『ゴールドフィンチ』

ドナ・タート著 『ゴールドフィンチ』





アムステルダムで、テオは数年ぶりに母の夢を見た。「一週間あまりもホテルにこもりっぱなしで、電話をかけるのも外出するのも恐れていた。ごくささいな音にさえ心が激しく乱された」。毎朝勤務につく従業員が増える前に、最悪の体調の身体を引きずってカオスと化した部屋を出て、人影まばらなロビーにおりて新聞をとった。かろうじて読みとれるオランダの地元紙には「未解決事件」、「犯人は不明」、「前科のあるアメリカ人」といった見出しが踊っていた。その「最悪にして最後の夜」、母の夢を見たのだった。「母が生きていたら、事態はもっと良くなっていたはず」だった。

あの日、テオは停学処分を受けていた。タバコが原因か、それともまさかあのことがばれたのか。テオと母は学校に呼び出されていた。会議が始まるのは11時半だったため母は午前休を取らねばならず、せっかくだからと朝食や買い物のために早く家を出たが、タクシーの荒っぽい運転に気持ち悪くなってしまい途中で降りた。歩きながら、母はここを見ると18歳でバスでニューヨークにやって来た頃を思い出すと言った。カンザスの田舎出身の母は、ニューヨークでモデルの仕事をして学費を稼ぎ、ニューヨーク大学で美術史を専攻し修士課程を終えた。父と出会わなければ博士課程に進んでいただろう。俳優をしていたこともある父との間にテオが生まれたが、アルコールの問題を抱えていた父は出奔し、ぞんざいな手紙一枚寄越したきりだった。母は広告会社に勤めていたが、経済的にはぎりぎりの状態になっていた。

横殴りの雨になり、『肖像画と静物画――黄金時代の北方の名画』と題された展覧会が行われている美術館に入ることにした。母が一番好きなのは、フェルメールの師ともされるレンブラント工房のカレル・ファブリティウスの『ゴールドフィンチ』だった。ファブリティウスは32歳で火薬工場の爆発で命を落とし、その絵もほとんどが失われており、これはわずかに現存する貴重なものだった。テオは気もそぞろなまま、同じく絵を見ている老人と少女に気を取られていた。急ぎ足で一回りしたが、母はもう一度レンブラントの『解剖学講義』を見返したいと言う。テオは一緒に戻らずにミュージアムショップで待つことにした。そして爆発が起こる。テオは瀕死の老人が倒れているのを見つける。老人は意識が混濁しており、『ゴールドフィンチ』を持っていくよう言うと、はめていた指輪をテオに手渡し、「ホバート&ブラックウェル」の緑色のベルを鳴らせと指示するのだった……


「訳者あとがき」で引用されている書評でスティーヴン・キングもミチコ・カクタニもディケンズに言及しているが、これは偶然ではなくタートの意図を汲んでのことだ。作中にもディケンズとその作品が登場する。「孤児」同然となる主人公、薄幸な少女、底抜けなほど善良な人物に、根はいいもののその環境から危うい道に足を踏み入れようとしている人物、禍々しい人物、幸福そのもののような家庭に差している影に、謎めいた家系。こういった要素はどれもディケンズ的であるが、何よりもタートが目指したのは、ディケンズ的なページをめくる手が止まらなくなるほどの面白さであろう。ポール・オースターは物語における偶然を擁護したが、『ゴールドフィンチ』も偶然が物語りを転がす部分が多く、もちろんこれもディケンズ的世界を意識してのことだろう。

もう一人重要な作家が、「白痴」という章があるようにドストエフスキーだ。『白痴』への言及もあるが、『罪と罰』や『賭博者』も陰に陽にストーリーに絡んでいる。

またテオはその家庭環境もあってなかなかの映画好きでもあるが、おそらく本作の肌触りに一番近いのは、(その長さも含めて)スコセッシの作品かもしれない。成り上がり、ドラッグ、疑心、暴力、破滅へ転がっていくといったあたりは非常にスコセッシ的だ。

ということで面白さ間違いなしという感じで、実際に面白かったのであるが、とはいえやはり長すぎるかなというところもなきにしもあらずでもあった。邦訳は四分冊で合計千二百ページ(!)に迫ろうかというほどで、ジョン・アーヴィングが典型だがこういったディケンズ的世界の再構成を試みる作品はその長さも魅力の一つなのであるが、もう少々刈り込んでもという気もした。この長さの主たる要素は語り手テオの饒舌さにあり、必ずしもプロットに直接絡むものだけではなく薀蓄的要素も多々あり、削ることも可能であったことを思えばこれもまた意図してのものであろうが。


映画化という話もあるようだが、忠実にやろうとすればこれだけの長さの小説を一本の映画にまとめるのは至難の業であろう。でもスコセッシならば……とつい想像してしまうが、仮にそんなことになれば『グッドフェローズ』的作品になるのかもしれない。

ということで検索してみたら、『ブルックリン』の監督ジョン・クローリーで映画化が進んでるみたい。忠実な再現は分量的にまず不可能なので、どこを残してどこを削るのだろうか。


それからタートの『シークレットヒストリー』は『黙約』と改題されて復刊された。こちらにはタートを高く評価する村上春樹が文章を寄せている。


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佐藤太郎(仮)

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