政治についてダラダラと

民進党が希望の党への合流を決めた時は、自公希維で430議席超獲得、「小池首相」で大連立なんてのも最悪の展開として覚悟をしたのだが、小池百合子と前原誠司という無能政治家が自らこれを潰す事となった。

国会議員を20年以上やっている政治家が複数集まって新党を作り国政選挙に挑むにも関わらず幹事長すら決められかったというのは、「希望」に群がった政治家の無能さを何よりも雄弁に物語っている。見方を変えれば、小池が極右であるばかりか政治家としても無能であるということはとっくの昔にわかりきっていたにも関わらず、ここまでのさばらせてきたテレビを中心とするメディアの異様さというものを指摘せずにはいられない。

ということで以下は、投開票日にテレビなんぞを見る気になんてとてもなれないし、気がくさくさして何も手につかないしという中で思いつくままにダラダラと書き飛ばしたものなので、いろいろツッコミどころ満載でしょうが適当に読み飛ばしていただければ。


小池が何を考えてきたかというと、一貫して「自民党に自分をいかに高く売りつけるか」であったろう。そのために選挙後に邪魔になりそうであったり目障りになりそうな存在をあらかじめ「排除」しておこうとしたのだろうが、驕りからタイミングを見誤り自らの墓穴を掘った。

一般的には民進側が小池人気にすがろうとしたと見られているのだろうし、それは事実でもあるが、一方で「希望」の側も、ヒトがいない、カネがない、組織がないというないないづくしであり、民進及び連合のカネと組織を喉から手が出るほど欲していたが、民進の「リベラル派」をナメきっていたために自らこれをドブに捨てた。

前原の方はといえば、共産党との連携に気が進まなかったところに降って湧いたような小池旋風が起こり、これでもう共産党とおさらばできると飛びついたといったあたりだったのだろう。本来ならば持たれたイメージとは逆に相手の足元を見ることができる立場にありながら、「お人好し」にも(うさん臭さ全開の詐欺師にあっさり騙されるのが「人の好さ」なのだとすればこう呼ぼう)小池を信じて醜態をさらした。

ここで注意をしなくてはならないのが、民進党の代表選挙で前原を圧勝させ、小池との連携へと背中を押したのが連合だということだ。現連合執行部は反共意識が極めて強く、共産党と連携するくらいなら自民党と手を結んだ方がいいとすら考えているようにしか見えない(「高プロ」法において秘密裡に官邸と接触しこれに賛成しようとしていたことはその表れである)。前原を代表につけて連合がやろうとしたことは、要は民進党の民社党化であった。


日本の現在の政治を考えるうえで死に票の多い小選挙区制の弊害をふまえなければならないのは当然であるが、しかし今の政治状況がそれによってのみもたらされたのだと片づけることもできない。当初は深く考えられていなかった「バグ」とでもいうべき現象が起きている。それは自民党と公明党の一体化だ。

自公連立以降、自民党は小選挙区において常に数万票の下駄を履かせてもらっている。2009年のように高投票率で学会票を薄めることができない限り、自民対民主/民進であれば戦いは成立しても、自公対民主/民進では勝負にならない。
そこで学会票ほどではないが、ある程度の基礎票を持っている共産党との連携を模索せざるを得なくなったのであるが、反共意識の強い前原をはじめとする民進右派議員や連合執行部はこれに消極的であった。


20代の自民党支持率が高いことについて、雇用を中心とした経済情勢の影響とする見方があるが、それを全面的に否定するつもりはないものの、それだけに理由を帰してしまうのには、70年代後半生まれの人間として疑問を呈しておきたい。僕は就職氷河期ど真ん中であるが、では現在の40歳前後が当時の政権与党であった自民党への怨念渦巻く世代なのかといえばそうではなく、むしろ自民党への支持が非常に厚い世代として知られている(とりわけ男性)。第二次安倍政権誕生以前から、さらには民主党政権誕生以前から若年層の政治的保守化は指摘されているし、それがさらに強化された結果なのではないだろうか。経済情勢が悪化したら、現在の40代以下の世代が自民党支持をやめるのかといえば、それは疑わしく思える。

あくまで個人的体験に依るが、十数年前を振り返ると、周囲に左傾化した人間はほとんどおらず、かといってウヨ化した人間もごく少数で、ほとんどがノンポリであった。ただしこの「ノンポリ」が曲者で、「サヨク」っぽいものへの忌避感は非常に強い一方で、極右的なもの(とりわけ歴史修正主義)への拒否感はほとんどない。日の丸君が代の強制に反対しようものなら「頭のおかしいサヨク」扱いで嘲笑の対象であったが、小林よしのりを真に受ける人間がそれだけでイタい人扱いされることはない。あまりに露骨にウヨ性をむき出しにすると煙たがられるといった程度で、これが当時の「ノンポリ」であった。

僕らの世代の人文学系知的ヒーローといえば東浩紀であったが、ここ数年の彼の現実政治へのスタンスは、極右は我慢できるが共産党がでかい顔をするのには耐えられない、といったあたりだろう。やはり彼は70年代以降生まれの世代を象徴し、代表しているとすべきだろう。

枝野幸男は立憲民主党から「左翼臭」を消すことに傾注していたし、選挙戦略としてはそらくそれが「正しい」のであろう。何せ今や天下の大朝日新聞様に小林よしのりは「識者」として堂々と登場し、「リベラル政党」の応援にまで駆り出される時代になってしまったのであるから。

贅沢言わないからせめてロールズ-セン路線の政権を担いうる中道左派政党ができて欲しいと思っているし、立憲民主党にはその方向に進んで欲しいと願ってはいるが、この日本社会の状況を考えるとそう楽観的な気分にはなれない。この根は、ここ数年ではびこるようになったのではなく、それよりもはるか以前から地中深くに伸びていたのだから。


1980年代には、左翼は「サヨク」とされ、嘲笑の対象となっていった。島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』は「嗤われる」存在としての「サヨク」を自虐的に描いたものの嚆矢である。80年代中盤以降を支配したバブル的ユーフォリアにおいては、時代錯誤にも「生真面目」なサヨクなど、愚か極まりない存在にしか映らなかった。

80年代はサッチャー、レーガンといった「ネオリベ」の時代であった。クリントン、ブレア政権の誕生はその揺り戻しであると、当時は受け止められた(もっともその後、両政権はむしろネオリベの忠実なる後継者であったと評価が修正されることになるが)。日本にも80年代に中曽根政権があったが、しかし90年代に揺り戻しがくることはなかったどころか、逆の方向へと進み始めた。

80年代にすでに「嗤われる」存在であったサヨクは、90年代に入るとその受け止められ方は分裂したものとなる。

右翼は冷戦の終了によって高揚感に包まれるどころか、むしろこれまで以上に左翼への被害者妄想を募らせるようになる。おそらくこれは、冷戦期には同盟国として封印されてきた韓国への差別感情が「解禁」されたことや、日本の経済情勢の悪化という現実からの逃避願望などがシンクロしてしまったせいであろう。戦争体験者が政界、官界、メディアの一線から退場し始めたのも追い打ちをかけた。

また一方で、「サヨクはバカ。サヨクなんてもう誰も相手にしない」とさえ言っていれば「リアリスト」扱いされるという状況も生じた。80年代にデビューした浅田彰は左翼性というものをある程度は保持しているが(同時にそれに徹しきれないでもいるが)、浅田と年齢はあまり変わらないが論壇デビューは90年代の宮台真司はまさにこの「サヨクはバカ。サヨクをバカと言えちゃう俺はスゴイ」戦略を取ることになる。三浦瑠璃あたりはこの「サヨクを腐しておけばリアリスト」戦略のエピゴーネンであり劣化コピーであろう。また登場いただくが、朝日は三浦を「識者」として好んで起用しているが、「旧弊なイデオロギーに縛られない、時代の荒波を軽やかに乗りこなす新感覚のリアリスト」的なイメージが売りの「若手論客」は、「新人類」の頃からむしろ朝日の好物であったのではないだろうか。


細川護熙が日本新党を結党すると、これに熱狂したのは、時代遅れとなった社会党では自民党に勝つことはできないし、「サヨク」的なものを切り捨てて穏健保守にまでウィングを広げなければならないと考えた人たちだろう。細川が全面に掲げたのが規制緩和であったが、これは保守的な社会を改革するものだとしてかなり広い層から好意的に見なされたが、その内容が問われることはなく、気分の問題に留まり続けた。この「改革気分」は自己啓発セミナーの受講者的な野心家と相性がよく、維新や都民ファーストのように未だにその手の人間を政界に吸い寄せている。

現在から振り返れば日本新党は穏健保守どころか小池や松下政経塾系の右翼の巣窟であったのだが、当時の日本新党支持者(そのうち少なからぬ人がおそらくは中道左派志向であったろう)はそれに全くの鈍感であった。侵略戦争であったことを率直に認めるなど、自身としては穏健保守のつもりであったろう細川も極右に対する拒否感はなかったし、今でもないようだ。


90年代前半に自民党から離党者が相次いだのは、このままでは自民党はじり貧になるという分析からだった。金丸信が金の延べ板をため込んでいたのは保守新党結成のための資金であったといわれるように、自民党に代わる保守政党を作らねば持たないという意識は自民党内部に存在していた。

そしてこの分析は正しかったといえる。これまで自民党を支えてきた集票組織の衰えは隠せず、自民党員は減少し続けている。しかしそこに小泉純一郎が登場したことにより、自民党は右派ポピュリズム政党という顔も持つようになる。イデオロギーではなく「実利」的理由から自民党を支えていた層が後退し、青年会議所のような右派色の強い組織がその結果として発言力を増すようになったのも、小泉的変化にとって好都合であった。

政策的にいえば、90年代半ばに小沢一郎を中心とする右派色の強い保守、穏健保守と左派といったあたりに分かれていればある程度すっきりしたのであろうが、亀井静香のような自民党右派から社会党までが手を結んだ自社さ政権の誕生や、理念的には近いはずの加藤紘一と河野洋平が犬猿の仲であったり、はたまた新進党の結党と解党などのゴタゴタにより、棲み分けは混沌としたものとなっていく。


80年代以降日本社会全体が保守化していったが、政界の右傾化のスピードはこれを遥かにしのぐものとなった。そこに誕生したのが民主党であり、ここにはそもそもから「ねじれ」が生じていた。鳩山由紀夫と菅直人を中心に結党された民主党は小沢の新進党に対抗する政党として、中道左派から非自民穏健保守までを糾合する勢力として、中道左派的な意味でのリベラルからも期待を集めた。しかしそこにはまた、日本新党と同じような「改革気分」の小さな政府志向の勢力も含まれていた。支持者としては中道左派的なリベラルの方が多いが、国会議員においては自由主義的なリベラルですらないような小さな政府志向の方が多く、これが党の路線を迷走させていく。

社会党出身議員を多く抱え込んだことから、民主党は社会党とは違うのだということをアピールせねばという強迫観念にとらわれる。「護憲」は社会党っぽいので禁句。政府与党の法案に反対であってもただ反対するだけでは「なんでも反対の社会党と同じ」と見なされてしまうという恐怖感から対案路線をとり、審議拒否という国会戦術も社会党っぽいのでやりたくない。自民党からすればあまりにちょろい野党であり、弱体化したはずの自民党の小渕政権はこれを存分に利用して乗り切った……が、じり貧状態はやはり解消できず、結局「悪魔にひれふして」小沢と手を組み、池田大作を国会に呼ぶぞと息巻いた舌の根も乾かぬうちに公明党も取り込むことになる。しかも新進党の解党によってさらに右派議員の割合が増加したことで、民主党に対する中道左派的なリベラルの期待とその実態との「ねじれ」はますます深まった。

小泉政権が誕生すると、民主党代表であった鳩山は頓珍漢にもエールを送った。民主党議員からは小泉政権はこちらのやりたかったことをやっているだけだという恨み節がもれてきたが、これは当時の民主党主流派の性格をよく表すものだろう。さらには前原は代表として「メール問題」で民主党を崩壊させかける。

皮肉なことに、この状況を打開したのが「右」に居場所のなくなった小沢であった。
「民由」合併はポジティブなものというよりも、両者ともに追い詰められての結果であったし、さらに小沢が民主党の代表に収まることにはリベラルからの警戒感は強かった。
それでも、小泉政権時からくすぶる年金問題によって「生活保守」感覚が高まり、「ネオリベ」型社会への疑念や嫌悪感も広がり始めていたのを受けて、小沢は民主党を小さな政府志向から再分配重視へと転換させたのであった。ここで「ねじれ」がついに解消され、大きなうねりを巻き起こし、創価学会票をものともしない高投票率を記録した選挙によって政権を獲得する。


言うまでもなく、鳩山をはじめとする民主党の面々が政権運営を甘く見ていて準備不足であったことは間違いない。福田内閣時に小沢がやろうとして党内から猛反発をくらった大連立構想は、これを懸念したものだともされる。同時に、官僚を中心とするエスタブリッシュメント側の反発が想像を超えるものであったことも確かだ。とりわけ検察は、見込み捜査に失敗したにも関わらず執拗に小沢の首を狙い続けた。第二次安倍政権以降の検察と比較すると、当時の検察の動きがいかに異様なものであったのかがわかるだろう。

小沢という政治家をどう評価するにせよ、明らかな不当捜査に対して民主党は団結してこれに対抗せねばならなかったにも関わらず、小沢と距離を置く議員はむしろこれを奇貨として、小沢の追い落としばかりか小沢一派の追放まで図ることになる。

かつて「社会党とは違う」ということを必死にアピールしようとしていた民主党は、今度は「自民党と変わらない」ということをアピールしようとすることになった。そして悪い意味で自民党議員以上に自民党的政治家である野田佳彦がトップに立ち、リベラルの期待は完全に打ち砕かれた。中道左派的な民主党支持層は、共産党への消極的支持へと流れていった。

80年代以降「サヨク」への忌避感が植え付けられ、これにより「自民党以外が政権を取ると混乱が起きて大変な事態になる」という刷り込みが行われた。現在の二十歳前後であっても、第一次安倍政権から福田・麻生政権の自民党のグダグダっぷりを目の当たりにしているはずなのであるが、これが民主党政権の失敗によって上書きされ、なかったことにされている。

一般的にエンターテイメント産業はリベラルであったり左派的であったりする傾向が強いが、ここ30年ばかりの日本はその例外である。とりわけテレビの右傾化はここ十数年でおそろしいほど進んだし、若年層への影響も無視できないだろう。先日も池上彰が世界各国を「親日国」と「反日国」とに色分けして「解説」をするという番組があったそうだが、このようなパラノイアに冒された独裁国家のプロパガンダ放送のようなものが地上波のゴールデンタイムで放送され、しかも高い視聴率を取り、おそらくは「真面目」な番組として消費されているという惨状である。


第二次安倍政権を支える最大の心理がシニシズムであろう。世論調査では以前から一貫して安倍政権への政策的評価は低いし、安倍個人の人格への信頼度も低い。それでも高支持率を保っていたのは、「政治なんて自民党にまかせておけばいい」、「もう一度政権交代するくらいなら民主主義なんてやめたっていい」といった心理のなせる業であろう。安倍が未だに民主党政権の批判を繰り広げるのは、このシニシズムこそが生命線だと考えているからだろう。

現在の自民党は、「自民党に投票しない奴はアカだ」的なムラ社会的保守性の残滓、右翼ポピュリズム、そしてこのシニシズムに支えられ、選挙ではさらに創価学会からの票ももらえる。

このシニシズムを揺さぶったのがモリカケ問題というあからさまなネポティズムであったが、日本社会にこびりついたシニシズムの強力さは、国会で追及されたくないがために憲法を無視して国会を開かないでいたら支持率が上昇したという、普通では考えられないような状況に表れている。ネポティズムへの嫌悪をも上回るシニシズム支配こそが、野党の分裂以上に今回の自民党の「勝利」の最大の立役者であろう。

僕は安倍政権が一刻も早く終わってほしいと思っているが、その最大の理由は、ただでさえ脆弱だった日本の民主主義の土台が安倍政権によってさらに腐っていっているからだ。安倍政権が終わろうとも腐食した基礎は残り続けるし、これは後々まで禍根を残すことになるだろう。

そしてこれは狭義の政治に限らない。第二次安倍政権誕生以降、日本社会において「正義」や「正統性」を求める意識は大きく後退した。東芝が行ったことは粉飾決算以外の何物でもないが、お縄を頂戴した人間がいないばかりか、事実上税金での支援まで行われている。さらには日銀や年金などの資金で東芝の株価を買い支えたという疑いも濃い。またここにきて不正が発覚した神戸製鋼もやはり、これらの資金によって株が買われている可能性がある。不正を行った企業を救済するためにさらなる不正行為が行われていても、それがたいした騒ぎにならないのが日本社会の現状である。日産を含め、日本有数の大企業の不祥事が相次ぐ中、選挙期間中に一貫して株が上がり続けるというのは(利益確保のために一息つくことさえなかった)あまりに不自然であり、日銀等が安倍援護のために株高を演出した可能性が高いが、これにも無感覚である。

90年代以降の「リアリスト」志向は若年層をコンフォーミズムへと導いた。体制に逆らうのはアホのやること、強いものを利用してうまいことやり抜けるのが賢い振る舞いだという発想もまた、シニシズムとの相性は抜群だ。若年層は、おそらくはそこまで自覚的であるのはごく少数で、多くは権力、権威、体制といったものに従順であることが内面化されきってしまっているのであろう。


トランプという存在は結果であって原因ではないと書いてきたが、これは第二次安倍政権についてもあてはまる。僕の世代は阪神淡路大震災やオウム事件などと十代で出くわしているし、僕自身もそれらに衝撃を受けてはきたが、僕が心から「日本社会の底が抜けてしまった」と感じたのは、イラク人質事件であった。「自作自演説」がとびかったが、それを官邸が意図的に広めたことが明らかとなったときに、これでさすがに小泉も見限られるだろうと思った。ところが、相も変わらず高支持率を維持し続けたのであった。もともと小泉のことは嫌いであったが、ここまで下劣極まりない人間であったかと反吐の出るような気分にさせられたし、それ以上に、その下劣さを見せつけられても平気でこれを支持し続ける人がこれほどいることに、恐怖すら感じた。小泉はこれ以外にも、「自衛隊のいる所が非戦闘地域」をはじめ、国会を愚弄する発言を繰り返し行ったが、日本社会はこれを受け入れてしまった。小泉は選挙で退場させられたのではない。小泉は安倍晋三を「後継者」に仕立てたあげたが、安倍はまさに小泉の「後継者」にふさわしい政治家だ。


このように長い過程を経て形成されたのが第二次安倍政権とそれを取り巻く環境であり、この流れを決定的に変えるのは容易なことではない。だからといって、毒を以て毒を制すとばかりに世論の保守化を利用して、右翼ポピュリズムを倒すために右翼ポピュリズムの力を利用しようとするのは本末転倒である。また防衛反応として、負けないためにシニシズムに身を任せることは、それこそシニシズムへの屈服に外ならない。

枝野について嫌味っぽいことを書いてしまったが、一方で枝野を見ていると人は変わるのだとも思う。彼はもともとはどちらかといえば自由主義者という意味でのリベラルであろうし、その方面ではある程度信頼はしていたが、決して中道左派的な意味でのリベラルではないとも思ってもいた。かつてのその珍妙な経済政策は悪評高く、また再分配政策に熱心であったという印象もなかった。しかし少なくともこの間の代表選挙での主張を見る限りでは(当人はそういわれるのを望まないかもしれないが)、十分に中道左派という意味でのリベラルだとすることができる。できれば政権にいるうちにそちらの方向に舵を切ってほしかったが、それを言っても詮方ない。卵が先か鶏が先かはわからないが、保守化が進んだ日本社会においてリベラル派は小粒な政治家が多かっただけに、メディアにアピールできる貴重な存在となったことは間違いない。

もちろん枝野個人の胆力に期待して指をくわえてまっていればいいというのではない。ここ30年近くに渡って「リベラル」の犯した最大の過ちは、永田町の離合集散にばかり関心を奪われ、足元を固めるのをおろそかにしたことだろう。かつての民主党の足腰の弱さは地方議員の少なさにも表れていた。世論の保守化をはるかにしのぐ右傾化が政界で進行したのは、ウヨることが手っ取り早く知名度を上げ、票とカネに結び付くと認識されたせいもあるだろう。例の日本会議にしても、よくわからんがとりあえず名前を連ねておけば得しそうだということで加わった政治家も少なくない。

地方議会選挙で、首長選挙で、リベラルであることは損にならない、票に結び付くのだという流れを作り、それを広げていく努力を続けていかなくてはならない。シニシズムにとりつかれ保守化した若年層を嘆き、選挙に関心を持たない人々に悪罵を投げかけたところでどうにもならない。「われわれが政権を獲得すればあなたの生活はよりよくなるのだ」というメッセージを伝えることができなければリベラルの勝利は有り得ないし、政治家をより大胆にそちらへと向かわせるには、投票以外も含めた政治への継続的コミットメントが欠かせない……と、自戒の念を込めて自分に言い聞かせたところで、このへんでいい加減に。
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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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