『第三帝国』

ロベルト・ボラーニョ著 『第三帝国』




恋人のインゲボルグを伴って、ドイツ人のウドはかつて家族とともによく訪れていたカタルーニャはコスタ・ブラバのリゾートホテルを十年ぶりに訪れた。憧れをもって見とれていたオーナー夫人のフラウ・エルゼはかつてと変わらない美しさを保っていたが、ウドのことは記憶にとどめてはいなかった。

ウドとインゲボルグは同じくドイツ人旅行者のチャーリーとハンナのカップルや、地元民の<狼>、<子羊>、そして激しい火傷の痕が痛々しい<火傷>らと出会う。ウドはフラウ・エルゼにちょっかいを出し、彼女の夫が病にふせっていることを知る。刹那的な破滅願望にとりつかれているかのようなチャーリーは次々とトラブルを引き起こし、ついには海へ出たまま行方不明となる。ハンナはさっさとドイツに帰ってしまい、インゲボルグも予定通り帰国するが、ウドはチャーリーが発見されるまでここに残ると言い出す。

ウドは純粋に休暇で訪れていたのではなかった。彼はゲームの評論家でその締め切りに追われており、ウド自身もあるウォー・ゲームのチャンピオンであった。そのゲームのタイトルは、第二次世界大戦を舞台にした「第三帝国」。ウドは<火傷>とこの「第三帝国」の対戦を始める。当初は勝負にならないほど力の差は歴然としていたが、<火傷>は粘り強く勉強を重ね、次第にウドを追い詰めていく。ウドは<火傷>にアドバイスを与える謎の人物の影を見て、様々な疑念にかられる。チャーリーの亡霊? まさか。フラウ・エリゼの、病にふせっているはずの夫だろうか。その可能性はある。こうしてウドは徐々に精神のバランスを崩していく……


夏の終わりかけの気怠さが漂う中で、観光客たちが地元民と交わりつつ無為にダラダラと時を過ごす前半はどこかヘミングウェイの『日はまた昇る』あたりを連想させる。しかし次第にその雰囲気は、気怠さから不穏なものとなっていく。ウドはゲームのチャンピオンであるが、ドイツ人が「第三帝国」なるゲームで、第二次世界大戦でドイツを勝利させようとするというのは、いくらゲームとはいえあまりにグロテスクである。ウドは「あなたナチなの?」と問われると、自分はむしろ反ナチだと答えるのだが、ウドにとってナチス時代は遠い過去のもので、自分とは最早関係のないものに思えているだろう。作品の舞台となっているのは、おそらくは80年代のスペイン。つまりフランコ独裁体制の終焉からまだそれほど時は流れていない。フランコがヒトラーの支援によってスペイン内戦で勝利を収めたことを思えば、そして政権掌握後にカタルーニャ地方を激しく弾圧したことを合わせると、ウドの振る舞いは無神経極まりないが、彼はそのような歴史に思いをめぐらすことはない。

異形の<火傷>は、そのウドを揺さぶるストレンジャーである。パゾリーニの『テオレマ』のように、「異人」とは安定しているかのような状況に闖入し、その内実を顕わにしていく存在だ。彼はスペイン人ではなく南米出身のようだ。そしてその火傷は「名誉の負傷」だとされている。このことから、彼が南米の独裁政権下で拷問を受けた経験を持つ政治難民であったのではないかと推測せずにはいられない。南米はナチの残党を多く迎え入れた。メンゲレやアイヒマンのように密やかに「普通」の暮らしを手に入れたナチの残党がいたと同時に、摘発や拷問などの技術を提供することで情報機関等に雇われ、公然と暮らした人間も多い。明示されないが、<火傷>はナチの残党によって拷問され、火傷を負った可能性がほのめかされる。

<火傷>は「第三帝国」をただのゲームとは見なしていないようだ。彼は絶対にナチを倒すのだという不屈の意志を抱いているかのようである。たかがゲームだろ、とウドは思うが、もし負けたらどうなるのだろうか。<火傷>の逆襲は、ゲームの勝利だけに終わらないのかもしれない。

ウドとフラウ・エルゼはこんな会話を交わす。

「あなたは何者なの?ただのウォー・ゲームのプレイヤー?」
「もちろん違う。僕は若くて楽しみを求めている……健全な仕方でね。それにドイツ人だ」
「ドイツ人って何?」
「正確にはわからない。言うまでもなく、少しばかり難しいんだ。僕たちは少しずつそのことを忘れてきたんだ」
「わたしも忘れた?」
「皆だよ。あなたはまだ少し忘れていないことがあるかも」
「だとすれば喜んでいいんでしょうね、たぶん」



本作は89年に手書きで書かれた。その後タイプされ、ボラーニョは引き続き手を入れていたようだが、結局生前は発表されることなく、遺稿の中から発見されて没後に出版された。前半部はしっかり完成している雰囲気であるが、中盤あたりから本来はもっと書き込みたかったのではないかと思わせるような箇所が増えていく。後半は断章風になっていくが、あえてこのような形にしたのか、とりあえずラフなスケッチを書いておいて後に加筆するつもりだったのかはわからない。ボラーニョはこの作品を完成したものとは見なしていなかったのかもしれないし、とりわけ中盤から後半にかけてはそのように見なされかねない。しかしまた、ただの未完成な草稿であって、研究者やコアなファンが資料的関心しか抱けないような作品なのかといえば、そうではない。後半はどこかカフカの『審判』や『城』的作品の雰囲気を感じてしまったが、それは未完成作品の没後出版という先入観がそうさせるのかもしれない。しかしカフカの長編が未完成であっても(あるいはそうであるがゆえに)深みのある魅力をたたえているように、この作品もまた魅力的なものとなっている。

ボラーニョが繰り返しナチにこだわりを持つのは、彼自身がチリでピノチェト政権で迫害された経験を持つからであることは想像に難くない。象徴的物語でありながら、極めて切実な経験から生み出された作品であり、またボラーニョはそのような小説を紡ぎ続けた作家である。この『第三帝国』は、小説家として世に出る以前にボラーニョがすでにそのような姿勢を固めていたこともわかる、ボラーニョらしい作品になっている。

『戦う姫、働く少女』その2

河野真太郎著 『戦う姫、働く少女』





その1の続き。


本書でもう一つのキーになるのが「承認と再分配のジレンマ」である。

本書では映画、漫画、ドラマ作品が数多くの作品が取り上げられているが、強調しておきたいのは、作品や作者を「これは新自由主義だから駄目だ」「これはポストフェミニズムを表している」といったように正誤の価値判断を示して切り捨てているのではないということだ。

『魔女の宅急便』は新自由主義的な感情労働の支配を(肯定的に)描いたように見えるが、そこには昔ながらの寡黙なパン職人であるかのようなおソノの夫の姿もある。また『千と千尋の神隠し』においては千は名前を奪われ強制的に働かされることになる。高畑の『おもひでぽろぽろ』は宮崎の『となりのトトロ』を批判したものだとされる。田舎をロマンティサイズしていた主人公は、田舎が「自然」なものではなく人が作り上げたものであることに気づかされ、結婚していざそこに住むということを考えるとたじろぐのである。高畑の『かぐや姫の物語』も、本書で多様な分析が行われている。このように一つの作品内部の中での揺れは当然あるし、複数の、思いがけない作品を対照することで時代の流れが浮かび上がることにもなる。

『おおかみこどもの雨と雪』は公開当初からいくつかの理由で違和感、さらには嫌悪感をもって語られることが多かった作品だ。一つには高畑が『トトロ』を否定的にとらえたように、「田舎」をいたずらにロマンティサイズしているというものであり、またこの作品が「貧困の再生産という再分配の問題を、人種的差異の乗り越えという承認の問題に置き換えて解決していること」も議論を呼んだ。そしてこの両者にはつながりがある。

貧困の再生産の問題が後景に退き、「私が私であること」を肯定できることによって一応のハッピーエンドを迎えたかような結末は、「文化的承認が再分配における不公正を隠蔽」しているかのようだ。
「『おおかみこども』における田舎という場は、福祉を提供する国家や、教育を提供する大学制度の否定の場なのである。その意味で、田舎の共同体を肯定的に表象することは、逆説的にも新自由主義的な現在の追認になっているのだ。そして重要なのは、そのような田舎を背景にしてこそ、貧困の反復が文化的なアイデンティティ選択によって覆い隠されることだ」。

しかし著者は同時にこう問いかける。「それがこの作品のすべてなのか」。「『おおかみこども』という作品の新自由主義的な側面、多文化主義にイデオロギーににこめられた願望を、すべて虚妄として退けてよいのか」。

ここで願望される「田舎」とは、「そもそもそこから逃走する必要のない都会」であるのかもしれない。「そこから逃走する必要のない都会=社会とは、無縁であることが社会的排除をもたらさないような、究極的な包摂社会である」。
「『おおかみこども』が願望する無縁社会は、ホールデンのライ麦畑の現代版であった。それは個人が徹底的に個人化されつつ、だがそれが排除を伴わない社会だという意味で、究極の新自由主義であり、なおかつ究極の福祉国家である」。著者はこれを「ベーシック・インカムの基本理念に近い」としている。「かくして、花の最後の叫び、雨に対して呼びかける「しっかり生きていきなさい」という叫びは、新自由主義的な叫びであるのとまったく同時に、雨が母の庇護なくとも――つまり無縁であっても――無事に生きていけるような社会への呼びかけでもある」。
もちろんこの願望は「危険な願望」であり、『ライ麦畑でつかまえて』において、子どもたちが崖から落ちないようにキャッチャーになりたいと語ったホールデンが精神の危機を迎えるように、「ユートピ思想」であるのかもしれない。


上記に引用したように、『おおかみこども』において、福祉を提供しようとすることが花にとってあたかも敵対行為であるかのように描かれている。田舎暮らしを決意した花は、元大学生らしく本で農業知識を得ようとするがこれはうまくいかない。しかし、おそらくは学歴はないと思われる、当初は不親切に見えた隣人の助言によって花は救われることになる。

「民間では」云々という言葉と並んで橋下徹が好むのが、自身の敵対者を「自称インテリ」とすることだ(「私はインテリだが……」なんて自称する人はまずいないであろうことを考えるとこの言葉は極めて珍妙なのであるが)。橋下に限らず「実学」志向の名のもとに、教育への介入、攻撃は新自由主義の常套手段であり、安倍政権においてもそれは顕著である。同時に、とりわけ大学への介入と締め付けの強化という流れは安倍政権発足前から始まっており、安倍の個人的資質もそれを強化しているが、それだけの問題ではなく、やはり新自由主義のイデオロギー的がそれだけ浸透しきっていることの表れと見るべきだろう。

「ハリー・ポッター」シリーズもまた、このような新自由主義的な面を秘めている。「『ハリー・ポッター』は学園ものの体裁を取りながら、基本的な構図として学校と官僚(つまり魔法庁)の腐敗を描き、学校で学んだ知識が実践では役に立たないことを執拗に強調する。それは福祉国家的な制度を否定し、その外側での登場人物たちの創意工夫を称揚するのだ」。

「ハリーは物語の初期設定において、孤児であり[……]虐待同然のひどい扱いを受けてる」。19世紀のビルドゥングスロマンであれば、「その後に主人公の身に起こるのはそこからの階級上昇、または隠された遺産の発覚による「本来の階級の回復」である」。ポスト・ビルドゥングスロマンである『ハリー・ポッター』では、ハリーの階級は上昇するのではない。「そうではなく、ハリーが経験するのは本来のアイデンティティの探求とそれへの目覚めである」。しかもハリーは、「純血」ではなく「混血」であるという、多文化主義的設定となっている。

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』もまた、クローンたちが革命を起こすことなくアイデンティティの探求へと向かい、かつ「人種的差異を絶対的なものとして保存することによって、人種的アイデンティティの探求が意味をなさないことをも暴露している」という点において、「多文化主義的ポスト・ビルドゥングスロマンの限界を指し示している」。


この議論で注意すべきは、「承認か再配分か」ではなく、「承認と再配分のジレンマ」であることだ。

『ナウシカ』は宮崎をはじめとする左翼の「赤から緑」への転向を告げる作品であるともされる(宮崎自身が「転向」を表明するのは冷戦崩壊後であるが、それを先取りしたものである)。『ナウシカ』の荒廃した世界は人間が「技術」によって「自然」を支配しようとする驕りの帰結であり、社会主義的な「計画」の破綻の結果ともとれる(漫画版では話は極めて複雑なものとなっており、アニメ版と漫画版を同じ作品として論じていいものかは意見が分かれるだろう)。新自由主義は市場をも「自然」と見なす。自然に手を付け「管理」しようとするのではなく、自然は厳しくとも自然のままであるべきだというのは、市場によって生じる格差は「自然」なものであり、それを「計画」によって「管理」しようとしても破綻するだけだという発想ともつながりかねないのである(少なくとも新自由主義の側ではそのように理解することができるのである)。

宮崎が政治勢力としての新自由主義と親和的かといえば、むしろそれを唾棄していることだろう。『ハリー・ポッター』の著者のJ・K・ローリングは、かつて生活保護を受給していたことがあり、新自由主義者扱いされれば卒倒することだろう。つまり、宮崎やローリング個人が新自由主義者か否かが問われているのではない。

「腐敗した官僚組織と闘う」、「子どもを個人として尊重しない管理教育と闘う」と聞けば、ほとんどの人がこれを肯定的な物語だと受け取ることだろう。「私が私であることが認められる」ことは否定するべきなのだろうか? そうではなく、むしろ素晴らしいことである。しかしこれらはまた、社会を解体し階級を不可視化して問題をすべて個人化する新自由主義へと回収されてしまう危うさもまた秘められているのである。

自由主義なくして新自由主義は生まれなかったし、第二波フェミニズムなくしてポストフェミニズムもない。新自由主義は自由主義の鬼子としていいだろう。ではそれを受けて登場したポストフェミニズムも第二波フェミニズムの鬼子のようにも見えるが、またそれだけで片づけることもできない。


「おわりに」で、本書の執筆のきっかけとなったのが『アナと雪の女王』であったことに触れられている。『アナと雪の女王』は「革命的である」。「なぜなら、この映画は「ディズニーのプリンセスものの文法を否定するからだ」。30年ほど前から始まっていたディズニー作品の変化を象徴する作品なのである。ゆえにまた、『アナ雪』の革命と新自由主義とのあいだの差異と同一性を考えない限りは、この作品の評価は完成しないのではないか」。

この結末において、エルサとアナは、「「愛」による連帯の、共同体のユートピア的ビジョンを示」している。
では、「その共同体を生産する労働はどこに行ったのか? じつのところ、最後のスケートリンクの場面に、その労働は確かに表象されている。エルサが魔法で生み出し、みなが遊ぶあのスケートリンクは何かを想起させないだろうか。そう、あの場面に表象されるのは究極の情動労働、つまりグローバル企業たるディズニーリゾートの「キャスト」(従業員のこと!)の労働である。それは「ゲスト」に対して無限の歓待を提供する、究極の愛の労働だ(よく知られているように、その労働のほとんどは流動的なアルバイトと派遣社員によって担われている)」。

まるで隘路にはまり込んだかのようであるが、ここから抜け出すことはできないのだろうか。

最終章で論じられるのが『メイド・イン・ダゲナム』である(日本未公開だが、『ファクトリー・ウーマン』という邦題でネット配信で見ることができる)。1968年に「フォード自動車のイギリス・ダゲナム工場で実際に起きた女性ミシン工たちによるストライキに材を取った映画である」。

ここでは、頑迷な経営陣と共に腐敗した組合も描かれており、その点では組合を既得権益者の集まりで自由を阻害するものだとして否定する新自由主義に回収かれかねない面もある。
しかしまた、こういった面も描かれている。労働者たちのリーダーであったリタは、工場の問題だけでなく息子が通う学校の体罰問題にも取り組む。それを通じて知り合ったリサは、自分が工場長の妻であることをリタに告げる。リタはとまどうが、リサはストライキへの励ましの言葉をかけて、これに勇気を得たリタは組合の総会に行き、そのスピーチによって組合の支持を受けて、雇用大臣との面会が実現する。その結果フォードは「女性労働者に男性の九割以上の給料を出すと約束」し、70年の「男女同一賃金法に結実する」。

リタを演じるサリー・ホーキンスは、『逃げ恥じ』に見られたような「オルタナティブな主婦像に対して、どこまでも冷笑的」な作品であるウディ・アレンの『ブルージャスミン』で、セレブ妻(から転落する)ジャスミンの妹、ジンジャー役でもある。この姉妹は「勝ち組ポストフェミニスト(ジャスミン)と負け組ポストフェミニスト(ジンジャー)」という組み合わせであり、『ブルージャスミン』は「典型的なポストフェミニズム状況を描きつつも、それをポスト・リーマン・ショックの文脈で再検討する映画」になっている。

そしてリタを演じるのは、『ゴーン・ガール』のエイミー役を務めることになるロザムンド・パイクである。『ゴーン・ガール』もポスト・リーマン・ショックを背景に、ライターとしての仕事を失ったことで都市部での生活を捨てざるをえなくなり、夫によって田舎の主婦にさせられながら、エイミーは浮気夫への復讐を図る物語である。

「ここには偶然の一致以上のものを感じないではいられない」。

『メイド・イン・ダゲナム』において、リサは専業主婦であり、「世界有数の名門大学を優等で卒業」しながら、「夫はわたしをバカ扱い」するという鬱屈を抱えている。
「リタとリサは、それぞれのかたちで主婦化されている。リサは文字通りの主婦となることによって。そしてリタは、非熟練労働のカテゴリーに入れられて賃金を抑制されることによって。二人の連帯はこの二つの水準の主婦化が、資本蓄積への貢献という意味では同じ水準にあることをあきらかにするのだ。/だが、この二人の連帯はじつはかなり複雑な構造を持っており、その複雑さこそが二人の連帯のかなめなのである」。

ナンシー・フレイザーは、「現在のフェミニズムの問題の本質を承認と再分配のジレンマに見出している。フレイザーによれば、九〇年代以降のフェミニズムの政治は、アイデンティティの問題に偏ってしまい、社会経済的な格差の問題、つまり再分配の問題が問われなくなってしまった。この承認への偏りもポストフェミニズムの一側面だと言えるだろう。リタたちによる要求は、社会主義的フェミニズム的な要求であるにも関わらず、[『メイド・イン・ダゲナム』では]文化的承認の要求として表象される」。

90年代以降であれば、「リタはアンダークラスの貧困女性(ジンジャー)となり、リサはガラスの天井を打ち破って新自由主義的な労働市場を力強く生き抜くキャリア女性(エイミー)になったことだろう」。
作品の舞台となる60年代の時点では二人の立場は逆であり、「それゆえにこそ連帯が可能であった。そのような連帯の可能性は、現在は決定的に失われてしまったことを、この二人の連帯はむしろ痛感させる」。

では隘路にはまり込んだまま、行き場はないのであろうか。
「現代の資本主義は、女性の労働力を賃金がよく安定したフォーマル・セクターから追放し、低賃金または無償の不安定労働に押しやることで利潤を蓄積している」。「それによって生み出されるアンダークラスの貧困女性の存在を、ガラスの天井を突き破って働く勝ち組の女性像が覆い隠している。この分断統治が現在の資本主義の本源的蓄積にとって重要な戦略であるならば、逆に、この分断を乗り越えることこそが現在の資本主義のもっとも弱い鎖を撃つことになる」。

「それと関連して決定的に重要な」点がある。「リタは第二波フェミニストになるのと同時に、そしてそれと同時にポストフェミニストにもなるということである。リサによる福祉国家=福祉資本主義=核家族主義の批判は、時代が下がれば個人的な学歴とスキルによるそこからの離脱というポストフェミニズム的な革命に結実するだろう」。

「承認か再分配か」ではなく「承認と再分配」、それにはジレンマが伴うだろう。過去にその道が分かれてしまったかのように映るように、やはり連帯は不可能なのであろうか。
「連帯とは、他者の願望を自分の願望として受けとめることである」。リサの願いをリタは受け取った。それが可能であった時代があった。
「未来の種子は過去のうちにある。たとえそれがありえたかもしれない過去であろうとも、それが勃興的な未来の種子になりうるのなら、それは実効的な経験としての過去になり得る」。

「連帯の可能性が、現在は決定的に失われてしまったことを、この二人の連帯はむしろ痛感させられる。しかしそれを痛感させられるからこそ、二人のありえたかもしれない連帯は、ポストフェミニズムとポスト・リーマン・ショックの現在に独り苦しむエイミーたち、ジンジャーたち、ジャスミンたち」、そして「アナたちやエルサたち」に、「一束の花束のように差し出されている」のかもしれない。




『戦う姫、働く少女』その1

河野真太郎著 『戦う姫、働く少女』






『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の冒頭、スター・デストロイヤーの残骸で部品集めをしているレイの姿を見て、『風の谷のナウシカ』の「冒頭を想起したのは私だけではないはずだ」。「腐海という巨大な菌糸類で探検するナウシカ」とレイのマスク姿、「そしてナウシカのライフル銃とレイの棍棒」、図版にあるように類似は明らかであり、J・J・エイブラムスの宮崎駿をリスペクトしているという発言からしても、これは意識的なものであろう。

そして「二人の類似性はこの見た目にとどまらない。二人とも、主人公級の脇役男性キャラクターとの対照で、その戦闘力が強調される」。
「重要なのは、それではこの類似性はいかなる歴史性から、いかなる社会の変化から生じてきたのか、という問題である」。

スター・ウォーズ・サーガだけをとっても、社会の変化は強く反映されている。旧三部作のレイア姫は「おとなしく騎士に救出されるがままになる、か弱いお姫様ではない」。「男たちにダメ出しをし」、自ら先頭に立って囚われの場からの「退路を切り開く」。しかし同時に、独房で眠っているレイアは「女性的な曲線を強調するようなS字形の姿勢で横たわって」おり、ルークは「思わず見とれる」。「つまり、レイア姫は先ほど述べたような「男まさり」を発揮する前に、まずは女性として性別化されているのだ」。

『帝国の逆襲』において、奴隷にされたレイアは「露出度が非常に高い」衣装を着せられているが、これはレイアが着せられているという前に、言うまでもなくレイアを演じるキャリー・フィッシャーが着せられているということである。レイアはフェミニストであるフィッシャーを映しだすキャラクターであると同時に、その主張がいかに受け入れられていなかったのかを表すものでもある。

フィッシャーはレイ役のデイジー・リドリーとの対談で有名な言葉を残している。「あなたは衣装については闘いなさい。わたしのような奴隷になってはいけない。[……]あの奴隷の衣装と闘いつづけなさい」。
「奴隷」にされていたのはレイアばかりでなく、フィッシャー自身でもあった。

この対談に明らかなように、フィッシャーとリドリーとの間で「フェミニストとしての母娘関係とでも言えるものが結ばれている」。同時に「フィッシャー/レイア姫とリドリー/レイとのあいだには、フェミニストとしての世代間の差違が確実に存在する」。

レイアは前述のような「みずからを女性として物象化しようとする力とつねに闘って」おり、「彼女の時に過剰とも思える強気さは、むしろそこから生じているのではないかとさえ考えられる」。これに対しレイの「力の抜け方」は際立つ。レイは「彼女を女性として対象化/物象化しようとする力からは自由であるように見える」。「全体的な印象として、レイは非常に中性的に描かれており、母の世代のフェミニストたちの苦闘などどこ吹く風という風情であると言ってよさそうだ。その姿は、双子であるが故にルークと同様のフォースを持っているはずなのに、ジェダイになって活躍することはなかったレイア姫の夢を実現した姿なのだろうか」。

フィッシャー/レイアは「第二波フェミニズム」に属する。これに対しレイは「ポストフェミニズム的」である。そして本書で詳述されるように、ポストフェミニズムは「新自由主義」によって生まれ出たものでもある。『風の谷のナウシカ』が実は時代に先駆けて冷戦以後の「新自由主義」的世界を内に秘めているといえば驚く人もいるかもしれない。しかし、レイに象徴される闘う女性の姿はすでに1980年代に「提示されていた新たなヒロイン像」と「ひと脈通じているらしい」ことを思えば、突飛な発想とは思えなくなってくるだろう。

「本書の目的は、これらの、ほぼ支配的となったと言っていい、闘う女性像のあいだに一体何が起こったのか、という疑問を解きほぐすことである」。


「はじめに」で著者はこうことわっている。「本書は基本的にポピュラー・カルチャーにおける女性の表象を論じる」ものであるが、「ポピュラー・カルチャー論としては構想されていない」。ポピュラー・カルチャーを「範囲の定まった対象とみなしてそれを教科書的・網羅的に論じること」が目的なのではなく、「むしろここ三十~四十年間に起こったわたしたちの社会と労働と文化の変遷を色濃くし表現している文化的な制作物を、ある意味では分け隔てなく、ある意味では恣意的にあつかっていく」。

このようなアプローチの宿命として、ところによって少々強引かなと思える読み込みもなきにしもあらずであるが、またこういったアプローチによって「一見関係ないと思われるような作品のあいだに意外な結びつきが見出される」という、著者が読者と共有したいという、「知的興奮」を生み出すことにも成功しているだろう。


本書の縦軸となるのが「新自由主義」、「ポストフェミニズム」、そして「承認と再分配のジレンマ」である。

「わたしたちの時代は」、濫用される「革命」という言葉で溢れかえっている。「新自由主義は革命であった」。サッチャー、レーガンなどによる福祉国家への攻撃という形で現実政治・社会を覆い尽くした新自由主義は、「全体主義の暗い記憶をネガとして描き」、「市場の自由とその中での競争」を「ポジの基本原理」とする。国有企業は次々とprivatization(民営化/私有化)されていく。「このような政治経済から出てくる個人の倫理とは「競争」の倫理である」。

労働組合などは「個人の競争を阻害するもの」とされ、「個人を市場の荒波から守る中間的なものも取り去らなければならない」とされる。サッチャーの悪名高き「社会などというものは存在しません」という言葉は、まさにこの価値観を極限まで押し進めたものだ。

サッチャー/レーガン路線を改めることが期待されたブレア/クリントン政権であったが、ふたを開ければむしろ新自由主義の忠実な後継者であったことが明らかとなった。そして「現代において貧困が問題にされる場合、それは階級[クラス]ではなく「アンダークラス」の問題として論じられる」。

ワークフェア、あるいはウェルフェア・トゥ・ワークを、ただ福祉を受給するのではなく働いて賃金を得ることによって尊厳が得られるようにできる社会にすべきだと解釈すれば、それは悪いものではないように聞こえるかもしれない。しかしその実態としては、「貧困問題は階級問題ではなく、道徳の問題」とされたのであった。「貧しい人間は社会制度と階級のせいではなく、個人的な道徳・倫理(の堕落)のせいで貧しいのである。したがって、その解決は個人を道徳的に矯正することを通じて行われる」。
「現代のワークフェアは、再分配と承認を脱構築し、貧困と労働をあくまで個人のアイデンティティの問題に結びつける」。

貧困は社会の問題ではなく堕落した人間による自己責任であるとされ、倫理的な矯正を拒み、強制された労働を受け入れない者は懲罰の対象とされるようになった。
ジェイミー・ペックはワークフェアの本質をこう評する。「労働を強制し、その一方で福祉を残滓化することを目的として、福祉受給者にさまざまなプログラムや義務的な要件を押し付ける」。
その結果何が起こったのかといえば、「ワークフェア政策は、安定的な就労を提供するどころか、「臨時雇い化され、リスクから守られておらず、不安定で脱社会化された労働人口」を生み出」すことになった。


本書から脱線すると、「デフレ脱却」を掲げるはずの安倍政権が、合理的に考えるとそれに逆行する政策である生活保護受給者をはじめとする貧困層への攻撃を繰り返している理由は明らかだろう。一部にある「安倍政権の経済政策はむしろ左派的である」という主張は、ブレア-クリントン政権を「左派」だとした場合には当てはまるのかもしれない。安倍とその周辺がサッチャーの模倣をしていることは、そのスローガン(「この道しかない」をはじめサッチャー政権そのままのものも含まれている)からも明らかだが、さらにはポストサッチャー時代をも取り入れている。そして「臨時雇い化され、リスクから守られておらず、不安定で脱社会化された労働人口」が増加することは、労働者の権利を抑圧して低賃金化を促し、雇用の調整弁として派遣社員など有期雇用の増加を狙う企業経営者にとっては大変望ましいのである。


閑話休題。
宮崎駿の『魔女の宅急便』は「やりがい搾取とアイデンティティの労働をみごとに示した作品」として分析できる。
キキは親元を離れ修行に向かう際に母親から「大事なのは心」というアドバイスに加え、「笑顔を忘れずにね」という忠告を受ける。この忠告は原作にはなく、映画によって加えられたものだ。これは「忠告というよりは予言、またはキキを縛りつける呪いの言葉」となる。キキは「能力を磨いたり、見知らぬ町で無事に暮らしたり、職業を得てお金を稼いだりというよりもなによりも、「笑顔でいること」が成功の条件として課されるのである。笑顔が成功の秘訣という意味ではない。笑顔でいること自体が成功なのである」。

そしてキキは「健気」な印象を与える「営業スマイル」をうかべる。「この瞬間に、キキの笑顔は文字通りに感情管理から感情労働へと変換されている」。

キキはパン屋のおソノに出会って間もなく「あなたが気に入った」と言われる。そしてキキの仕事の成否は「宅急便の運び人としてのスキルよりも、いかなる人的コネクションをつくるかにかかっている」。「もっとも成功するのが、ニシンのパイの宅配を依頼する裕福な老女とのコネクションである」。

おソノや裕福な老女に気に入られるというのは、始終仏頂面を浮かべていたのでは、まずあり得ないであろう。キキは飛ぶ能力を失うと、猫のジジに向かって「素直で明るいキキはどこかに行っちゃったみたい」と言う。この「素直で明るい」という言葉は、「外国語への翻訳がかなり難しい概念」である。英語のhonestにはobedienceというニュアンスは含まれないが、日本語で「素直であること」は「従属的であること」と「魔法のように結合された日本独特のジェンダー概念」であり、ここでキキの労働が「ジェンダー化された感情労働であること」が物語られている。「キキの魔力、宅急便をするために必要な、飛ぶという能力と、「素直で明るい」ことは一体なのであり、能力の喪失とはすなわち感情管理、アイデンティティ管理の失敗のことなのだ」。

映画『魔女の宅急便』は、『僕だけがいない街』などと同様に「ひとりぼっちの人生は失敗である」という「コミュニケーション能力を強調」する「ポストフォーディズム」的な面を持ち、また常に笑顔でいることが求められるのは、働いて賃金を得ることによって尊厳を得ることを強調し(この作品においてキキの始める宅急便の仕事は、「クリエイティヴな自己実現をともなう職業として描かれる」)、社会の問題を個人の倫理にすり替える新自由主義ともリンクする。

宅急便を介護職に入れ換えて考えてみるとよりはっきりとするかもしれない。介護士の不足は明らかに劣悪な労働環境と低賃金が原因であるが、行政側は介護はやりがいのある仕事であるというイメージ戦略によって介護士不足に対処しようとする。行政が手掛ける啓発ポスターに、疲弊しきって暗く沈む介護士が登場して待遇の改善が訴えられることはまずないだろう。そこにいるのはフェイスブックで「いいね!」が押されるような、キラキラと輝かんばかりの笑顔を浮かべた、「素直で明るい」と評されるであろう人物だ。そしてこのような「素直で明るい」人物は、労働組合を結成したり、行政や政治に政策の歪みを改善するよう激しく迫ることのない、「従順」な人物でもあろう。


2014年に公開された『魔女の宅急便』の実写版は、「女性の活用、つまり男女共同参画社会のプロジェクト」とタイアップした。そればかりか、「余談」として付け加えられているように、「あのワタミともタイアップ」しているのである。

「働く女の子をフィーチャーした作品」である『魔女の宅急便』の原作が出版されたのは1985年、「つまり男女雇用機会均等法[……]が制定(翌年に施行)された年」であった。
均等法が「ポストフェミニズム状況のはじまりを印象付ける法律」であるというのはどういうことだろうか。

第一波フェミニズムは「参政権や財産権といった法的な面での女性の権利を獲得しようとする運動」であり、第二波フェミニズムにおいては「参政権といった法制度では覆いきれない女性の権利」が問題とされた。また第二波フェミニズムは「欧米の福祉国家下で生じた」というのも重要なポイントである。「福祉国家下で典型的な家族形態とは男性が働き、女性が主婦となる核家族であった。福祉国家はそのような性差別を制度化したものであり、第二波フェミニズムはそれに対する異議申し立てでもあった」。

三浦玲一はポストフェミニズムの特徴をこうまとめている。「それは、先鋭的にまた政治的に、社会制度の改革を求めた、集団的な社会・政治運動としての第二波フェミニズム、もしくはウーマン・リブの運動を批判・軽蔑しながら、社会的な連帯による政治活動という枠組みを捨て、個人が個別に市場化された文化に参入することで「女としての私」の目標は達成できると主張する」。

著者はこれを補足して、ポストフェミニズムとは第二波フェミニズムが訴えた教育の権利や働く権利の実現を経てのものであるとする。「もちろん、これらが本当の意味で実現されたとは(とりわけ日本では)いえないものの、そういった権利が実現されたことにされた状況、それがポストフェミニズムだと、とりあえずは定義できるだろう」。
そしてポストフェミニズムはまた、「八〇年代以降の新自由主義の成果でもあった」。
「第二波フェミニズムの政治目標から「集団的な社会変革」を取り除き、「個人の立身出世」を代入すれば、ポストフェミニズム状況ができあがるということだ」。

本書でたびたび言及されるのが「フェイスブック社の最高執行責任者」であり、「ディズニー社の社外取締役でもある」、シェリル・サンドバーグだ。サンドバーグがベストセラーになった著書『リーン・イン』で強調するのは「内なる革命」である。「つまり、女性をめぐる外側の制度の変革ではなく、内面、アイデンティティの革命だ」。
「内なる革命」を唱えるサンンドバーグに代表されるポストフェミニズムと、「革命」を連呼する新自由主義とのつながりは、言葉の面からも明らかだ。

サンドバーグを批判して『リーン・アウト』を書いたドーン・フォスターは、「サンドバーグが代表するような現代のフェミニズムを「企業[コーポレート]フェミニズム」と喝破する。それは、「国家の支給する有給育児休暇、より強力な福祉セーフティネットといった女性の集団的権利を求めたり、さらには女性が労働組合に加入することを推奨したり」はしない」。
「企業フェミニズムは女性の解放を集団的な政治行動によってではなく、個人の努力によって達成することを目指す」。

フォスターはこれを「トリクルダウン・フェミニズム」と批判する。一握りの富裕な女性が登場したところで、女性全体に富がしたたり落ちることはない。それどころか、「不況の影響をもっとも強く受けるのは女性」であり、「国会議員やCEOになる女性がひとにぎり増えたところで、その三倍の女性が二〇年前と比べて低賃金の職業から逃れられなくなっている」。

そしてこのような女性間の格差を肯定する「企業フェミニズム」は「資本主義にとって都合の良い」物語なのである。均等法以降の日本のみならず、世界的に女性の賃金は低いままである。にもかかわらず男女平等が実現したかのように振る舞うことによって、企業は女性という低賃金労働者を存分に「活用」できるのである(反動的父権主義が明らかな安倍政権がなぜ「女性活躍」を唱えるのかはこれでわかるだろう。当初は「活用」として批判を浴びたために「活躍」へと言い換えた)。

ガラスの天井を打ち破るなら、それは「同一賃金同一労働と同時に実現されねばならない」し、「労働の女性化、つまり労働力の流動化やダンピング(そしてそれが引き起こす女性内部での分断)への抵抗とともに実現されねばならない」はずだ。にもかかわらず、サンドバーグのような例外的な存在によって、「新自由主義的な競争の前提は保存したままに、ごく一部の女性が蜃気楼のごときグローバル・エリートとして、略奪による蓄積の隠蔽をしている」。

『セックス・アンド・ザ・シティー』と『ブリジット・ジョーンズの日記』を対比すると、前者が女性として「勝ち組」で後者が「負け組」を表しているかのように見える。しかし、ブリジット・ジョーンズは出版社からテレビ局へとやすやすと職を移れるように(それどころか労働そのものがあたかも存在していないかのようだ)、貧困とは全く無縁である。「負け組」女性の生態や恋愛劇を自虐的に描いているかのようであるが、「ブリジットは本当の負け組ではないことにも気づかなければならない」。


といったあたりで長くなったのでその2に続く。



『コモリくん、ニホン語に出会う』

小森陽一著 『コモリくん、ニホン語に出会う』





『小森陽一、ニホン語に出会う』に加筆、修正して文庫化したもの。


コモリくんは小学一年のときにプラハに引っ越し、在プラハソヴィエト学校に入ることになった。これでピンときた人もいるだろうが、米原万里は同じ学校の先輩にあたり、「文庫版あとがき」にあるように小森少年は米原姉妹に助けられることになる(外交官や国際機関に勤務する人たちなどの子どもが通う在プラハソヴィエト学校は、ソ連が威信をかけて優秀な教師を集めたこともあってその教育の質が高かったことを米原はエッセイで繰り返し書いていたし、コモリくんも日本に帰ると教育の質の違いにとまどうことになる)。

コモリくんはロシア語の学校に通うことが決まっていたので、日本にいるうちからロシア語の勉強を始めていたが、ロシア語のアルファベットが識別でき、断片的な会話ができるくらいの状態でプラハに向かうことになる。モスクワまでの旅の途中で「ダーイッチェ・ムニュー・シタカーン・ヴァディ(一杯のお水を下さい)」というロシア語をうまく言えるとロシア人にほめてもらったが、これが役に立つことはなかった。

プラハに着いて学校に入ると、ロシア語を聞き分けることがまったくできなかった。こうしてほとんどことばがわからない状態で学校生活がスタートすることになる。


同級生たちは持ち物などをロシア語でなんというか一つ一つ丁寧に教えてくれた。また困ったことがあれば、手振り身振り、あるいは絵によって子ども同士最低限のコミュニケーションも成立した。しかしちょっとした言葉の行き違いでトラブルが起こることもあった。コモリ君は注意深く周囲を観察し、試行錯誤を繰り返すことでロシア語を獲得していく。これはちょうど赤ちゃんが初めての言葉を獲得していく過程を追体験するようなものに近かったのかもしれない。しかしまた、米原万里からアンデルセンの人魚姫など日本語で「既に読んだことのある有名なお話」をロシア語で読むことを勧められ、これが大いに役に立ったように、もちろんコモリくんがロシア語を獲得していく過程は赤ちゃんが言葉を身につける過程とイコールのものではない。しかしその分この過程に意識的になれ、また記憶にとどめることができたのであった。

また学校の外に出ると、家の近所ではチェコ語が話されている。長い夏休みになって学校から離れても、チェコ語ができないために近所の子どもたちの輪になかなか入ることができなかった。片言のロシア語ができる少年に引き入れられることになるのだが、チェコスロヴァキアではロシア語を覚えさせられることが屈辱として受け止められているのを知り、このような体験も深く刻まれることになる。


しかしプラハでのロシア語での学校生活よりも大変だった(そして他人事としてみると興味深い)のが、日本に帰国した後の体験である。帰国し小学校六年の三学期に公立学校に編入する。そのクラスでは、コモリくんがしゃべるたびにクスクス笑いが漏れてくるのであった。帰るときに備えて日本の教科書を取り寄せて勉強していたし、日本から訪ねてきた人に応対するとその日本語がきれいだと褒められていた。コモリくんは日本語を完璧に身につけているつもりだった。なのにこの仕打ちである。ついにがまんできなくなり、何がそんなにおかしいのかと怒りをぶつけた。すると「かえってきたのは教室全体をゆるがす大笑い」だった。

コモリ君はこう叫んだのだった。「ミナサン、ミナサンハイッタイ、ナニガオカシイノデショウカ」。
「完全な文章語」だった。「つまり私は、ずっと教科書に書かれているような、あるいはNHKのアナウンサーのような文章語としての日本語を話していたのであり、そのことを笑われていたわけです」。

コモリくんは再び周囲の言葉に注意深く耳を傾けることになる。そして「現代の日本語は「口語体」で、話ことばと書きことばが一致した「言文一致体」である、という教科書に記されたウソに、そのとき身をもって私は気づかされることになったのです」。

「最も奇妙に思えたのは、日本語の話しことばは、決してそれ自体として完結するような、主語と述語がはっきりしたような言い切り方の形をとらない、ということでした。言っていることの半分以上を相手にゆだねるような、微妙な曖昧さの中で言葉が交わされている、ということは一つの驚きでした」。そして、「誰も教えてくれない話しことばの言語使用の規則を、自分で見つけることほど難しいことはないのです」。

昔ある英文学者のエッセイを読んでいたら、初めてイギリスに行ったとき周りから「お前は新聞のような英語を話すんだな」と笑われたといったようなエピソードがあったが、音声教材も限られていた当時ではよほど特殊な環境にない限り、どの外国語であろうとこうならざるをえないだろう。ましてや日本語は英語などよりはるかに話しことばと書きことばとの距離がある。宇多田ヒカルがデビューしたときも確かこのようなことが言われたし、今にいたるまで帰国子女の人たちはこの点で苦労しなくてはならないのだが、コモリくんが日本に帰ってきた60年代の日本には「帰国子女」という言葉すらなかった時代であった。

自身もアメリカで教育を受けた経験を持つ水村美苗は「解説」で、『続明暗』に対する小森の書評を読んで「あっ、帰国子女だ、と思った」としている。夏目漱石に言及する際に「漱石」と書かれていてもほとんどの読者が違和感はないだろう。むしろ「夏目が」とあればそちらの方がひっかかるはずだ。「だが「漱石が……漱石が」という文章のあとに「美苗は……美苗は」と続いていたのは、まことに奇異であった」。

日本語を母語としている人に、漱石や鴎外と書くんだから美苗と書くことのどこがおかしいのかと質問しても、論理的に説明するのに窮することだろう。日本語を(あるいはその他のどの言語であろうが)「ふつう」に使いこなすのがいかに難しいかということが表れているエピソードである。

さらにはこれはことばの問題にとどまらない。中学校に入ると、ロシア風に握手を求めたり抱きついたり頬にキスをするなどの習慣が身についていたコモリくんは窮地に立たされる。男の友だちからは「オレもコモリに抱きつかれてキモチワルカッタよ」と告白されることになるが、これが女子相手であればなおさらである。当人としてはごく自然に抱きしめようとしたりキスしようとしたりするのだが、女の子から「エッチ」と言われてしまう。さらには辞書を調べても当時は「エッチ」なる語は載っておらず、人に訊いても曖昧な笑みを浮かべてごまかされるだけなのである。いったい自分は何を言われているのか? 

そんな苦しみを味わっているときに読書感想文の課題として読まされたのが夏目漱石の『吾輩は猫である』だった。コモリくんは「このネコはボクだ!」と思えて涙がこぼれてきた。「人間のことばはわかるが、こちらからは人間に何も伝えることができず、一度も食べたことのなかったモチを喉につまらせれ生き死にの境でもがいているのに、人間たちは「ネコジャの踊り」だと大笑いする。誰一人として自分のことをわかってくれない、そんな物語に読めてしまったのです」。

こうして漱石研究で有名なコモリ君の「国文学者」としての人生の幕があがった……のかといえばさにあらず。この読書感想文は受け入れられることはなく、むしろコモリ君のなかに読書感想文という存在への嫌悪感や「国語」という教科への苦手意識は残り続ける。そんなコモリ君がいかにして「国文学」を専攻することになり、大学教員にまでなるのかが綴られていく。


小森が読書感想文という教育方法に、そして「国語」という教科にずっと違和感を抱き続ける理由の一つが、単一の答え、あるいはそれを誘導することが「正解」とされてしまうことだ。小説を読む技術を教えることはできる。でもそれを使って何を引き出すのかは一人ひとり違ってもいいはずだ。『猫』を読んで「このネコはボクだ!」と涙を流してしまう学生は少数だろう。でもそれは読み方が間違っているということにはならない。

小森は大学院生時代に高校で非常勤講師を務め、そこで教科書の定番、漱石の『こころ』を(これも小森にとって因縁の作品である)しばしばとりあげなければならなくなる。そこで気づかされたのが、いわゆる「底辺校」とされるような高校の生徒の方がそれぞれ多様な解釈をするのに対し、進学校の生徒たちは単一的な解釈をしてしまう傾向にあることだ。これは受験勉強の過程において、「一つの正解」を身につけさせようとすることの弊害の現れとすべきだろう。

受験において唯一の「正解」を導き出す訓練しか積まないことは、深く読み、考えるという作業から遠ざかることになってしまいかねない。アメリカの大学で教壇に立つと、小森は「ことばの辞書的な意味だけで「わかったつもり」にならないで、ひっかかることや、気になるところはなんでも質問をし、議論をしながらやっていこう」と学生と約束する。ところがこれを実際にやってみると実に大変なことになってしまい、泥縄式に図書館をはいずりまわって文献探しに追われるのであるが、これはつまり日本の教員と学生がいかに「わかったつもり」で授業を終わらせてしまっているかということでもあろう。

「国民的小説」である漱石の『坊ちゃん』の有名なエピソードに、生徒たちが宿直室の寝床に大量のイナゴを入れて嫌がらせをするというのがある。「坊ちゃん」は宿直室を抜け出して温泉に入りにいき、その帰りに校長に出会ってしまい問い詰められる。山嵐にも出くわし、校長や教頭に知られたら大変だと注意される。これを単に泊まり勤務をサボっているのがバレたら大変だとだけしか読み取らずに「わかったつもり」になっていては、このエピソードの含意はわからない。

「宿直室」とは単に職員が泊まるための部屋ではなく、「御真影」と「教育勅語」を「奉安」する場所なのであった。つまり「「宿直」教師の任務とは、「御真影」と「教育勅語」を命をかけて守るものだったのです」。

「坊ちゃん」はこの任務をおろそかにしたのだし、山嵐の警告には単にサボりがバレたらお目玉を食らうという以上のものがあった。「坊ちゃん」は不敬に問われる可能性があったし、またその宿直室にいたずらをする生徒たちも同様だ。「事実、「宿直室」が一階にあった学校では「御真影」と「教育勅語」の謄本の上を教師や生徒が歩きまわるのはおそれ多いことだとして「宿直室」を二階に移した例もあります」。学校が火事になった際に「御真影」と「教育勅語」を取りに二階に向かったために教師が焼死するという事件もあった。

今も読み継がれる「国民的小説」でありながら、この時代背景、そして漱石がなぜこんなエピソードを書き込んだのかまでを意識して読んだ人がどれだけいたことだろうか。「わかったつもり」をやめて一歩踏み込むことによって、さらなる多様な解釈の可能性が開けていくのである。


そんなコモリくんが成城大学の教員となり、「道場破り」として小中高に出張授業をした模様とその方法への忌憚ない意見も収録されている。小森が「体でわかる」ことを」伝えようとしたのに対し、これは「善意と熱意のうちに偏った思想を実感させてしまうおそれ」につながり、「ファシズム的」にすらなりうると、ある教師がこのやり方に反駁していることを水村は「解説」で「心強い」と評価している。さすがは成城中の教員とも思えるのだが、この「道場破り」が行われた1990年と比べると現在公立学校の教員に加えられている政治的プレッシャーは遥かに増しているであろうし、私学へ子どもを通わせる余裕のある層と日々の暮らしで手いっぱいである層との階級間の教育格差とその影響というのはますます広がっていくのだろうと想像してしまうと、複雑な気分にもさせられてしまった。



『犬の帝国  幕末ニッポンから現代まで』その2

アーロン・スキャブランド著 『犬の帝国  幕末ニッポンから現代まで』






その1の続き。


一九二三年に秋田で生まれた犬は、約二十時間かけて東京帝大教授の上野英三郎の元に贈られた。この日から十四か月間、ハチ公と名付けられた犬は朝は渋谷駅の近くまで、夕は家まで上野のお伴をした。上野が仕事中に倒れて死亡した後も、ハチ公は毎晩渋谷駅に現れて主人を待ち続けたとされる。「しかしあまり多くの人が理解していないのではないかと思われるのは、日本が経験したファシズムの文化のなかでハチ公が果たした重要な「役割だ」。

斎藤弘吉は庭園建築家として活躍し、「一九五二年閉館の東京近代美術館の庭園設計に中心的役割を果たした」。
斎藤は一九二七年に第八砲兵師団に入るが、「健康上の理由でほどなく除隊となり、医師から清浄な空気のもとでの療養」をすすめられる。除隊した斎藤は犬を飼うことにし、また「「耳の立った尾の巻いた昔の絵巻物に描かれているような」日本固有の犬の探索を開始する」。

斎藤は東京では基準に合う犬を見つけることができず、これを「西洋的退廃と外国の血が蔓延してしまっていたから」だと考えた。東京ばかりか、秋田犬で知られる秋田の山間部に行っても満足できる犬を見つけることができなかった。危機感を抱いた斎藤は一九二八年に「日本犬保存会」を創設する。「その後の五年間のほとんどを彼は日本列島の隅々まで純血種を探し歩いて、その保護運動を開始した」。
「一九三〇年代以前にも日本犬[にほんいぬ]という国民国家とよりはっきりと結びつく名称を使う人はいたが、斎藤の努力によってこの言い方が速やかに人口に膾炙した言い方となった。一九三〇年代初期にはほんの一〇年前には考えられなかったことだが、日本固有のイヌが国の誇りの象徴となる」。

斎藤は一九三七年のラジオ番組において、「「日本の」犬はこの国の人間たちと似た性質を持つようになった」とした。斎藤によれば、日本犬は「飼い主の家族以外になかなか馴れない性質や、利口でありますが感情の表現が洋犬のように派手でないところや、非社交的でガンコな一面や、また非常に勇敢な気性なぞ日本民族の長短いずれの特徴を身につけています」ということなのだそうだ。

斎藤は「「日本」犬を飼うことが国民たる条件であるとまで言い、「日本人なら日本犬を飼え!」というキャッチフレーズを考え出したとも言われる。斎藤のこの熱心さは官僚までもを動かし、一九三一年に「文部省は秋田犬を絶滅の危機にある国の財産として指定した」。ハチ公が賛美の的となるのは翌三二年のことである。
その後文部省は甲斐犬、紀州犬、越野犬、柴犬、四国犬、北海道犬を同じステータスに指定した。「指定された品種の売買、繁殖、移動には厳し規制が課されるが、そうした規定は今日まで継続している」。一九三六年に天然記念物に柴犬が指定された際の理由は、「柴犬は「日本人の性格を反映し、外国犬に比し質実剛健、和犬の特徴を備えている」のでこの栄誉に値する」というものだった。


斎藤は「日本犬の領域を拡大する方向へとすすんだ」。「日本犬とアジアの犬のあいだに古代において生物学的なつながりがあった」という発見がなされ、斎藤もこれを受け入れている。

斎藤は前述のシェパードを「ドイツの地を代表する犬」にしたシュテパニッツと文通をしていた。シュテパニッツはなんと「「日本」の犬と「ドイツの」シェパードが近しい関係にある兄弟で、どちらの血統も中央アジアの古代犬の子孫として緊密に結びついていると示唆した。東に向かった犬は「日本犬」となり、西に向かったものがドイツのシェパードになったというのだ。

シュテパニッツが「純血の日本犬の骨」を所望すると、「斎藤は当然のようにハチ公の頭蓋骨と他の部分の骨、数枚の写真」などを送った。
「斎藤もシュテパニッツもそれぞれの国の犬の源を中央アジアにたどったわけだが、理由はおそらく異なっていただろう。シュテパニッツにしてみればこの理論は、北欧人つまりゲルマン人が「アーリア人種のもっとも純粋な成員であって、かつては中央アジアに住んでいたというナチスの教義のイヌ版とも言えた。一方斎藤にとってはシュテパニッツの定説は、日本帝国のますます統合されるようとしているアジア大陸との歴史的絆をもたらしてくれたのである」。

斎藤は珍島で「耳が立ち、尾の巻いた「朝鮮育ちの日本犬」を発見する」。斎藤はこれを日本の内地かアジア大陸北部から来たのだろうと推測した。
そして朝鮮総督府は、「珍島犬と別の半島の血統犬・豊山犬(プサンゲ)に、一九三〇年代末に同様の「日本の」という地位を与えた。こうした官僚的公認は犬だけのために行われたものではもちろんなく、むろん朝鮮の人々の名誉を考えてのことでもなかった。むしろそれは産業化や初等教育の浸透といったほかの植民地近代の政策と同様、帝国権力の目的に合致したものであった。そうした文化的政策はたとえそれが犬を対象としたものであっても、日本の指導層が生活習慣や環境によって独立国としての朝鮮を同化し抹殺することで、朝鮮半島における植民地支配を強化するための戦略の一部だったのである」。

一九六四年に斎藤が死去すると、毎日新聞は追悼記事に「「忠犬ハチ公」産みの親」という見出しをつけた。
保存会の会報に、渋谷駅で出会ったハチ公のことを斎藤が載せたのは一九二九年のことだった。この数年後により広い関心をひきつけられる可能性があると知って朝日新聞の記者に話をしたのも斎藤だった。三二年十月に朝日にハチ公の記事が出ると、「雑種」としてあったことには腹は立てたが、「いとしや老犬物語 今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」という記事には満足したことだろう。「この犬の変わることなき忠誠心を語り、犬同士の喧嘩の仲裁をする正義の味方にして小さな犬を守る親分である」というこの記事をきっかけに、「ハチ公の絶大な人気が作られていくのであり、あおれは斎藤自身をふくめて誰の予測をもはるかに超えたものだったろう」。

「斎藤のタイミングも絶妙だった。一九三二年にこの犬が有名になったのには当然ともいえる歴史的理由があった」。一八三一年の満州事変は「「非常時」体制の始まりを告げ、国中が大きな不安に包まれていた。三二年には五・一五事件が起こる。「かくして日本は長く暗い軍国主義とファシズムの谷間へと落ち込んでいった。ハチ公のわかりやすく感傷的な話を知った人々は一九三〇年代初頭の不安から解放される気持ちを味わったに違いなかったが、その魅力自体は、隠されたそのメッセージが日本独特の「国体」という美徳を賛美し、「皇道」への忠誠心を厳しく要請する愛国心の高揚を巧妙に補強しているという事実から来ていたのである」。

もちろんこれを商売に利用する人も次々に現れる。ハチ公は三五年三月八日の朝に渋谷駅近くで死んでいるのが発見されたが、その数日後の読売新聞の風刺画はハチ公にあやかった屋台が群れをなす姿を描き、「今にハチ公の命日はこんなことになるだろう」としたが、「現実は芸術を模倣した」。こうしてハチ公はすさまじい人気となるが、「保存会とそれに同調する文部省」は、「同時にこの犬の描かれ方をしっかりコントロールすることも忘れなかった」。

三二年に民間業者がハチ公の木造を建立計画を発表すると、斎藤たちはこの試みを阻止しようと、委員会を作って記念碑を作ることを計画するがこれは頓挫、しかし三四年には独自の像を立てる資金集めのキャンペーンを開始しこれには成功した。かくしてハチ公の銅像が建てられることになり、すでに前年にハチ公の石膏像を作って発表していた安藤照に彫刻が依頼された。ここで斎藤にとって悩ましい事態が生じる。安藤の石膏像は実物通りハチ公の左耳が垂れているのであるが、「斎藤たっての主張」により建設会はこれをピンと立てるように要求した。しかし時間がなかったことから安藤は石膏像をモデルにせざるを得ず、ハチ公の左耳は「片耳が疑わしく垂れ」ることになった。

実際のハチ公は左耳が垂れ、歩くときには尻尾も垂れ下がり、斎藤が「日本犬」の姿としたピンと立った耳とくるっと巻いた尾ではなかったのである。剥製にされたハチ公は、斎藤の願い通り耳が立てられ尾が巻かれている。

銅像の寄付金はアメリカを含む海外からも寄せられたことから、ハチ公を平和のシンボルとしようだとか、日米関係改善の印と受け止める知識人もいた。またハチ公には家がないという誤解も広がっており(実際にハチ公は数度犬狩りにつかまっている)、ブームが始まるとハチ公やその他の野良犬にミルクと温かい場所を与えてやってほしいという投書もあったほどで、この機会に「東京の悪名高き犬収容所の待遇改善に努めようとした」団体もあった。しかし「文部省の介入によってこの物語の焦点は、他の美徳ではなく、忠誠心であることが確かなものとなった」。

三四年からは二年生の修身教科書にハチ公は登場するが、そのタイトルは「オンヲ 忘レルナ」であった。そして「ハチ公を使って子どもたちに権威への服従を教え込むという方策は、どうやらその意図を達成したようだ」。

日本犬保存会の内部にすら、このような利用のされ方に反発を抱いた人たちもいた。イヌ科動物研究者の平岩米吉は、「人の動機を犬に投影することを厳しく戒めた」。平岩は彼が創刊した雑誌『子供の詩研究』の三五年四月号で、「彼はただ主人に対する深い愛情のためにその後を慕っていたので、犬の世界に「恩」と云うが如き堅苦しい観念は存在しないのである」とし、ハチ公を教育に利用しようとするのを批判した。

長谷川如是閑は『文藝春秋』三五年四月号で、大衆は「自己の感覚や感傷や理論を、余りにも簡単に、自己の直接の経験以外の、新聞記事や、人の噂だけで作り上げてそれを無暗と亢進させて、自己催眠的の、群衆心理的の昂奮に陥ることが問題なのである」とし、ジャーナリズムが安易な刺激に頼る商業主義に堕していることを批判している。「我国のジャーナリズムをしてアメリカのそれに似た煽情主義に走らしめたのも、この傾向に投ぜんとする商業主義の結果なのであるが、それがまた逆に人心に空疎な刺激を与えて、社会的興奮と感激的行動との性質を低下せしめているのである」というのは、現在にも通じるところであろう。

また渋谷育ちで実際にハチ公を見ている大岡昇平のような人は冷めたもので、「ハチ公はただ駅の周辺や店のあたりをうろついて人が食べ物をくれるのを待っていただけなのだ、と推測」した。ハチ公の「焼き鳥好き」は噂となっており、公式にはフィラリアと老衰で死んだことになっているが、解剖に同席した剥製師は胃袋から何本か鉄の焼き鳥の串が発見されたとしており、これが死期を早めたという説もあるという。

当初の『忠犬ハチ公物語』にありながら、その後言及されなくなったエピソードがある。「模範的な「日本」犬と見なされたこのイヌは実のところとても気が弱かったのだ。散歩のときハチ公は、代々木陸軍駐屯地近くであった軍事演習の鉄砲の音におびえ、子どもがおもちゃの鉄砲を撃つ音にもびっくりしたという」。

戦局が悪化し金属が不足し始めると、「政府当局は公共の銅像を溶かし、人々に家にある金属製品の拠出を呼びかけた」。斎藤の抗議も虚しく、四四年十月には「忠犬」も見逃すことはできないという決定が出された。別れの儀式ではハチ公の像には日の丸が巻かれ、式辞では「生きている間のハチ公の忠誠、主人とその保存を助けられた他の「日本」犬たちへの献身のゆえに称賛し、死しても「敵の飛行機をくわえ落として」弾丸となってくれることに感謝」が述べられた。
戦後に伝えられるところでは、ハチ公像は浜松で溶かされ列車の部品となったそうだが、おもちゃの鉄砲の音にもおびえていたハチ公にとっては弾丸になるよりはこちらのほうがはるかにマシだったことだろう。

供出させられたのは銅像だけではなかった。軍用犬にするため、あるいは兵士の防寒具や体液を機会油にするため、そして食用とするためとして、ペットの献納が求められた。どうしてもペットを手放したくなかった金持ちは家の中にかくまったり、田舎の土地持ちに疎開させたりしたが、何万、あるいは何百万という人が「御国のため」にペットを差し出した。しかし最早動物の死骸を衣服や食糧に加工することさえ不可能な状況になっており、実際にこれらの目的に使われたのはごく少数で、「多くの死骸が倉庫でただ腐っていくか、ひそかに遠いところに投げ捨てられた」。文字通りに「犬死」させられたのであった。


「日本犬」の表象がいかに変化したのかをよく表しているのが「桃太郎」にまつわるものだろう。「ジョン・ダワーが言うように、この御伽噺は「日本とそれより劣るアジアの盟邦が白人帝国主義者を追い出して自分たちの優越を築く」完璧な戦争中のシンボルとなったのである」。この見方は突飛なものでもなんでもなく、同時代にあっても芥川龍之介をはじめ幾人もがこれを喝破している。

「桃太郎」において、「この犬は絶対的忠誠と猛烈な勇敢さで外国の悪鬼を叩き潰して礼賛され、主人公ほどではないにしろ、お供の動物三者のなかで一番目立っている」。
実はこの犬、「十九世紀には教科書や大衆本で西洋犬であったものが、一九三〇年代にはほぼつねに「日本」の犬ということになった」のであった。

「修辞上も実際にも、「日本の」犬は「日本」人同様、優秀と見なされていた。帝国じゅうのイヌ科動物は共通の祖先を持っているという学説にもかかわらず、想定場の血縁関係は日本本土の犬は独自の血統であるという前提のもとに築かれていた。こういった言説は日本の公式非公式の帝国の人々が等しく「調和」すべきだという汎アジア主義のイヌ版だといえるが、そこで日本はつねに「年上の兄」であり、より年の若い、それゆえ劣るアジアの弟たちに勝るされていた」。

まんが『のらくろ』では、「一九三〇年代を通じ、のらくろは戦争に行ってゴリラ、山猿、豚といった日本の敵を蔑んで表したものとすぐにわかる動物たちと戦う」。「中国人はつねに豚として表象された」。それに対し「犬たちは失敗をくりかえすいろいろな犬種の集合ではあっても、日本の軍事力、勇敢さ、優越を例証しており、それに比べて他の動物は進歩が遅れ、弱く、頭が悪いとさえ描かれている」。
否定的な存在を豚として描くというのはオーウェルの『動物農場』も同様であるが、こういった表象は単純素朴であるだけに強いともいえる。


一九四八年にハチ公像は再建されるが、除幕式に出席する予定だったハチ公の弟「鉄」は姿を現さなかった。食糧難のこの時代、どうやら「鉄」は人間の胃袋の中に消えてしまったようだ。

犬食といえば四一年にはある厚生省の役人が、犬の肉を食べることを奨励し、「今までの習慣として一寸食べかねると思われる」伝統を捨てるよう新聞に投稿した。「どうやら彼は気づいていないことに、こうした犬を食べない「習慣」は比較的最近になって発明されたもので、歴史家や考古学者によれば、日本列島では侍のようなエリート層も含めて徳川時代にいたるまでごく当たり前に犬を食していた」。
「鉄」を盗み出して胃袋に収めた犯人は不明だが、役人が創られた伝統を再否定するまでもなく、人間追い詰められれば胃袋に入りそうなものはなんだって食糧になるのである。

この食糧難の時代にハチ公像が再建されたというのは驚くべきことだという見方もできるだろう。本書に描かれている臆病であったはずのハチ公が「忠犬」として偶像化されていく過程を考えると、それだけハチ公が愛されていたのだと無邪気に信じることはできない。実際日本社会を象徴するように、戦後日本が戦前・戦中との断絶の上に作られたのではなく、連続性のうえに成り立っていることを強くうかがわせるような形での再建なのであった。

プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR