『ダーク・マネー  巧妙に洗脳される米国民』その1

ジェイン・メイヤー著 『ダーク・マネー  巧妙に洗脳される米国民』





2009年1月20日、バラク・オバマの大統領就任式の日、首都ワシントンは多幸感と高揚感に包まれていた。同月下旬、カリフォルニア州パームスプリング郊外には大富豪たちが結集していた。この集まりを主催したのはチャールズ・コーク。資産10億ドル以上のビリオネアである。チャールズとデイヴィッドのコーク兄弟はオバマの就任演説を聞いて、彼らの政治顧問のリチャード・フィンクと「アメリカは滅びる道をたどっている」という点で意見が一致した。「オバマの当選が示す進歩主義の潮流を撃退するには、「生涯の戦い」が必要だ」と、フィンクは告げた。


大富豪と貧しい人のどちらの数が多いのか、統計を調べてみるまでもない。では金持ちも貧しい人も平等に一票ずつであるはずの民主主義国家において、大富豪が勝ち続けるのはなぜだろうか。貧しい人になくて大富豪にあるもの、それは言うまでもなく金である。莫大な金があれば、民主主義国家においてもごく少数の者が国を支配することも可能になる。アメリカ合衆国のように。

コークに召集された大富豪たちに女性は少なく、非白人はさらに少なかった。コーク兄弟がそうであるように、彼らの多くが親などから莫大な資産を受け継ぎ、それをさらに子孫に受け渡そうとしている。エネルギー産業や金融業など当局による規制にその利害が直接左右される者たちが多く、また法的な問題を抱えている者も多い。このような大富豪が求める政治がいかなるものかは容易に想像がつくことだろう。

本書はコーク兄弟を中心とする右翼の大富豪がいかにアメリカ政治を金の力によって支配しているのかを、その来歴から解き明かしたものである。


金の力といっても、政治家を買収する、あるいは莫大な政治献金によって政党や政治家個人へ影響力を及ぼすといった単純な話ではない。コーク兄弟をはじめとするビリオネアたちはもちろん献金等も行っているが、アメリカにおいて最も強く影響力を発揮しているのは、表に出ない「ダーク・マネー」だ。これは主にフィランソロピー、つまり慈善を装って作り出される。

アメリカの大富豪の「寄付文化」について、日本ではノブレス・オブリージュのように理解している人がいるかもしれないが、そのような意図を持つ人が皆無であるとまではいわないものの、たいていは的外れであろう。莫大な寄付の第一の目的は税金対策である。さらには、単に既存の慈善団体に渋々ながら寄付をするのではなく、自らに優位な政治、社会に誘導するためのマシーンを作り上げるのに使われている。税金逃れをするだけでなく、金持ちが税金を払わなくていい社会、大企業が規制を逃れる社会がこうして出来上がっていっている。

戦略的に大学、シンクタンク、圧力団体、NPOなどの非営利団体へ資金を流し込み、メディアなどを使って右派イデオロギーの浸透を図るとともに、保守内部においてすら「奇人」とすらされるような強硬右派を支援する。これらはまたリベラル派や穏健保守へのネガティブ・キャンペーンの実働部隊ともなっている。

1980年のアメリカ大統領選挙でデイヴィッド・コークはリバタリアン党の副大統領候補となったが、集められた票はわずか1パーセントほどだった。もっともこれは、候補者になれば無制限に資金を選挙に投じることができることから、当選を望んでのことというよりは(当人たちも当選の見込みがあるとは考えてもいなかっただろう)、プロパガンダの機会と捉えていたという見方もできるし、実際デイヴィッドは多額の私財をキャンペーンにつぎ込んでいる。いずれにせよ、コーク兄弟の奉じるリバタリアン思想の信奉者とは当時はせいぜいこの程度であったということもできる(もっとも「思想」というほど立派なものというよりは、ハイエクのご都合主義的なつまみ食いといったほうがいいだろう)。

この約10年前の71年には、あのニクソンですら自らをケインズ主義者だと称していた。しかし、レーガンが大きな政府か小さな政府かが問題なのではなく政府そのものが問題なのだと言ったように、リバタリアン的発想はこれ以降加速度的に信奉者を増やしていき、80年代以降社会保障は削られ、富裕層の税金は軽減され、環境や金融などの規制は取り払われ、コーク兄弟のような人物はますます肥え太っていった。クリントン政権も基本的にはこの流れを踏襲したものであったが、ブッシュ・ジュニアの失態もあり、オバマ政権の誕生という事態にビリオネアたちは危機感を募らせていった。こうして徐々に影響力を拡大していた右翼大富豪たちはさらに戦線を拡大することにし、最高裁から「言論の自由」を理由に事実上無制限に選挙に金をぶち込めるようになったことも追い風に(もちろんこれ自体が右派による運動の成果でもある)凄まじいキャンペーンを張り、共和党から穏健保守を追放するなどして党内を制圧ようとするティーパーティ運動としてそれは結実することになる。


フィランソロピーという形で税逃れをするとともに政治的影響力の拡大を図るというのはコーク兄弟らによって始められたのではない。ジョン・D・ロックフェラーは1909年に財団の法的な承認を得ようとしている。セオドア・ルーズヴェルトなどの批判派はその目的を見抜き、「そういう財産を使っていかなる慈善を行おうとも、その富を手に入れるための違法行為を埋め合わせことはできない」とした。1915年にアメリカ労使関係委員会のフランク・ウォルシュは「財団と称する巨大な慈善トラストは社会にとって脅威だと思われる」と述べ、スタンフォード大学教授のロブ・ライシュは「私立財団は「そもそも富豪階級の声を代表する」ものであるから、「基本的に根深い反民主主義の厄介な存在である……この統一体は、政治的平等を脅かし、公共政策に影響をあたえ、永遠に存在しつづけるおそれがある」とした。

まるで約100年後を予言したかのようであるが、この発言の十数年後にはこれは杞憂であったと思われたかもしれない。ニューディール政策に反対した富豪は多かったが、反ニューディールキャンペーンはうまくいったとはいえない。では、とりわけ1980年代以降この手法が成功を収めたのはなぜか。より大規模に、より巧妙に行われるようになったのであった。

ヘリテージ財団をはじめとする右派シンクタンクに多額の資金を流し込み、リベラル派の政策を批判させ、右派の政策のプロパガンダを行わせた。大学に寄付をして講座や人事に影響を行使し、エビデンスを欠いた学術的には話にならないような怪しげな主張にまでお墨付きが与えられるようお膳立てした。司法にも食い込み、観光地で裁判官向けに右派思想の「研修」会を開き、多くの裁判官がこれを無料のバカンスとして利用した。その中には後の最高裁判事も含まれていた。NPOなどを使い複雑に金をやりとりすることで、法的にも保護され、資金の流れの解明は難しくなった。

また卵が先か鶏が先とすべきか、メディアの環境も大きく変化したことも影響しているだろう。70年代以降、「リベラル偏向」という批判を浴びたニューヨーク・タイムズがその批判を交わすために保守派のコラムニストを起用するなど、エスタブリッシュメントメディアが右派にひよった態度を見せる一方で、右派によるトークラジオやフォックス・ニュースなどが台頭していく。さらには富豪たちはメディア企業を所有しているケースも多い。

エスタブリッシュメントメディアがプロパガンダを真に受け、ティーパーティを自然発生的草の根運動であるかのようなピント外れの報道をしている中、右翼のビリオネアたちは様々な団体を通して「ダーク・マネー」をせっせと流し続けた。グレン・ベックは「ティーパーティのスーパースター」であった。フォックスにおいて「最大で年間100万ドルの報酬で、ベックはフリーダムワークスのスタッフが書いた「埋め込みコンテンツ」を読んだ。オンエアで話すことを、フリーダムワークスが指示し、ベックはそれが自分の意見であるかのようによどみなく語りに盛り込んだ。フリーダムワークスの公開された税務記録は、この手段を「宣伝費」に計上している」。

「フリーダムワークス」とはフィリップモリスのような大企業と、コーク兄弟と並んで本書の主要登場人物であるリチャード・メロン・スケイフなどのビリオネアが中心的に資金を提供し、「ティーパーティ運動の初期にもっとも大きな役割を果たした組織」である。
つまりフォックスのこの番組は事実上スポンサードを受けた宣伝コンテンツであったのだが、視聴者はそうとは気づかないままベックのような煽情的司会者に煽られていき、リベラルなメディアまでもが当時はそれに騙されていたのであった。


コーク兄弟をはじめとする右翼の大富豪とその関連団体の最大の強み、それは失敗から学ぶことだろう。オバマの当選ばかりか再選までをも許したように、彼らは連戦連勝であったのではない。失敗し、反省し、それを挽回していった歴史でもあった。草の根にアピールしようとする手法は民主党のそれから学んだものである。またティーパーティ運動などによって共和党から穏健派を駆逐し過激さが増し民心がついてきていないとみると、中道無党派の取り込みをも図る。コーク兄弟は黒人大学連合や米国刑事弁護士協会といった相容れないかに思える団体への多額の寄付を行うようになる。コーク兄弟は行き過ぎた厳罰主義など刑事司法への批判も開始するようになるが、もっともこれは人権を重視するものというよりは、自身や保有する企業が訴追の対象になるという危機感からのものであるようだ。こういった私的な実利を追及しつつ社会正義の皮をまとうのも彼らの得意とするところだ。

大学への寄付も右翼への紐付きに限らないものも開始する。リベラル派といっていい学者の中にまで、資金を出してもらえるのならコーク兄弟の金でも受け取るという者まで現れるようになる。こうして「慈善家」のイメージを振りまくことで、著者らの報道によりその実態が暴かれたことへのダメージコントロールを図っていることは明らかだ。

また、90年代以降は大統領選挙では民主党が優位であるにも関わらず、州知事、州議会は各地で共和党が圧倒的に優位となっている。これは知事選や地方議員選挙にも右翼ビリオネアたちが以前では考えられないほどの莫大な資金を投じていることも影響している。知事、州議会を抑えることで連邦下院の区割りに影響力を行使することができ、これが共和党の下院議会選挙の強さの要因の一つでもある。また判事が選挙で選ばれる地域もあるが、こういったものにも丹念に資金を流し込み、司法への浸透にも余念がない。こういった小さな選挙もおろそかにしない地に足の着いた戦術はリベラル派にとってボディーブローのようにきいているし、リベラル派に非があるとすれば、こういった本来得意であったはずの地道な活動で右派の独走を許したことだろう。


原著刊行は2016年1月だが、共和党をすっかり支配したかのようなコーク兄弟を公然と批判する人物として、党のアウトサイダーから大統領選に挑むドナルド・トランプに言及されているのは、トランプ当選後に読むとなんとも皮肉なものを感じる。まさかこの時点では、著者はトランプが大統領に上り詰めるとは思ってもいなかったことだろう。しかし今になって読むと、本書には不気味な予言ととれるような箇所がいくつもある。

一部にはトランプが共和党大統領候補となったことで党が割れると予想した人もいたが、結局共和党の一体感が失われることはなかった。コーク兄弟はさすがにトランプを全面支援することはなかったが、かといってトランプ大統領誕生の阻止にも動かなかった。これは彼らの行動が実利優先で「思想」に基づくものではないことの何よりの証拠であろう。そもそもが真のリバタリアンならば中絶や同性婚の禁止などを求め私的領域への介入を強める共和党を支持できるはずがない。ほとんどの党人や共和党支持者は、トランプが大統領候補に指名されると批判を手控えるだけでなく、熱量にいくらかの差はあれ支援にまわった。共和党とその支持者にとって何よりも大事なのはリベラル派に権力を渡さないことであり、そのためにならどのような人物とも平気で手を組むことができる。これこそが保守・右派の最大の「強み」だろう。

トランプの登場によって何かが変わったのではない。本書を読めばトランプは結果なのであって原因ではないことがわかる。トランプ登場以前から、共和党が得意としてきたキャンペーンは差別とデマであった。本書に描かれているように、凶悪な顔をした黒人がリベラル派のおかげで死刑を免れることができたと喜ぶイラストがダイレクトメールで大量に送付されたり(ちなみにここでやり玉にあげられた民主党の候補はリベラル派どころか死刑存置派の保守的な人物であったそうだ)、あるいはニューヨークの「グラウンド・ゼロ」の跡地にモスクが作られるだの、オバマケアによって「死の判定団」が設置されるだのといったデマが共和党やその支持団体から流された。差別を煽り、デマを流布するのが共和党に長年染みついたやり口であり、それについていくのが共和党支持者であるという状況はすでに生じていた。トランプはそこに乗じたのであって、それを生み出したのではない。

一方民主党にも、数や金額では劣るとはいえジョージ・ソロスをはじめとするビリオネアは何人かついている。しかし、オバマ対ロムニーの大統領選挙の際、ロムニーがハゲタカファンドの経営者であったことへのネガティブキャンペーンを打つと、ウォール街や大富豪に気を使ってこれを批判する政治家が民主党内部から出ることになる。共和党がリベラル派を権力から遠ざけるためなら手段を択ばずに団結するのに対し、民主党はむしろ金融規制や税制をはじめとするいくつかの論点で分裂に向かってしまう。むろん大富豪やウォール街はリスクヘッジとしてこのために民主党にも資金を流しておりその結果だとすることもできる。ちなみにこの時に投資家擁護に動いた有力者の一人がビル・クリントンであった。本書によればヒラリーはビルのこのような動きに不快感を抱いたそうだが、これも今となってはなんとも皮肉な話である。


トランプ大統領の誕生を白人労働者階級の怒りや彼らを自暴自棄の状態にまで追い詰めたリベラル派の欺瞞のせいにしたい人もいるが、これもまた右派によるプロパガンダの一環という面があることに注意が必要だ。トランプが選挙期間中から提示していた減税プランは富裕層に有利なものであったのは周知のとおりである。当選後はウォール街が泣いて喜ぶような政策を実行に移そうとしているが、これに騙されたと憤っているトランプ支持に転じた元民主党支持者がどれだけいるだろうか。確かに個別的に見れば元民主党支持者もいくらかは流れ込んだろうが、それは経済政策や労働政策、再分配政策によってリベラル派に失望させられたからというよりは、白人男性中心の権威主義的社会の復活に引き寄せられたという要素の方が強いだろう。本書ではさらっと触れてあるだけだが、敵失によってオバマが「圧勝」をおさめたはずの2012年の大統領選挙であるが、この時すでに白人と高齢者票は前回より減っていたのである。まさにこの中高年白人がトランプ支持のコアな層であることを考えれば、トランプ大統領を誕生させる下地はすでに2012年には表に露出し始めていたとも考えられる。

差別的傾向のある権威主義者、こういった人々に差別とデマを使ってアピールすることは、右派の得意中の得意とするところだ。トランプが大統領になると、その支離滅裂な経済政策にも関わらず株価は上昇した。ウォール街やビリオネアは、リベラル派を権力から遠ざけたことで誰が得をするのかをよく知っている。共和党の支持層は経済保守と文化保守から成るが、両者の間に政策における共通点はほとんどない。両者が共に抱いているのはリベラル派への嫌悪であり、経済保守は手っ取り早く動員できる文化保守を焚きつけるのに手段を選ばない。

本書には、数少ないまともなビリオネであるウォーレン・バフェットのこんな言葉が引用されている。「階級戦争はたしかにあるが、戦争を行っているのは、私の階級、つまり富裕層で、勝ちつづけている」。


というところで長くなったのでその2に続く。

『10:04』

ベン・ラーナー著 『10:04』





33歳の詩人にして小説家である「僕」は、第一長編小説が高い評価を受け、続いて書いた短編が「ニューヨーカー」誌に高く売れ、この短編を組み込んだ長編を書くという「真剣だけれども曖昧な企画書」により「六桁強」の前払い印税を受け取れることになった。

ニューヨークには巨大ハリケーン「アイリーン」が迫っている。「僕」には動脈瘤性拡張らしきものが見つかり、たいていは幼少期に発見されるはずのマルファン症候群が疑われ、これを気に病んでいた。大学時代からの友人のアレックスからあなたの精子で妊娠したいと言われるが、それは結婚はおろか恋人関係になろうというのでもなく、精子を提供してもらって子宮内人工受精をしたいということだった。「あなたとセックスするのは変な感じだから」。恩師と仰いでいる、驚異の知性を誇るバーナードとナタリの老夫妻からは遺著管理人になることを依頼されていたが、バーナードが転倒して首の骨を折ったという連絡が入る。

2011年8月にやって来た「アイリーン」が過ぎ去り、翌年10月の巨大ハリケーン「サンディ」の襲来まで、「僕」の生活が繊細に、滑稽に綴られていき、「僕」は契約をした長編小説の構想を紆余曲折しながら進めていく。


アッパーミドルの知的なニューヨーカーの生態を自虐風味で描くということではウディ・アレンを連想してしまう。
「僕」が病院で精子の採取を行う際、看護師から「とにかく手はきれいに洗って、菌が付いていそうなものには手を触れないでください」と注意される。ポルノDVDのリモコンやらヘッドフォンやらに触れるたびにパニックに襲われ、ジーンズをずり下したままの姿でぴょんぴょん跳びはねて移動して何度も手を洗うはめになる。バイアグラを処方されていたが、これは飲まなかった。ちょっと後悔したが、精子が汚染されたらどうするんだ、血管拡張が起こったらどうなるんだと医者に怒りが湧いてくる。そして「二十分の自己汚染の後、自慰室を出て「できませんでした」」と言うはめになったら……。と、このあたりの自意識過剰さや心気症からくるスラップスティック調はまさしくウディ・アレン的だろう。

しかし全体的な趣は必ずしもこれに統一されているのではない。『10:04』という奇妙なタイトルは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマーティーが1955年の世界から85年に戻る時間から来ている。アメリカの精神を体現するかのようなウォルト・ホイットマンの詩とともに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は全編に通奏低音として流れる。このように本作の最大のテーマは時間であり、記憶であり、またニューヨーカーという規定にとどまらないアメリカ人であるということもその射程に入っている。

ハリケーン「アイリーン」が迫り、ニューヨークが厳戒態勢となる中、「僕」はアレックスのアパートで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を音を消して観始めた。「僕」が非常用ラジオにつないだ「イヤホンを左耳に差して気象情報を聞く間に、マーティーは一九五五年に旅をした――それはちなみに、原子力発電によって初めて町の光が灯された年だ。アイダホ州アルコ。一九六一年に初めてメルトダウン事故が起きた場所でもある。マーティーはその後、一九八五年に戻る。それは僕が六歳だった年。ビデオで見る限りホルヘ・オータは明らかに一塁でアウトなのに、とんでもない誤審のせいでワールドシリーズが第七戦までもつれ込んだ結果、カンザスシティ・ロイヤルズが優勝した年でもある。映画の中では、自動車型タイムマシンの動力となるプルトニウムがなくて困るというのに、現実の世界では、プルトニウムが福島の土壌に染み込んでいる。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は時代に先んじていた。僕は音のない映画を観ながら、上流にあるインディアンポイント原子炉のことが心配になり始めた」。

過去は未来によって作られる。そして、未来は過去によって作られる。過去、現在、未来を行き来し、歴史を変え、歴史を戻し、「未来に逆戻り」する『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、まさに時代に先んじていた。ノートパソコンでで古い映画を見ながら、過去を作り上げ、未来を作り上げていく。エピグラムにはこの言葉が引用されている。「全ては今と変わらない――ただほんの少し違うだけで」。

「僕」は七歳の時、学校でクリス・マコーリフに手紙を書いていた。「わずか二か月後に迫るチャレンジャー号のミッション成功を祈る大げさな筆記体の手紙」を。教師であったマコーリフは「普通の人」の代表だった。工作の授業で隣の席にいるダニエルは「次の春にはゼリービーンズを――あきれたことに――鼻の奥まで吸い込んで救急搬送された。中学に入ってからは同級生の誰より先にたばこを吸うことになるが、この時代にはスティックシュガーをこっそり食べていることが知られていた。どんな込み入った理由があるにしろ、一九歳のとき実家の地下室で首吊り自殺をするのを知っている少年と一緒に未来のジオラマを創るのは悲しい作業だ」。

「僕」がマコーリフに手紙を書いていた時には、この二か月後にチャレンジャー号が爆発するなどとは想像もしていなかった。でも、最早今では、チャレンジャー号の事故を抜きにあの記憶を思い出すことはできない。翌春にゼリービーンズを吸い込んで病院に運ばれることになるダニエルが、首を吊ったという未来/過去を抜きに、発砲スチロールで惑星のジオラマを一緒に作ったあの日を思い出せないように。プルトニウムの奪い合いは、チェルノブイリや福島での事故を経た「今」となっては、無邪気に見ることはできない。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には、マーティーが「チャック・ベリーにロックンロールの演奏を教え」る、いわくつきの場面がある。「それはつまり、マーティーが未来に戻ったときには、ロックを発明したのは白人だ――白人が黒人のロックを盗用したのではない――という歴史が出来上がっていることを意味する」。
「現在」が「過去」を変え、その「過去」が「未来」を作るのである。「全ては今と変わらない――ただほんの少し違うだけ」の未来を。


「過去」は容易に変転を遂げる。チャレンジャー号の爆発の瞬間をテレビで生で観ていたと記憶するアメリカ人は多いことだろう。しかし実際には、事故の瞬間を地上波のテレビ局は生中継をしておらず、当時はCNNを観ていた人もまだ少なかったはずだ。

でも「僕」はあの瞬間をテレビで生で観ていた。というのも、いくつかの学校ではNASAが衛星放送を使ったミッションのテレビ中継を行っていたからだ。「僕」はそのことを覚えている。「グレイナー先生の目に涙が浮かんだこと、子供たちがしばらく事態を飲み込めなかったこと、ぎこちない笑いが漏れ聞こえた」ことを。

「ところが実は、僕も兄も生で観ていません。トピーカにあるランドルフ小学校は生中継先に指定されていませんでした。だから、たまたまCNNを観ていたか、特別に選ばれた教室にいたかでない限り、あの事故を現在時制で観た人はいないのです」。多くの人は、直後から繰り返し放送された録画を観ていたのだろう。

多くの人が生で観たのは、その夜に行われたレーガンの演説だった。これはレーガン嫌いの「僕」の両親の心さえ動かすものだった。七歳だった「僕」は「神の御顔に触れ」や「険悪[サーリー]な地上の束縛を逃れた」という部分が「頭の中ばかりか体の中にまで入ってきた」。詩というものの持つ力に、この時目覚めた。

この演説はレーガンが書いたのではなくスピーチライターの手によるもので、さらにこの部分は有名な詩からの引用であった。「遠回しな、控えめな言い方」をするとこれには「発想の源」があった。もしこれを学生が書いてきたら、「一種のコラージュか盗作と判断する」ようなものだったのである。「でも僕はこうした事実を、恥ずべきというより、素晴らしいと思います。個々人の身体と時間を貫く重ね書き風の羊皮紙的剽窃として。または単一の起源を持たない集合的な歌、あるいは起源を消去された歌として。既に実体は消滅しているのに光だけが残され、私たちの地球からいまだに見えている星のように」。

この部分は「僕」による講演であるのだが、「作家になると決意した――それが決意したと呼べるものだとしての話ですが――瞬間が存在するという考え方、あるいは作家は自分がなぜ作家になったか、いかにしてなったかを知っているはずだという考え方は、要するに過去に何かを投影しているのです」と語り始められていたものだ。


「僕」の経歴はほぼそのままラーナーと重なる。本作は小説を書く過程を小説化した私小説風作品とすることもできる。同時に、「僕」は過去を偽造することで未来に影響を与えようというアイデアを思いつくが、訳者あとがきで木原善彦が指摘しているように、「ベン」という名前は削除されることになる。このように作者とは誰か、小説とは何かを問うポストモダン的作品ともなる。時間と記憶の関係がそうであるように、創作もまたその複雑な因果から逃れられない。

「嵐は天使を、彼が背を向けている未来の方へ、不可抗敵に運んでいく」、ベンヤミンのあまりに有名で、かつ多様な解釈が誘発される言葉が引用されている。「全ては今と変わらない――ただほんの少し違うだけで」。エピグラムに引用されるこの言葉をラーナーはアガンベンの『到来する共同体』の中から見つけたが、この「大元の出どころはヴァルター・ベンヤミンとされることが多い」と謝辞に書いている。

70年代後半生まれ、ニューヨーク在住、アッパーミドルといった、様々な世代意識、土地意識、階級意識といったものが絡み合う中で紡がれた小説となっている。個人的には、著者と同年代なものでいろいろと「この感覚、この肌触りはわかるなあ」というところも多かった(もっともこちとらアッパーミドルなんぞではないので階級はまるで違うが)。読者の世代を選ぶ作品ではないが、ラーナーと同じ70年代後半生まれの人はより一層楽しめるものかもしれない。

なお作中に登場するクリスチャン・マークレーの『ザ・クロック』は、映画、テレビの中に登場する時計や時間を表す箇所をつなぎ合わせて24時間を引用の時計にするという作品だそうで、なかなか面白そう。これが常に劇場でかかっていたりしたらふらりと入ってみたいが、そう考える人は多いのか作中では常に行列ができて順番待ちをしなくてはならないことになっている。『ザ・クロック』についてラーナーが参考にしたという、「ニューヨーカー」に載ったこの作品についてのダニエル・ザレフスキーの「時間」はこちら





『オはオオタカのオ』

ヘレン・マクドナルド著 『オはオオタカのオ』






ケンブリッジ大学でリサーチ・フェローとして教鞭をとっていたヘレン・マクドナルドに、父が亡くなったという突然の電話があった。強いショックを受けた彼女は、かねてから夢見ていたオオタカを飼うことを決める。本書は約一年に渡る、メイベルと名付けられたオオタカとの生活、そして様々な思索の記録である。

親しい人を失った喪失感が、動物を飼うことによって、あるいは自然に溶け込むことで癒されていくというのはよくある話だろう。本書も広い意味ではその系譜となる。しかしなにせ飼うのがオオタカである。犬や猫、あるいは馬などとはまったく異なる体験となり、単なる「癒しの物語」とは一線を画するものとなっている。さらにはオオタカをめぐる歴史や、やはりオオタカを飼った経験を本に記したT・H・ホワイト(その『永遠の王』はディズニーの『王様の剣』の原作となった)の『オオタカ』を、自身の経験と比較して批評的に読んでいくという作業が平行してなされ、奥行きの深いものとなっている。


マクドナルドは幼少期からオオタカに憧れていた。猛禽センターで働いたこともあり、その生態などは、調教の困難さも含めて理解していたつもりだった。しかし実際に飼い始めると、それは想像を超えたものともなる。普通は動物を飼い始めると、距離が縮まっていき、通じ合えたと思える瞬間が訪れ、あとは安定した関係を築くことになる。しかしメイベルとの関係はそうたやすくはいかない。自分の不安がメイベルに伝わっているのではないかと思えることもあれば、メイベルの不安や恐れ苛立ちが伝染したようにマクドナルドも人間を避けたいとまで思い始めることになる。安易な一体化を拒むのもオオタカである。これはまた、喪の経験とつながるところもあるだろう。

マクドナルドとメイベルとの関係において最も興味深かったのが、その「野生」に関する感覚についてだ。マクドナルドは、食肉用に狭いケージに閉じ込められて育てられる動物を食べるよりも、タカによって狩られた動物を口にするほうがいいのではないかと思っていた。それでも、メイベルが狩をするようになり、自分の手でウサギなどにとどめをささなければならない経験をすると、そのように考えることも難しいとも感じるようになる。彼女は死を知らなかったのではない。12歳の時にはオオタカが雉を捕まえるのも見ており、命を奪う、奪われるという関係には自覚的であったが、それでも強烈な体験となる。ここで安易に「野生」を上辺で理解し受け止めることをせず、また人間を基準にして距離を取るのでもなく、命を奪うことやメイベルとの関係を見つめなおしていく。


ホワイトの著作をめぐっては、その調教方法やオオタカをめぐる考え方に強い反発を覚えつつも、教師という点では共通点もあり、当時は絶対に明かすことが許されなかった同性愛者で政治的にもかなり混乱していたその生涯を辿ることで、鳥瞰的立場から裁きを加えるのではなく、ホワイトという人物がマクドナルド自身の体験と時に重なり合い、時に前よりもさらに反発を抱きつつ、立体的に浮かび上がるようになっている。

イギリスでは一度オオタカは絶滅しており、ヨーロッパ大陸から再び迎え入れられたものである。ホワイトもドイツからオオタカを購入している。言うまでもなく、鷹狩は一般大衆によって広く行われるものではない。一部の特権的な人々によって行われることから、象徴的意味合いも帯びることになる。

マクドナルドは学生時代にフロイトを読んで以来、「もともと持っていた鷹狩り関係の本にもさまざまな感情転移を見いだすようになった」。
「十九世紀の鷹匠たちは、近代生活によって脅かされていると自らが考える野生、力、雄々しさ、自立性、強さといった男性的性質を鷹に投影していた。調教中の鷹と自己同一することによって、彼らは野性的で原始的な動物を「文明化」することで、自らの権力を行使することができた。男らしさと征服という、大英帝国の二大神話がひとつの行為で手に入るのだ。ヴィクトリア朝時代の鷹匠は、鷹の力と強さを身に着けた。鷹は人間のやり方を受け入れた」。

一方20世紀前半を生きるホワイトの鷹に対する投影は、これとは異なるものだった。「そのドイツ生まれの若いオオタカは、彼が長年抑えこもうとしてきた人には言えない内なる暗い欲望の生きた表現だった。まさに、この世ならぬ、妖精の、野生の、残忍な、残酷な存在なのだ。彼はあまりに長い間、ジェントルマンであろうと努力していきた。文明社会のきまりに自分を合わせ、普通であろう、ほかの人々と同じになろうとした。しかし、ストウ校に勤務した年月や彼の精神分析に戦争の恐怖が加わり、彼を極限状態に追いこんだ。彼は鷹を好んで人間を拒絶したが、自分自身から逃れることはできなかった。またしてもホワイトは、彼自身の内なる邪悪さや暴力性を文明化しようとする闘いに明け暮れるようになった。ただ今回はそうした性質を鷹に託したうえで、それを文明化しようとしたのだった」。

マクドナルドがメイベルを人にならそうと腕にとめて町中を歩いていると、「話しかけてくる人たちは、みなアウトサイダーだということに気づいた」ように、鷹や鷹匠が社会で持つ意味合いは時代とともに変転していくが、現在でも国際的なコミュニケーションを成立させるきっかけでもあり続けてもいる。そしてまたヨーロッパのその技術が十字軍時代に中東経由で伝わったものであるように、歴史を切り離すことはできない。


19世紀のイギリスの鷹匠の傾向を考えると、ナチスが目を付けたというのは当然とすべきか。1937年、ドイツで国際狩猟博覧会が行われた。「鷹匠の数はドイツ全体でも五十人を超えない程度だったが、この「帝国」では鷹狩のシンボルが隆盛を誇っていた。この鷹狩り展の図録の表紙では、図案化された裸の「超人」が金色のこぶしに載せ、高く掲げていた」。

「ベルリンの博覧会では鷹狩り展に出品したのは、わずか二か国だけだった。ドイツが一等賞を獲得した。英国の鷹匠クラブは二等賞だった」。英国の鷹匠クラブには、ゲーリングからハヤブサのブロンズ像が贈られた。

お互いに名前も知らないが、マクドナルドはメイベルという存在を通してある老夫婦と挨拶を交わすようになっていた。「こんにちは! 鷹は元気?」と気さくに話しかけてきた男は、マクドナルドがさっき鹿を見たというと、「鹿の群れというのは(……)希望を与えてくれるだろう?」と唐突に言った。「希望?」と怪訝に思って問い返すと、「そういうものがいてくれることにほっとするよ。古きよき英国の名残がいまもあるということだろう。こんなに移民がたくさんやってくるようになってもね」と言うのだった。
マクドナルドは凍り付き、気まずい沈黙が流れ、「私はさようならの意味で会釈をし、ひどくわびしい気持ちで、雨のなかをメイベルといっしょにとぼとぼ歩いて帰った」。

メイベルを連れて町を歩いていると、話しかけてきたのは「子ども、ゴス・ファッションのティーンエイジャー、ホームレス、留学生、旅行者、酔っ払い、休暇を過ごす人々」といった「アウトサイダー」であり、マクドナルドも自分が今アウウトサイダーなのだと考えることを悪くないと思った。同時に、この老夫婦のように、鷹や鷹匠という存在から「古きよき英国」という名のゼノフォビアが浮かび上がることもある。

とぼとぼと帰ったマクドナルドは、こう考え始める。
「歴史、それに加えて生き方についても同じことが言える。古きよき英国の話と同様、現在と比べると百年前とか四百年前のこの国とは似ても似つかない。もうすぐ家に着くところだが、私は悲しみ、怒り、ひどく憤慨している。私たちが何者であるかを思い起こさせてくれる風景を守るためになど、闘いたくない。その代り、生命があらんかぎりの多様さでざわめき、輝く風景のためにこそ、闘うべきだと思う。そして私にも罪がある。私は鷹に逃げこむことで、歴史から逃れようとした。邪悪な暗闇を忘れ、ゲーリングの鷹を忘れ、死を忘れ、かつてあったすべてを忘れようとしていた。しかし、私の逃避はまちがっていた。まちがっていたどころではない。危険ですらあった。私は常に闘わなくてはならない、忘却に抗して、と私は思った」。

もちろんこれは、父の死から逃避していたのが、正面から向き合うことができるようになったということでもあり、また象徴としての鷹や鷹匠の歴史を真摯に見つめ続けるということでもある。


「伝統」が持つ危うさにすっかり無頓着になり、それをひたすら快楽として消費することにのみに目がいきがちな現在の日本においても、単に「癒しの物語」にとどまらない視座を持つ本書によって描かれるこの喪の一年は、貴重なものとして響くことになるだろう。







『人生の段階』

ジュリアン・バーンズ著 『人生の段階』




2008年、バーンズは30年間連れ添った妻に先立たれた。脳腫瘍の診断からわずか37日だった。その妻の死から5年後に刊行されたのが本書である。3部構成となっており、「高さの罪」では19世紀の熱気球と写真の歴史が述べられ、「地表で」では実在の人物である、共に気球に乗った経験を持つフランス人の女優ベルナールとイギリスの軍人バーナビーとの架空の恋がフィクションとして描かれ、「深さの喪失」で妻を失ったバーンズ自身の心理が綴られる。


「組み合わせたことのないものを二つ、組み合わせてみる。それで世界は変わる。誰もそのとき気づいていなくてもかまわない。世界は確実に変わっている」。

「これまで組み合わせたことのないものを、二つ、組み合わせてみる。うまくいくこともあれば、そうでないこともある」。

「これまで一緒だったことのない者が、二人、一緒になる。結果はときに大失敗となる。たとえば水素気球と熱気球を初めてつなぎ合わせたときのように、墜落して炎上したり、炎上して墜落したり。だが、ときに成功して、そこから新しい何かが生まれ、世界を変えることもある。ただ、その場合もいずれは――遅かれ早かれ――あれやこれやの理由で一人が連れ去られる。そのとき失われるものは、それまであった二人の合計より大きい。そんなことは数学的にはありえないかもしれないが、感情的にはありうる」。

これはそれぞれのパートの冒頭部分からの引用であるが、一見すると愛する者の死とは無関係に思える熱気球の歴史が語られるのはなぜなのかは、ここからわかるだろう。

気球は人間の認識をも変えた。鳥以外の存在が、空から地表を眺めることができるようになった。しかしこれはある認識の死をももたらしたのかもしれない。人間を見下ろすという神の特権は消えた。かつて人間は、失われた人に会いにいくために、地下へと、冥府を下った。しかし今や、地下とは文字通りの地下でしかなくなってしまった。

妻を失い、その喪失感の中でバーンズはいくつかの発見をする。かつてはまったく興味を引かれなかったオペラに魅了されるようになった。嘘っぽい、ご都合主義のように思えたオペラの筋書きだが、「登場人物の一人一人をできるだけ早く適切な場面に連れていき、そこでそれぞれのもっとも深い感情を歌わせる」ものであったと感じるようになった。「オペラは、他のどれよりもあからさまに、見る者の心を砕こうとする芸術形式だ。私の新しい社会リアリズムがそこにあった」。
冥府下りを描いたグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』を「見くびって」いたが、「悲しみにうちひしがれている人をピンポイントで狙い撃つ」作品だと思えた。

現代風にアレンジされた『オルフェオ』を見たが、オペラの魔力は健在でも、「昔ながらのメタファーは失われ、新しいメタファーが必要となる。私たちはオルフェオが下ったようには下れない。別の方法で下り、別の方法で連れ戻さねばならない。私たちにできるのは夢で下ること、そして記憶の中で下ることだ」。

バーンズは夢で妻と会う。とはいっても現実と夢を混同することはない。夢で妻と出会いたくて、その願い通りに夢の中に妻が現れるのはバーンズの内部に由来することで、「それ以外の何かであるなどとは一瞬も思ったことがない」。それでもバーンズは妻の夢を見続ける。より直接的に、記憶を掘り進み、下りもする。しかし、記憶はある一定のポイント以上を遡ることがどうしてもできない。現実の後悔や自責のために、「自己満足のための夢」を見るのだろうし、「記憶をたどろうとして挫折するのも、同じ理由からだと思う」。

「グリーフ・ワークとは、喪の作業、癒しの作業のことだ。明確に定まった概念のように聞こえるが、実際は液体のようにとらえどころがなく、変化しやすい。時間が経過し痛みが消えるのを待つという受け身の作業だったり、死と損失と愛する人に意識を集中するという能動的な作業だったり、つまらないサッカーの試合を見たりオペラに圧倒されたりという必然的な気散じの作業だったりする。ほとんどの人には初めての作業だ。ボランティア作業ではないが無報酬で、監督者がいないのに厳しさが要求され、修行の機会などないのに技がいる。それに、進歩しているのかどうかがわからず、進歩するために何が必要か教えてくれる人もいない」。


テクノロジーによって神は死に、冥府下りの道は閉ざされたかのようであるが、バーンズがそうであったように、人間にはやはり神話や物語を必要とする。人間が持つ神話や物語には共通の鋳型があるかのように、全く異なる地域のそれでもいくつかの「型」に分類が可能だ。

バーンズがここで行っている「喪の作業」は独創性に溢れたものではない。
「一方が死んだあとの最初の一年間は、二人が慣れ親しんできた一年一年の陰画のようになる。カレンダー上に行事がちりばめられてられていても、その日に何かが行われることはない(……)恐怖に見舞われた日、初めて妻が倒れた日、入院した日、退院した日、死んだ日、埋葬した日……」。

ジョーン・ディディオンの『悲しみにある者』は、夫を突然失ってからの一年間の思索の記録であるが、同じような心理になったことが書かれている。

「死はありふれていながら、一つ一つが唯一無二だ」として、E・M・フォースターの言葉が引用されている。「一つの死はそれ自身を説明できても、別の死の理解には役立たない」。バーンズのある知人は、夫が癌で長い闘病を繰り広げ、避け難い死が迫っていたことから、これに「十分準備しておける」と願い、「死別をあつかっている古典的な著作を集めた」が、その時がくると、「リストは何の役にも立たなかった」。

これはその著作が見当はずれのものであったからではないだろう。むしろその悲しみとそこからの回復への試みをありありと描いたものであったはずだ。しかしどれだけ迫真のものであろうが、それは「準備」にはならない。死者にとってその死は初めてなら、送る者にとってもその死は初めてのことであり、その唯一無二の出来事がいかなるものかは、実際にそれが訪れるまでわからない。

バーンズは自ら命を絶とうかとも考えた。しかしある瞬間が訪れ、「私が自殺に走る可能性は低くなった」。
こう自問自答した。「いま妻が生きているとすれば、どこにいるか」。それは「私の記憶の中だ」。そして「主たる記憶者は私」であり、「もし私が自殺すれば、それは妻をも殺すことになる。だから自殺はできない」。そして「私は、妻が私に臨んだはずの生き方をしなければならない」と思う。

溢れんばかりの知性を誇る技巧的作家が至った境地にしては凡庸なものに思えるかもしれないが、むしろそれゆえに切実なものと映る。しかしまた、毎日とめどなく流れていた涙がやんで、集中力が戻り、ロビー恐怖症が消え、所有物の処分ができるようになっても、「背後には多くの失敗とぶり返しが隠れている」。

「悲しみ・苦しみ・悼みにおける「成功」とは、達成なのか新しい所与なのか。なぜというに、ここには自由意志という観念の入り込む余地がないからだ。目的と成果を持ち出すのは、グリーフ・ワークが報いられるものという前提に立っていて、場違いな感じがする」。これを行えば悲しみを軽減できるといった方法論や、これを超えれば悲しみは乗り越えられたという瞬間などはない。行きつ戻りつし、人によっては闇の中を延々と彷徨うことになるのかもしれない。その時に何が起こるのかは、それが訪れてみないとわからない。


「もともと雲を呼び起こしたのは人間ではない。それを吹き散らす力も人間にはない。どこかから――あるいは無から――思いがけず風が湧き起こり、気がつけば、私たちはまた動いている」。



40年後の『反=日本語論』

久しぶりに蓮実重彦の『反=日本語論』を引っ張り出してみた。

「あとがき」にあるように、本書はいくつかの雑誌に掲載された文章を集めたもので、「一冊の著作にまとめようよする気持ちはなかった」という。しかし雑多な寄せ集めというよりは、まとまったものという印象が強いものとなっている。というのも、本書を貫くのはタイトルからもわかるように「言語」をめぐって書かれたもので統一されているからだ。

「ちくま学芸文庫版あとがき」にはさらに、「わたくしの書いたものとしてはごく稀なことだが、『反=日本語論』は著者自身の予想を遥かに超えて、多くの方々に読んでいただくことができた書物である」としてある。

文学、哲学、言語学といったジャンルを例のあの文体で論じているものだけに、内容的には必ずしもとっつきやすいものではないかもしれない。しかし、にもかかわらず本書が広く読まれたのは、蓮実がとっかかりとして身近なところから話題を集めてきており、そういった身辺雑記的な部分が寄与するところ大であろう。日本語がそれほど得意ではないフラン人の妻と、日仏のバイリンガルとして育ちつつある息子との生活をユーモラスに綴ったものとしても楽しむことができる。


妻は、「夫のまわりに群がっている仲間や友人の名前など、とても一どきにはおぼえられない。そこで、その多くがフランス文学の教師である彼らが研究したり翻訳している作家の名前でまず記憶する。だからわれわれの家庭での対話は、きわめてスケールが大きいのだ。今日はビュトールに逢ったとか、サルトルと打ち合わせがあるとか、ル・クレジオの妹さんがたずねてくるとか、スタンダールに電話しなければならないといったありさまなのである」。

息子は「二歳のはじめの六カ月と、四歳から五歳にかけての一年間をフランスで過ごしたほかは、ほぼ二年に一度のわりで繰り返される夏休みのヨーロッパ滞在をのぞいて、日本の首府に定住している。家庭では、原則としてフランス語のみを使用する。それは、たまたま日本人の父親の話すフランス語がフランス人の母親の話す日本語より流暢であったからという理由によるものだ」という環境で育つ。

息子はフランスで「シノワ(中国人)」と呼ばれたことへの「国粋的な反撃」として母親を「ガイジーン!」と指さし、父親にはフランス語で悪態をつくようになる。

息子は怒られると、母親がフランス語で口にする「母親に向かって、その口のきき方はなんですか」を「そっくり頂戴して」、フランス語で「自分の子どもに向かって、そんな口のきき方がありますか?」と言い返す。母は「苦笑しながら、つい追及の姿勢を崩して」しまい、「そして父親は、かたわらで笑いをこらえるのに懸命になって」しまう。

父親に「あなた」と呼びかけ、母を迎えにいくというのをフランス語を直訳して「ママをさがしに行こう」とせきたて、日本語の「この前さあ」というのを今度はフランス語に直訳してしまうこの息子は、日本に暮らしながらフランス語ができてしまう己の運命を呪うかのようなことを口にしつつ、久しぶりにテレビのニュースを見るのを許されると(蓮実家では普段はわずかな番組を除いて基本的にテレビは見ない)、器用にフランス語に訳してみせて、母親を感動させたりする。


『反=日本語論』が最初に刊行されたのは1977年なので、2017年でちょうど40年ということになる。久しぶりに読み返してみたのは、9歳の少年として登場していた、音楽家となったこの息子、蓮実重臣が、今年49歳で亡くなったからだ。

息子のエピソードも満載なこの原稿を本にまとめるとき、蓮実はこの40年後に息子を看取ることになるとは想像もしなかったことだろうし、息子の方も、親に看取られることになるとは思わなかったことだろう。

蓮実重臣は僕とはほぼ10歳違いであり、30代の終わりに、あと10年後に死ぬのがわかったら、いったい何をするのだろうかなんてことを読み返しながらつい考えてしまう。それよりも、『反=日本語論』刊行時の蓮実の年に近づいてきているせいか、僕には子どもはいないものの、子どもを見送らねばならなかった親の辛さ(それはおそらくは僕の想像を遥かに超える悲しみなのだろうが)というのに思いがいってしまう。

ああ、この子はもういないのだなと、40年前に書かれた本を読みながらいろいろな感情が湧いてきてしまった。


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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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