半に「レーガンは聴衆の心をつかみ、アメリカはふたたび偉大な国になるという希望を与えた」と考え、政治家になりたいという憧れを抱いた。

共和党内においても傍流だったニュート・ギングリッチは、80年代に入ると政敵を口汚く罵ることで注目を浴びるようになる。ちょうどケーブルテレビが議会中継を始めた頃だった。「ギングリッチは何をすべきか即座に察知した」。彼は共和党候補者を募るとビデオやカセットで演説を叩きこんだ。「ギングリッチの語彙は、文脈に合っていようがいまいが、さらには意味を成していようがいまいが、つなぎあわせるだけで説得力を持った」。

「汚職まみれのリベラル派のボスたちは、アメリカの破壊をもくろみ、彼らの病的で哀れな皮肉と、奇怪きわまりない過激な停滞を強要するために、われわれを騙し、嘘をつき、搾取をする」。
トランプの言葉といってもそのまま通じそうだが、彼が政治に乗り出す以前にすでに「この時代の政治家はだれもがニュート・ギングリッチのような話し方になっていった」のである。

ギングリッチたちは「有権者が地元の政党や国家機関にもはやさしたるつながりを感じていないことも見抜いていた。彼らはテレビによって政治を判断しており、政策の説明や合理的な議論によって心を動かされることはなかった。彼らの心に訴えるのはシンボルや感情だ」。

「八〇年代の終わりには、ギングリッチはワシントンの政治と共和党を根本から変貌させつつあった。ひょっとするとレーガン以上に――あるいは、ほかのどんな政治家よりも。そして、歴史は本格的に動き始めた」。

かつては多くの家庭で、家族そろってウォルター・クロンカイトがキャスターを務めるCBSのニュース番組を見ていた。87年に「公共放送事業者による誠実かつ公正な報道を促進」するために制定されていた「公平原則」が廃止されると、ラッシュ・リンボーのトーク・レディオが全国放送化される道が開けた。保守的な人は、80年代後半以降リンボーやグレン・ベックなどのトーク・レディオやFOXニュースなどの煽情的右派メディアに耽溺するようになる。

保守的ではあったが政治に積極的にかかわってこなかったカレン・ジャローシュも、やはりFOXにどっぷりつかっていた。彼女はサラ・ペイリンを崇め、オバマ政権によって「普通の人」が割を食う世の中になると思い込み、ティーパーティー運動にのめりこむ。カレンはこれが「草の根」であることを強調し、「私たちはだれからも資金援助を受けていません」としていたのだが、結局彼女がコーク兄弟が資金を提供する団体で働き始めるように、『ダーク・マネー』で描かれた通り右翼の大富豪たちから多額の資金が流れ込んでいた。

傍からみればどう考えても富裕層、大企業優遇政策を進める共和党の政治の方が「普通の人」が割を食うことになるとしか思えないのだが、そのような理屈は彼女のような人には一切通じない。もはや共通言語を失ってしまっているのである。

右翼放送局と並んでエスタブリッシュメント・メディアへの不振を煽ったのがネットの登場であるが、本書には「ブライトバートニュース」の創設者、アンドリュー・ブライトバートの短い生涯も素描されている(スティーブ・バノンはさすがに本書には登場していない)。

なお、ここであたかもフーコーがフランクフルト学派であるかのように描かれているが、これはブライトバートがそう思ったのか著者の誤認なのかが微妙な書き方になっている(本書は幾分辛辣になるところもあるが、基本的には各章ごとに描かれる人物の視点に寄せて書かれている)。彼がはまった「倫理的相対主義」もフランクフルト学派の批判理論というよりも、それこそフーコーがそこに位置づけられるポストモダン、フランス現代思想への批判として語られるものであるが、このあたりを混同しているのはブライトバートの知的限界を示すものか、あるいは著者を含むアメリカのインテリが肯定するにしても批判するにしてもフランス現代思想にしっかり向き合うことなく摘み食いしたにすぎなかったことを表しているのかはともかく、ある意味では興味深い記述ではある。


閑話休題。
本書は最後には希望を感じさせなくもない締めくくられ方をしているのだが、現実ははるかにグロテスクなものとなってしまう。前にも書いたが、トランプの登場によって何かが変わったのではない。トランプ大統領誕生以後に本書を読むと、トランプという存在は結果であって原因ではないのだということがよくわかる。

本書は立場も置かれた環境も違う様々な人々の歩みがコンパクトにまとめられている。ギングリッチやエリザベス・ウォーレンといった右から左までの政治家。オプラ・ウィンフリーやジェイ・Zといった芸能人。ウォルマート創業者のサム・ウォルトンのような実業家。そして困難な生活を強いられる労働者。さらに「ラスト・ベルト」が形成される過程や、オキュパイ運動下のウォール街、新興住宅地として注目を浴びながら開発に行き詰まり、不動産バブルの崩壊でさらなる苦境に立たされるなかティーパーティ揺籃の地になったフロリダ州タンパなどの土地が、肖像として描き出される。

本書の中で特別な位置を占めるのが、「起業家」のディーン・プライス、「政界インサイダー」のジェフ・コノートン、「コミュニティ・オーガナイザー」のタミー・トーマス、「ベンチャーキャピタリスト」のピーター・ティールの四人である。彼らは時代ごとに繰り返し登場し、詳細にその歩みが辿られる。

「綻びゆくアメリカ」を端的に表すのが、ウォールマートがもたらしたものだ。
「いつのまにか、アメリカ自体がウォルマートのようになっていたのだ。すべてが安くなっていた。物価が下がり、賃金も下がった。労働組合に守られた工場の仕事は減り、店で接客するパートタイムの仕事が増加した。ミスター・サムが商機を見いだした小さな町は貧しくなり、そのために消費者はますます「毎日が低価格」に依存するようになり、あらゆる買い物をウォルマートですませ、場合によっては、そこで働くしかなくなった」。

こんな状況に、彼らはどう向き合ったのだろうか。

プライスは保守的な環境に育ち、保守的な政治観を持ち起業家としての野心を抱くようになる。しかし曲折の末小規模のガソリンスタンド、コンビニチェーンを始めたことで、自らの価値観が揺らぎ始める。地元民がいくら金を使おうとも、結局は州外の大企業に吸い取られていくだけではないか。コミュニティの中で経済がまわっていくようにできなければ、搾取され、衰退していくだけだ。世の中がこのように移り変わっていくのを主導してきたのは他ならぬ共和党ではないか。彼はついにオバマに投票する。環境問題は深刻だが、ノースカロライナ州では「地球温暖化」などの語彙は禁忌に等しい。呆けたようにFOXニュースを見続ける母親とは政治の話はもうできない。この地域では右派がすべてを牛耳っているかのようだ。厳しい状況の中、彼はバイオ燃料の起業に執念を燃やす。

コノートンもやはり保守的な環境の中で育つが、大学時代にジョー・バイデンと出会ったことで人生が変わり始める。これはバイデンとの愛憎半ばする関係の始まりでもあった。証券会社勤務を経て、大統領選挙に名乗りを上げたバイデンのもとにかつての約束通り馳せ参じるが、バイデンはみじめな撤退を強いられる。しかしそれで幻滅することなくバイデンのもとにとどまり、ロースクールに通って弁護士となり、クリントン政権時にはホワイトハウスのスタッフにも加わる。もっと金を稼ぐことは可能だった。それでも、彼は政治の仕事にやりがいと生き甲斐を見出していた。しかしそのコノートンも、共和党のロビイストと組んで、民主、共和、どちらの政党にも対応できるロビイング企業を作り、ボロ儲けをするようになる。ところが、リーマンショックによってその富を一気に失う。コノートンは一度離れたワシントンに戻り、ウォール街に支配された政界との対決を開始する。

トーマスの親戚には高校を卒業した者はいなかった。彼女も15歳で妊娠する。アメリカの黒人の貧困の連鎖を絵に描いたような状態に陥りかけるが、彼女は高校をドロップアウトせずに卒業する。工場に務めるが、オハイオ州は錆始めていた。時代の変化に対応できなかったばかりでなく、その裏には大企業による目先の利益追求や組合の締め出しという汚いやり口もあり、労働者は防戦一方であった。それでもトーマスは、働きながら勉学を続け大学に進み、子どもを育て、そして地域のリーダーを育てながら環境改善に取り組むコミュニティ・オーガナイザーにリクルートされる。地味でタフな仕事であるが、彼女はこれまで自分が付き合ったこともなかったタイプの人との交流も始まるなど、やりがいを見出す。そして多忙を極める中、大統領に名乗りを上げた黒い肌を持つ人物がかつてコミュニティ・オーガナイザーであったことを知る。

ティールは幼少期からずば抜けた知的能力を示していた。チェスを好みスポーツを嫌う彼がはまったのは、『スター・ウォーズ』などのSF、『指輪物語』などのファンタジーであった。宗教的にも政治的にも保守的な両親のもとで育ったティールはリバタリアンとなっていく。スタンフォード大学に進むと、多文化主義などへの攻撃で名をはせるようになり、保守系団体から援助も受けていた。90年代だというのに、エイズと同性愛とを結びつけるようなことをしていたが、実は彼自身がゲイであり、自分のセクシャリティをひた隠しにしていたのであった。
自分の頭脳をどう活かせばいいのか、いくらか道に迷った後、勃興をはじめていたシリコンバレーのITブームの波に乗る。ペイパルの創業者の一人となり、初期フェイスブックの重要な出資者となり(自分がちらりと登場する映画『ソーシャルネットワーク』を見ての反応も描かれている)、莫大な富を築く。経営者から投資家となり、保守・右派団体に資金を提供するようになり、IT業界の楽観的世界観にはシニカルで、独特の方針で奨学金を設けるなど人材育成に乗り出す。

2012年までを扱った本書では描かれないが、ご存知の通りティールは16年にはトランプ支持を表明し、そればかりか積極的にコミットを続ける。もし彼が本当にリバタリアンであれば、プライベートな領域や私企業への恣意的な介入を公然と行うトランプを支持できるはずはないが、そんなことなど気にしないのは、ティールをはじめとするリバタリアンなるものが所詮はリベラル嫌い、「良識」への逆張りに過ぎないことをこれ以上なく雄弁に物語っているかのようだ。


著者がこの四人の歩みを詳細に辿った理由はもうおわかりだろう。生まれも育ちもまるで違うが、いずれも「アメリカ的」な生立ちであり、またアメリカ的変転を遂げていった。

「アメリカが綻びはじめたのがいつなのか、それはだれにもわからない」。そして、「あるときアメリカは、かつてと同じであるはずのこの国は、引き返すことのできない歴史の転換点を超え、姿を変えた」。こう書き出される本書を読むと、アメリカはアメリカであることをやめてしまったというよりも、どう評価するにせよ、やはりアメリカはアメリカであり続けるのだと感じられる。



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佐藤太郎(仮)

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