『ザ・コールデスト・ウィンター』

デイヴィッド・ハルバースタム著『ザ・コールデスト・ウィンター』




ハルバースタムといえばヴェトナム戦争を扱った『ベスト&ブライテスト』が名高い。その彼が結果として遺作となる作品に選んだ題材は朝鮮戦争であった(もっともハルバースタムは本作が遺作になるなどとは思ってもみなかっただろう。本書のゲラを仕上げた五日後に次の取材先へ向かう途中に交通事故で命を落とした)。

本書を読めばハルバースタムがなぜこの題材を選んだのかはすぐにわかるだろう。

すべての戦争はなんらかの意味で誤算の産物かもしれない。だが朝鮮では戦争当事者双方の重要な決定のほとんどすべてが誤算に基づいていた。まずアメリカが防衛範囲から朝鮮半島を外し、これがさまざまな共産側当事者の行動を誘発した。ついでソ連が金日成の南への侵攻に青信号を出した。アメリカの参戦はないと確信したのである。アメリカは参戦した。そのときアメリカは、立ち向かう相手の北朝鮮軍の能力を過小評価する一方、初めて戦闘に赴くアメリカ軍部隊の準備態勢を法外なまでに過大評価していた。アメリカ軍は後に、中国軍の度重なる警告に注意を払わず、三十八度線の北に進撃する決定をくだした。(下 p.428)

国務長官アッチソンの軽率な対応が戦争を誘発し、中国軍の介入はないという誤った見通しが戦争を泥沼へと引き込んだのであった。

正しい情報が伝わらず、入手できたとしてもそれを歪めてしまう。
国民党に過剰な肩入れをする右派の反共イデオロギーが目を曇らせ、東洋人が白人に対抗できるはずもないという人種偏見が適切な準備を怠らせた。
これはまさにヴェトナムに通ずるものであり、本書のエピローグでハルバースタムは朝鮮戦争の後遺症がヴェトナム戦争を招き、教訓を学ばなかったことが泥沼に陥った原因であるとしている。

本書においてとりわけ辛らつに描かれるのがマッカーサーである。
第1章は一九五〇年十月二十日に平壌に入ったアメリカ軍から始まる。クリスマスまでには戦争は終わるはずであり、兵士には冬服の準備もなかった。しかしマッカーサーはさらなる北進を命じ、アメリカ軍はいないはずの中国の「義勇軍」と遭遇する。戦争の前半、中国軍の術中にはまっていく様子はヴェトナムで再現されることになる。
肥大したエゴを持ち時代遅れの存在となってしまったマッカーサーこそが戦争を泥沼化させていった。

トルストイは『アンナ・カレーニナ』をこう書き出した。「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ」
一見納得いくようだが、幸福と不幸とを取り替えても通ずるように思える。ならばこう言い換えてもいいのかもしれない。「失敗に終わった戦争は皆同じように似ている」。

朝鮮戦争は引き分けという形で休戦に持ち込まれた。勝者がいなかったのではなく、共に敗者しかいなかったのかもしれない。
アメリカ側では「ダイ・フォー・タイ(引き分けのために死ぬ)」といわれた。
一方で共産国特有の「死をいとわない」決死の作戦、裏を返せば人命軽視の人海戦術というのもぞっとさせられるものであり、毛沢東もこの戦争を通じてマッカーサー同様時代遅れとなっていった。

アメリカにはまがりなりにも民主主義があり、マッカーサーは文民のトルーマン大統領によって解任され、議会での対決を通じてマッカーサーの名声の化けの皮がはがされる。
一方で、毛沢東を頂き続けた中国は「大躍進政策」によって未曾有の被害を出す。そして朝鮮戦の英雄であった彭徳懐は文化革命の中悲劇的な最後を迎える。

戦争そのものは勝利があり敗北があり引き分けがある。しかし人間にとっては、戦争にいたってしまうことこそが最大の敗北なのである。
戦争を防ぐためにあらゆる準備をつくすこと、そのことは現在でも政治や軍において軽視され続けている。
歴史から学ぶことの大切さを改めて考えさてくれる一冊であろう。

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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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