『ラ・ラ・ランド』

『ラ・ラ・ランド』には十分楽しませてもらったが、では映画史的に見てエポックになるような作品だと感じられたとか、あるいは個人的に打ちのめされるような作品だったかというと、そこまでとはいかなかった。この作品を手放しで絶賛している人には「いや、それほどでは……」と言いたくなるし、この作品を酷評している人にもやはり、「いや、そこまででは……」と言いたくなる。これはデイミアン・チャゼル監督の前作『セッション』も同様であった。

『セッション』では、ミュージシャンを目指していたこともあるチャゼルが音楽映画を撮ったのであるが、その音楽考証の杜撰さは玄人筋から顰蹙や怒りを買うことになった。過去のミュージカル作品へのオマージュをふんだんに取り入れた『ラ・ラ・ランド』であるが、シネフィル的な人からは冷ややかな反応も目立つ。後ろから弾を撃たれているような、なんだか不憫な感じもしてきてしまうが、ジャズと映画といえばうるさ型のファンを擁する二大ジャンルでもあるだけに、地雷原に全速力で突っこんでいくようなチャゼルの意気込みというのはその分感じることもできるのだが、その鼻息の荒さにかえってイラっとくる人もいるのかもしれない。

「ジャズは死にかけている。そのまま死なせてやれという人もいる」とセブは言うが、これはミュージカル映画にもそのまま当てはめることができるだろう。死に瀕しているこのジャンルを救いたい。うるさ型がでんと控えることによよって新しいファンが疎外されるというのはどのジャンルにも起こりうることだ。玄人受けばかり狙って「老人向け」に作ったところで新しいマーケットを開拓することはできず、衰退していくだけだ。一方で「未来」に向けてジャズのアップデートを図る(?)キースであるが、音楽に通じているとはいえないミアすらドン引きさせるチープなものになっている(正確にいえば音楽にドン引いたのではなく、意に沿わないことをカネのためにさせられているセブに同情したのではあるが、ミアがこのバンドに心を動かされなかったことは間違いない)。このように、批判を浴びることを恐れて新たなチャレンジができないのであらばそのジャンルは衰退してしまうし(セブはそういうキャラクターでもある)、そんなものどこふく風で堂々とやってのけるのだという風でありつつもまた、「大人」の賢しらさへのシニカルな視線もある。

ジャズ、ミュージカル、業界内幕もの、観光案内的、そしてエマ・ストーンと、これらはウディ・アレンのものでもあるが、アレンは肩の力を抜いて飄々とやっている(「ありえたかもしれない世界」をウディ・アレンがやれば、それはロマンティックなものであっても愛すべき小品として作ったり、あるいはみみっちい泣き言という形になるのだろう)。本作も、それこそキースとセブの絡みの場面なんかはスラップスティック調にやってもよかったのかもしれないし、それもまたミュージカルらしさにもなったのだろうが、チャゼルの場合どうしても力みかえってあらゆる場面で全力疾走しているかのようであり、このあたりも好みが分かれるところだろう。


ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックが監督した『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』は、いかにもベルセバ的世界であり、ファンとしてはチャーミングで楽しめる作品となっているものの、映画として洗練されているかといえばいささか留保をつけざるをえない。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』と『ラ・ラ・ランド』を比べると、やはりチャゼルの監督としての力量の確かさを讃えずにはいられない。一方で、ミュージカル、引用の数々、原色とくればゴダールでもあるが、『ラ・ラ・ランド』を見ると、やっぱりゴダールはすごいのだな、という気分にもなってくる。

チャゼルの作品は、溢れ出る才能を御しきれない結果としていびつなものになっているのかというと、どうもそうではないようにも思える。彼の監督としての能力が高いことは間違いないが、実は映画的(さらには音楽的)センスというのが今一つなのかもしれないとも思えてしまった。

象徴的なのが、『ラ・ラ・ランド』であるいくつかの演奏場面だろう。これが二流のディレクターによるテレビ番組であるかのように、どうにも格好良くない。セブがネガティブな感情を抱いている場面であえてダサくするのならわかるが、肯定的な感情を持っているはずの場面でも、カメラワークや編集を含めて、「おおっ!」と思わせてはくれないし、むしろこの人は本当にジャズに興味があるのだろうかとすら思えてしまった。このあたりは『セッション』の主人公がドラムの早叩きに執念を燃やすものの「スウィング」には無関心といったたりからもその疑念が生まれる。『セッション』も、そもそも主人公は本当にジャズが好きなのか、それとも自己顕示欲からくるものなのか、音楽学校でジャズを教えることができるのか、といったあたりがテーマになってもおかしくないのだろうが、そのあたりにはチャゼルはほとんど関心がないようであった。

チャゼルという人は全体をまとめて観客をフックする力はあるのだが、細部へのこだわりというのが欠けいて(彼について極めて否定的な評価をする人が最もひっかかるのはこのあたりだろう)、その結果一般的なイメージとはむしろ逆に、観客の心をワンショットで鷲掴みにするような、「心震わせるようなショット」というのが撮れない監督のようにも思える。大きな(あるいは最大の)見せ場である冒頭の高速道路の場面も、すごいことはすごいのだが、ちょっといじわるな見方をすると、金と手間隙かけたミュージックビデオかipodの広告のようにも見えてしまいかねなかった。ストーリーとは直接絡まないここは、この作品は衒いなく正面きってミュージカルをやるのだという宣言であり、イントロとしては十分に機能しているとも思うが、それ以上ではないといえばそうとも思える。


考えてみれば、現代でミュージカル映画をやるというのは、『レ・ミゼラブル』のような古典を題材にしたものならともかく、基本的にはあらかじめ負けが決まっている戦いなのかもしれない。ジャンル映画としてミュージカルファンにだけ訴求できればいいと割り切るか、ノスタルジーに訴えかけるか、異化効果を狙うか、こういったあたりでないと厳しいと長年考えられてきたことだろう。そんな中でチャゼルが本作を批評的にも興行的にも成功させたというのは、それだけでも称賛に値することだ。

どうしてもチャゼルには過大評価と過小評価とがつきまとってしまうのであるが(悪名は無名に優るではないが、それもまたチャゼルの才能のなせる業でもあろう)、誉め言葉には聞こえないかもしれないが、「普通に面白い」映画を撮る能力は間違いなく高い映画監督であろう。『セッション』がそうであったように、『ラ・ラ・ランド』も、ふらっと映画館に入って偶然見たのだとしたら、多くの人にとって得をしたような気分になれるくらい楽しませてくれる作品であることは間違いない。ちょっとぶつぶつ言いつつも、僕も十分に楽しめた作品であった。


ストーリー的に気になるところといえば、すでに作中でもスマホの時代になっているにも関わらず、セブは携帯を持っていないのだろうか。映画館での待ちぼうけやミアの舞台に急遽行けなくなるところなど、メール一本入れておけばそれで済むだろうというところでそうしないもので、持っていないとすべきなのだろうが、その割には終盤でミアが残していった(?)スマホを普通に使っているのはどうしたことか(映画館運が悪くて、隣の人に集中力を乱されたせいでいくつか見落とした場面があるもので、このあたりにきちんと説明がなされていたのだとしたらごめんなさい)。

携帯描写といえば村上春樹の『騎士団長殺し』でもやや強引な印象があったが、映画や小説で、とりわけ『ラ・ラ・ランド』のようなすれ違いを描いた作品で携帯という存在が邪魔になるというのはわかるのだが、それならいっそのこと携帯がまだない時代に設定すればいいのではないかと思ってしまう。『騎士団長殺し』の場合東日本大震災を登場させたかったのであの時代になったのであろうが、『ラ・ラ・ランド』の場合携帯が普及する前の時代にしたところでまるで支障がなかったはずだ。


本筋には関係ない話では、セブが帰ると家に姉が無断あがっており、不意をつかれて「ビクッ!」となるところは個人的にツボにはまってしまった。セブよ、お前は意外と気が小さいのか。僕もよくああなって失笑を買うことがあるもので他人事とは思えなかったのだが、セブ(とゴズリング)のあのキャラだけに余計におかしい。ミアがそっと帰宅した時にもなるのだが、よく鍋をひっくりかえさなかった。

あと、僕は昔からエマ・ストーンが好きなもので、パーティでリクエストをする時に腕をぴんと上げたところは可愛らしくてよかった。

一方で雑誌の撮影シーンだが、あれはなんなのだと不快でになってきた。あんなカメラマンが被写体の魅力を引き出せないのは誰にだってわかるし、そんな無能なカメラマンがあの年齢になるまで仕事を続けているうえに、有名雑誌の仕事まで得るなどというのはまず有りえない。もちろんここはカメラマンなどどうでもよくって、セブの置かれた状況とそれがもたらす心理を戯画的に描いた場面だということはわかるのだが、それにしたってアレはないのではないか。チャゼルのこうした粗雑さやいい加減さにイラっとくる人が多いというのも、よくわかる場面であった。



『騎士団長殺し』 顕れるテーマ編

村上春樹著 『騎士団長殺し』





ということで文体編に続きようやく本題に。


「私」は画家である。画家といっても著名であったり成功しているわけではなく、企業経営者の肖像画を描くなど意に沿わない仕事をして糊口をしのいでいた。それでも、「私」は自分なりの流儀でベストを尽くしていたし、その仕事は顧客からもエージェントからも評価されていた。建築事務所に勤める妻との関係は良好だと思っていたのだが、判然としない理由で突然別れを切り出されてしまった。その衝撃と喪失感とから数か月間あてのない旅を続け、ようやく帰ってきて連絡を取った相手が、美大時代からの数少ない友人である雨田政彦だった。政彦の父具彦(ともひこ)は高名な日本画家だ。具彦は妻に先立たれ、自身も認知症を患い施設に入っており、小田原のアトリエを兼ねた山荘は空き家になっていた。政彦は空き家にしておくと家が傷むし無用心だからと、「私」にこの山荘に住んだらどうかと声をかけてくれた。

こうして「私」の新たな生活が始まったが、ある日、屋根裏から物音がしてくるのに気づいた。ネズミか何かが入り込んだのかと屋根裏に上ってみると、そこにいたのはみみずくだった。そして「私」は、みみずくに導かれたかのようにこの屋根裏で、「こっそり隠すように置かれていた」絵を発見する。そこには「騎士団長殺し」というタイトルがあった。
そして「私」のもとに、奇妙な依頼が舞い込むのであった。


このように「いかにも村上春樹的」な物語であるとすることもできるし、過去作の再利用が目立つとすることもできるだろう。「私」が意味があるとは思えない仕事でも自分の流儀でベストを尽くすというのは『ダンス・ダンス・ダンス』の「文化的雪かき」が思い浮かぶし、離婚の雰囲気は『羊をめぐる冒険』のそれのようだ。彷徨するのは『ノルウェイの森』、奇妙な依頼や人里離れた山荘も『羊』であるし、死に瀕した老人は様々な作品に登場する。何よりも、実体化する「イデア」は「羊男」以来村上作品においておなじみのものである。
そしてまた、設定のみならず主題においても村上春樹的世界が展開されるのであるが、その行き着く先はこれまでの延長とすることもできるとともに、一人称作品としては趣を変えたとすることもできるものとなっている。


以下、作品の結末部分にも触れているので、未読の方はご注意を。



村上春樹といえば、デビュー時から「バタ臭ささ」の代名詞のように語られてきた。その作品が欧米に紹介され広く読まれるようになると、肯定的な意味で、作品の舞台がニューヨークやパリやローマであろうとも違和感がないとされた。欧米の読者はムラカミ作品にタニザキやミシマのようなエキゾチズムを求めるのではなく、日系の作家が英語で執筆したかのごとく、自分たちと地続きの物語として受容したのである。

一方で村上作品に早い時期から東アジア的叙情性を見出していた論者もいたし、また欧米においても、『海辺のカフカ』を絶賛したジョン・アップダイクの書評に代表されるように、怨念が実体化し現実を動かし、またそれをごく当たり前のごとく受け止めるというところなど、『源氏物語』をはじめとする日本文学、文化の伝統の延長線上に位置するという読まれ方もなされている。村上作品の英訳者であるジェイ・ルービンも村上の作品に日本の古典芸能との関連性を見ている。

『騎士団長殺し』は、村上自身がまさにそれを意識した作品でもあろう。村上とも個人的に交流のあった河合隼雄は、村上作品が極めてユング的であると評価しているし、精神分析をはじめ批評的視座から作品を読まれることを嫌う村上であるが、この評価は素直に受け入れている。『騎士団長殺し』はより一層ユング的な、集合的無意識をさらに押し進めたものとして読める。しかしそれよりも、仏教の縁起的世界に近いのかもしれない。

村上がある時期まで登場人物に名前を与えることに消極的であったのは、その作品が深読みを誘発させるという一般的なイメージと異なり、むしろそれを恐れていたからとすることもできる。80年代後半以降は徐々に名前が与えられていき、さらにそこにはっきりと意味を埋め込むという大江健三郎的手法までとることになる(「恐れ」を失った村上作品から引き締まった緊張感が薄れたとすることもまたできよう)。これは「手の内」を探られることを恐れなくなったとすることもできる。本作でも『海辺のカフカ』に引き続いて上田秋成の名を直接出し、仏教のある一面についても直接的に語られている。もちろん仏教といっても何か特定の信仰を説いているのではなく、あくまで仏教的世界観であり、それを相対化させるようにカルト臭のする怪しげな仏教的新興宗教団体も顔をのぞかせている。

『海辺のカフカ』が典型的であったように、まるで関わり合いのなかった人々の別々の行動が結果としてこの世界に大きな影響を与えるというのは、「袖振り合うも多生の縁」を物語化したものでもある。自らとは無関係に思えるような歴史から呼びかけられるのであるが、これも『羊をめぐる冒険』以来おなじみのものである。


雨田具彦は洋画家としてキャリアを開始したが、1936年から39年にかけてのウィーン留学を経て日本画へと「転向」した画家という設定になっている。時期的に考えればファナティカルな日本主義に捉われたのかと思ってしまうが、そうではなかった。具彦は特権階級の出身だったこともあって戦時中は沈黙を守ることができ、ひたすら創作に励んだ。戦後、他の画家が戦争協力を批判されるようになっても、この点で無傷であったこともあって画壇で成功していくことになるように、具彦の「転向」は自民族中心主義に陥った結果ではなかった。

具彦のこの経歴は、村上は自身の姿をいくらか重ねることができるだろう。村上はデビュー作をまず英語で書き始めたというのは有名なエピソードである。キャリアを重ねるごとに、日本社会の(あるいは日本の文壇の)住み心地は村上にとってますます居心地のよいものではなくなっていく。海外で評価されたこともあって精神的な意味で「亡命作家」となってもおかしくはなかっただろうが、それでも村上は日本を完全に棄てることはなかった。また同時に、欧米への長期滞在後に国粋主義化するという、江藤淳をはじめとする日本の文化人にしばしば見られる傾向とは逆のベクトルで、日本人としての責任を引き受けようとしている。

「騎士団長殺し」とはモーツァルトのオペラ、『ドン・ジョバンニ』から取られている。具彦はこれをなぜか日本画の手法で描いている。いったいこの絵が意味するものが何であるかというのがこの物語をドライヴさせる謎の一つであるが、これは村上自身の姿を暗示したものであると共に、具彦には村上の父、千秋の姿を重ねていることもまた明らかだ。作品の舞台となっているのはおそらくは2007年前後、92歳の具彦はいつ息を引き取ってもおかしくない状態である。そして千秋は2008年に90歳で亡くなっている。

村上は父と必ずしもいい関係を築けなかったことを隠そうとしていなかった。デビュー作『風の歌を聴け』には父親への言及があり、ここには父とその世代へのアンビヴァレントな感情が描かれているのだが、これ以降長らく村上作品は親子の関係を描くことはなかった。しばしば登場する、様々な姿をまとう死にかけた老人たちは、村上の父への複雑な感情を反映したものでもあるだろう。


2009年に村上はエルサレム賞を受賞した。この受賞スピーチで村上は父について珍しく率直に語っているが、その印象はこれまでとは異なるものでもあった(このスピーチは『雑文集』に収録されている)。

「私の父は昨年の夏に九十歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました」と村上は語っている。
村上千秋は大学院在学中に召集され、中国大陸に送られて戦闘に参加した。戦後になっても千秋は毎朝、朝食を取る前に仏壇に祈りを捧げていた。「何のために祈っているのか」と、息子は一度尋ねたことがあった。「戦地で死んでいった人々のためだ」と父は答えた。「味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈って」いた。「父の祈っている姿を見ていると、そこには死の影が漂っているように、私には感じられました」。

村上はこう続ける。
「父は亡くなり、その記憶も――それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに――消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです」。


具彦が「騎士団長殺し」に込めたメッセージの解読は、当初は歴史ミステリーへと展開していくのかに思われたが、それは詳細が不明のまま、具彦の二つの悲痛な喪失が明かされることになっていく。具彦には音楽を学んでいた継彦(継ぐ!)という弟がいた。彼は有力者を父に持つ大学生であったが、書類の不首尾からか召集され(もちろんまだ学徒動員が始まる前である)、中国大陸に送られ、南京攻略に参加し、そこで中国人の首を刎ねねばならなくなった。ここで描かれているのは『ねじまき鳥クロニクル』の「要領の悪い虐殺」の反復であるが、『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』が満蒙がキーとなる土地であったのに対し、南京での蛮行を描いているのは、南京虐殺に象徴される中国大陸での蛮行の数々の記憶を「引き継ぐ」ことが責任であるという意識がより高まったからであるのかもしれない。

村上は中国大陸で父の身に何が起こったのか、最後まで訊くことができなかったようだ(少なくともそれを表にはしていない)。父が中国で死んでいれば戦後に生まれた自分は存在していなかったという可能性は、子どもの頃から強烈にこびりついていたことだろう。同時に、父は中国での蛮行の加害者であったのかもしれないという疑念もあったことだろう。千秋が日本軍の蛮行を直接目にしたのか、間接的に耳にしただけなのか、あるいは雨田継彦のように、無理やりにその直接の加害者にさせられたのかはわからないままだ。

継彦は「ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生まれてきた男だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃな」かった。その継彦は帰国後に自ら命を絶つ。
政彦はこの会ったことのない叔父についてこう語る。「継彦叔父はその上官の命令に逆らえなかった(……)それだけの勇気も実行力も、叔父は持ち合わせていなかった。しかしその後、剃刀を研ぎ挙げて自分の命を絶つことによって、自分なりの決着をつけることはできた。そういう意味では、叔父は決して弱い人間ではなかったとおれは考えている。自らの命を絶つことが、叔父にとっては人間性を回復するための唯一の方法だったんだ」

「私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです」と村上はエルサレム賞のスピーチで語った。「国籍や人種を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。(……)我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」。

「システムというものはいったん動き出したら、簡単には止められない」、雨田政彦は叔父が不可解にも招集されたことについてこう語る。
そして継彦の死は、「ただ性格が弱い、根性がない、愛国心に欠けているというだけで片付けられ」てしまった。「当時の日本ではそんな『弱さ』は理解もされなければ受け入れられもしなかった。ただ家族の恥として闇に葬られるだけだ」

このように、本作はエルサレム賞受賞スピーチを小説化したものという一面を持っている。


「騎士団長殺し」は、具彦自身のウィーンでのある体験と、弟の死の衝撃から描かれたようだ。具彦は洋画から日本画へと転向したが、自民族中心主義に陥って「日本回帰」したのではなかった。この自らの内面を明らかにしない、偏屈な老人が描こうとしたものは、また村上が紡ぐ物語でもある。生き残った後に亡き戦友と中国人の犠牲者のために祈り続けた父千秋は、具彦であったのかもしれない。そして継彦のようになっていた可能性もあった。そうなっていれば、春樹はこの世に誕生することはなかった。日本には数多くの継彦たちがいた。そして継彦が中国人の首を刎ねたように、「システム」の被害者であり同時に「システム」の末端を担う加害者でもあった彼らによって、南京で虐殺された中国人をはじめ数多くの人々が、これから在り得たかもしれない数多くの可能性を、暴力によって断ち切られたのであった。

父との関係がうまくいかなかったことを隠さない村上であるが、また一人っ子であった自分が甘やかされて育ったともしている。かつてエッセイで書いたように、子どものころ春樹は「ツケ」で本を買うことが許されており、欲しい本を好きなだけ手にすることができた。千秋は戦前の京大で大学院にまで進んでいるのだから、研究者になっていてもおかしくはなかったほどだったことだろう。春樹は両親がともに国語教師であったことからそれへの反発もあって、かえって外国文学を読み漁り、日本文学などほとんど読まなかったとしていたのだが、これを文字通りに受け取ることはできない。『ノルウェイの森』のミドリの父との挿話は、春樹と義父との関係だけでなく、実父との歩み寄りの可能性を示すものでもあったのかもしれない。そして千秋の死の直後に刊行された『1Q84』では、文字通りの父との和解を描いている。そしてこれと前後して、その作品内部で『海辺のカフカ』や『騎士団長殺し』における上田秋成をはじめ、日本文学からの影響を進んで認めるようになっている。

千秋が生きて日本に帰ってきて、自ら命を絶つことなく、子どもを持つ決意をしたから春樹がいる。1949年に生まれた春樹は、自分は戦後生まれなのだから戦争とは何の関係もないし、負うべき責任などないとは考えていない。そう考えることなどできないし、それは許されるものでもない。そして、この偶然によって生まれた自分が果たすべき責任とは何なのか、それが村上の一貫するテーマであるし、『騎士団長殺し』のある部分はそれがストレートに表れている。「私」は自分の父とは疎遠になっているのだが、あえてこのようにしたのは、これは単に個々の親子の絆を見つめ直すということではなく、象徴的な意味合いにおける親子関係と、それが「縁」となる歴史の引継ぎを描こうとしたからであろう。


『騎士団長殺し』はこのように、歴史への責任意識というのが一つのテーマでもあるが、既に述べたように縁起的世界を「メタファー」として描いたものでもある。そしてこの両者は村上にとって不可分なものでもあろう。

本作について長過ぎると感じる読者もいることだろうし、正直僕も、とりわけ前半はもっとすっきりできるはずなのに、と思いながら読み進んだ。「すっきり」していないのは、例えば『羊』では素敵な耳を持つガールフレンドが担う役割をこちらでは複数の人物が担っているために、まどろっこしさが生じてきてしまうところにある。しかしそれは意図的に生じさせたものでもあるだろう。

本作の登場人物はその環境や体験や精神が重なり合うことになる。「私」には3歳年下の妹がいる。具彦と継彦の年齢差は3歳だ。「私」の妹は中学一年の時に亡くなってしまうが、「私」は中一の少女まりえと出会うことになる。免色は精液を搾り取られるかのような奇妙なセックスを体験したことがあり、まりえが生物学上自分の娘なのではないかと考えている。「私」は夢の中で妻のユズと強引に交わり、ユズは「私」とはセックスするのを避け、新しい恋人とは慎重に避妊していたはずなのに、妊娠してしまう。こういったことが繰り返されるために分量がふくらんでいっている。

誰もが誰かと入れ替わりが可能であるようだ。しかし同時に、「たとえ凡庸であっても、代わりはきかない」とも口にされる。村上千秋は中国で戦死していたかもしれない。戦場での体験に耐えかねて自ら命を絶ったり、このような世界にあって子どもを作るまいと考えた可能性もあっただろう。村上春樹という存在がこの世にいるのは偶然でもあり、それは誰の身にも起こりうることでもあり、そして村上春樹という存在、あるいはこの物語を手に取る読者は、交換不可能な唯一無二の存在でもある。

生物学的繋がりの如何に関わらず、「親」という存在に人間は左右されずにはいられないし、望むと望まざるとに関わらず、この社会から完全に逃れることはできない。社会は歴史から切り離され、突如としてどこからともなく姿を現すのではない。「我々がシステムを作った」のであるように、我々がこの社会を作り上げてきた。それは長い年月をかけて、正の面も負の面もその両面を吸い上げ、姿を変えながら存在し続ける。我々一人一人は、その社会をつまみ食いすることはできないし、そんなことは許されない。そこで生きていく以上――というか、人間はそこでしか生きていけないのだから――そこに積み重ねられてきた歴史に対して責任が生じることになる。
井戸の底へ、祠の地下へと降りることは冥府下りでもあり、また集合的無意識に分け入り、それを共有することでもある。そこでは歴史の深淵がのぞかれ、他者と(無)意識を分かち合う。


80年代の村上は、一般的には(とりわけ左派的な人にとっては)、社会に背を向けた現状肯定の微温的保守主義者、自分のことしか考えない悪しき個人主義者と映っていたことだろう。実際にはデビュー作である『風の歌を聴け』にすでにあったように、とりわけ中国、そして親の世代の戦争というのは村上にとって当初から重要なテーマであり、羊憑きの先生のモデルが児玉誉士夫であるように、戦前、戦中、戦後の連続性というのが常にテーマとしてあった作家でもあった。

あえていえば左派的な歴史意識のもとで作品を書いてきたことは明らかであったはずなのに、ではなぜ「誤解」が生じたのかといえば、80年代の村上にとっては日本(という社会)に生まれ育ったことによる責任意識よりも、日本(社会)という「システム」への嫌悪感の方が強かったためだろう。80年代に書かれた長編の結末はペシミスティックなものが多い。『羊』では、最低限の抵抗は行えたものの、「僕」は失われたものに涙を流す。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、「私」は「世界の終わり」を淡々と受け入れることになる。『ノルウェイの森』では、ワタナベは自分がどこにいるのか見当もつかないまま、電話で緑を呼びつづける。そのペシミズムはシニシズムにさえ接近しているようにも受け取られかねなかった。

これが『1Q84』になると、BOOK3は「社会の闇をえぐりだす」といった凡庸な期待をあえて裏切るかのような奇妙にも思える明るさに包まれ、『多崎つくる』にいたっては、かえって不気味さすらたたえているかのように丸く収まってしまう。2000年代以降、三人称という新しい「ヴィークル」で一人称時代の作品の「語り直し」を行ってきた村上だが、このように作品の着地点も異なるものとなっていった。

端的にえば、否定から肯定へと舵を切ったのである。オウム事件によって「物語」を改めて問い直すことになったことも「肯定」の物語が生み出されるようになった契機の一つであろうが、しかしすでに、『ノルウェイの森』を経て書かれた88年発表の『ダンス・ダンス・ダンス』は、『羊をめぐる冒険』の「続編」にあたるにも関わらず、人のぬくもりの中で目を覚ますかのような肯定的な結末となっている。この点でも『ダンス・ダンス・ダンス』は2000年代以降の村上の長編を予告するものとなっているかのようだ。94年から95年にかけて発表された『ねじまき鳥クロニクル』は、80年代と2000年代の長編の中間のような終わり方となっている。

『騎士団長殺し』はここ十数年村上が行ってきた、一人称時代の作品を三人称によって「語り直す」こととは様相を異にする。ほぼ全面的に一人称によって書かれたこの物語で試みられているのは、2000年代以降の長編作品、つまり「肯定の物語」を、かつては「否定の物語」を書いた一人称で語り直すことだろう。


繰り返しになるが、本作は村上の過去作品の再利用が目立つものとなっているが、そのまま移し換えているのではない。『羊』で「僕」は離婚する。『羊』では妻が子どもがいれば離婚していなかったのかもと言うが、「僕」はこんな世の中に子どもを生み出すということに否定的である(そしてこちらに書いたように、五木寛之との対談で語っているように、これは村上自身の感情でもあったことだろう)。一方『騎士団長殺し』では、子どもを拒むのは妻の方であって、これを反転させているのである。

本作には様々な設定において過去作を流用しているが、決定的に異なる部分がある。それは「悪」の存在だ。
『1973年のピンボール』でジェイの猫は、誰かに万力で潰されたかのように片手が潰された。鼠が「まさか」と驚くと、ジェイはこう言う。「無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれているって言ったっていいかもしれないね」

『羊をめぐる冒険』では「羊」として人にとり憑き、『ねじまき鳥クロニクル』では綿谷ノボルとなる、理由もなく猫の手を潰すような抽象的にして絶対的な「悪」の存在も、2000年代以降の長編も含めて、村上が繰り返し描く、一貫するテーマであり続けている。

『騎士団長殺し』も「悪」がその姿のぞかせないのではない。
「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」という「私」に、雨田政彦はこう言う。「人の首を刎ねるのに馴れることのできる人間は少なからずいるはずだ。人は多くのものごとに馴れていくものだ。とくに極限に近い状態に置かれれば、意外なほどあっさりと馴れてしまうかもしれない」

『羊をめぐる冒険』で、鼠は「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……」と言い、羊の誘惑を拒否して首を吊る。「羊」とは「システム」を支配する存在でもあり、継彦は「システム」に同化するのを拒むために、「人の首を刎ねるのに馴れる」ような人間にはならないために、「人間性を回復するため」、自ら命を断った。継彦は蘇った鼠でもあり、彼は自分を保ち「悪」を封じこめるためにも自ら命を絶たなければならなかった。

そして「私」に迫る「二重メタファー」は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」と同じく、抽象的な「悪」でもある。

しかし、全体的な印象はかつての作品とは異なるものだ。認知症で会話すら行えなくなっている雨田具彦は、寝たきりになっている羊憑きの先生の再来かとも思われたが、むしろ『ノルウェイの森』の緑の父のようであり、『ねじまき鳥クロニクルの』の本田であり、『1Q84』の天吾の父に近い。謎の依頼者である免色も、『羊』の黒服の男を思わせるように、何もかもを仕組んで計算しつくしているかのようで不気味な印象を与えるが、しかし彼はあの哀れなギャツビーであることが明らかとなる。
『騎士団長殺し』では抽象的にして絶対的な「悪」は「メタファー」にとどまり、『海辺のカフカ』のように実体化して現実世界に現れることはない。

何よりもその差が表れているのが、妻の妊娠である。『ねじまき鳥クロニクル』では、不可解な妊娠を遂げたクミコは中絶を行う。ここでは妊娠は呪いであり、この妊娠と中絶は終わりの始まりとなる。しかし『騎士団長殺し』では、ユズの不可解な妊娠は「恩寵」となる。夢の中で妻と交わったものの実際にはセックスをしておらず、自分が生物学上の父でないことは明らかであるにも関わらず、「私」は子どもの父親になることを強く望む。

『ねじまき鳥クロニクル』をはじめ、ミイラ取りがミイラになるかのように(この言葉は『騎士団長殺し』にも登場する)、主人公もが暴力に捉われることを村上は書いてきた。この作品では、「羊」や「綿谷ノボル」や「ジョニー・ウォーカー」のような抽象的で絶対的な「悪」の象徴は前景化されないものの、「私」は自らに潜む暴力性に直面させられることになる。そしてやってくる2011年3月11日に象徴されるように、この世界を無垢で幸福なものとして全肯定しているのではない。それでも、「私」は血のつながりがないであろう子どもを自分の子として、その存在を「恩寵」として受け入れるのである。


しかし、この部分は批判的に検討がなされなければならない箇所でもある。夢の中とはいえ「私」は妻の同意を得ない性行為をし、それは「私」も認めるようにレイプに近いものでさえあった。これは「私」に潜む暴力性の顕現でもあるが、その結果(?)生じる妊娠を「恩寵」とすることは、男性中心的視点とされても仕方ないだろう(ここには聖母マリアの処女懐胎も重ねられているのかもしれないし、そうであるならば「私」はマリアの子の受け入れるヨセフであるのかもしれないが)。「私」は意図せざるして生じた「現実」に対し責任を積極的に引き受けようとするのであるが、では妊娠した妻からはどう見えているのだろうか。

ユズは「私」に説得されて出産を決意するのではない。「私」の意思とは無関係に生むことを決意していた。しかしここはまた、一人称作品の限界が生じる場面でもある。妊娠、出産にまつわる負担とその結果生じる責任の重みは男性と女性では比較にならない。なんといってもユズは、象徴的にではなく、現実に妊娠しているのである。彼女は新しい恋人ができたことで夫との別れを決意するが、避妊には十分注意を払っていたため、新しい恋人がお腹の子の父親でないことを確信している。そしてこの恋人にはお腹の子の父親になってほしくないとも考えている。また、しがない画家である「私」とユズの結婚は、東大を出て銀行に勤めるユズの父親からは歓迎されなかったことが描かれているように(ここもやはり『ねじまき鳥クロニクル』の反復であり、ユズの父方の家系はステレオタイプ化された否定すべき日本的エスタブリッシュメントという感じで、『アンダーグラウンド』のインタビューを経る前の80年代的村上の世界観が顔をのぞかせているかのようでもある)、ユズが実家から積極的な支援が得られるとも、それを期待しているとも思えない。それでも彼女はシングルマザーになることを決意する。当然ながら経済面を含め現実的な厳しさについてユズは検討したであろうが、このあたりの心理が細かに描かれることはない。

ここが、自分が意図したわけでもそれを望んだわけでもないが生じた「現実」を引き受け責任を果たすということのメタファーとなっているのは容易につかめる。しかし2007年の日本の若い女性をとりまく環境からすると、このメタファーはやはりあまりに男性中心的世界観であるとの誹りはまぬがれないであろう。

『海辺のカフカ』にはフェミニストの活動家を戯画化した悪名高い場面がある。これは村上の中にあるフェミニズムへの無理解と60年代の挫折からくる「活動家」への嫌悪感とが絡み合ったものであろう。村上はミソジニー(女性嫌悪)の作家であるとされれば不本意に思うだろうし、むしろ男女平等に対しては積極的であると反論することだろう(『ノルウェイの森』では、女子学生たちにおにぎりを握ってこさせるうえにその出来を品評までする男性活動家を冷ややかに描いている)。

しかし、とりわけ日本の女性の置かれた現状に対する理解が現実に基づくものかは、かなり怪しくも思える。このあたりは、若い世代の閉塞感に対し共感を抱き(「近頃の若いのは……」や「俺達の若い頃は……」といった団塊親父的上から目線の説教を村上はまずしない)、精神面での共闘意識を持っているのであろう村上だが(主人公が若いままであることの理由の一つがこれであろう)、一方で若い世代の経済的な面を含む個別的な「リアル」な苦境にはそれほど関心が向かっていないようにも映ることと同根であろう。アッパーミドルの世界ばかりを描くことがけしからんということではない。しかし、自分よりはるかに若い世代を中心的キャラクターにする以上はそのあたりも視野に入れておくべきだろうが、そうではないあたりが、ユズの選択について男性中心的な描写に留まってしまうことにもつながったのではないだろうか。

言うまでもなく、小説は「政治的に正しく」あるべきだなどとは思わない。ただこれはおそらくは意図せざる結果であり、そして描こうとしたものとの齟齬が生まれてしまっている。

『騎士団長殺し』を読むうえでもう一つ参照すべきなのが「蜂蜜パイ」だろう。三人称で書かれているこの短篇の主人公は作家の淳平で、36歳で妹がおり、親との関係が断絶している(今パラパラっとやっていて気づいたのだが、「蜂蜜パイ」にも『騎士団長殺し』にも「青天の霹靂」を耳で聞いて理解できない少女が登場する。意識して目配せをしたのか、すでに使ったネタであることを失念してのことなのかはわからないが)。

「これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかり抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を」。

2000年に刊行された『神の子どもたちはみな踊る』(収録作はいずれも阪神・淡路大震災がモチーフとなった短篇となっているし、『騎士団長殺し』には前述の通り3・11が登場する)に書き下ろしとして収録された「蜂蜜パイ」のこの部分は、淳平が少なからず村上の伝記的事実を取り入れたキャラクターになっているように、村上自身の決意でもあるだろう。自分の子どもではない少女に父親的愛情を抱くのも、『騎士団長殺し』と重なる。この引用の後に続く部分は実はかなりパターナリズム的で、ひっかかる人もいるかもしれないが、この小説世界においてはそう違和感のないものになっているだろう。このように、短篇においてはぴしっとはまっているものが、長編となると緩くなってしまっているところも、2000年代以降の村上を象徴してしまっているかのようにも思える。


いずれにせよ、80年代までの村上作品においては、子どもを持たない、つまりこの世界に新しい命を生み出さないことは、「システム」への抵抗でもあったことだろう。人間が自らの意思で生殖を拒めば、人類は絶滅し、「システム」も滅ぶ。あるいはそれよりも、「システム」が強大なこの世界に、苦しむ人間をこれ以上増やしたくはないとしたほうがいいだろうか。

『騎士団長殺し』に南京虐殺が登場するのは、明らかに近年の日本における歴史修正主義の跋扈をふまえてのことでもあるだろう(まずは新潮社をなんとかしてよ、とも思ってしまうが)。このように、本作は能天気な楽観主義を振りまいているのではない。それでも、強大な「システム」を前に、逃避的なシニシズムに接近していたようにさえ見えてしまいかねないペシミズに包まれ、無力感と諦念に覆われた80年代から、責任を果たすという形でそれに抵抗していこうとするように変化していったことがより直接的に表れている作品となっている。その象徴が、「恩寵」としての子どもの存在である。「私」はその責任を積極的に果たすことを望み、そして暗い現実をふまえつつも、そこにある種の「明るさ」もまとうことになる。

「私」が経験するこの約9ヶ月間の奇妙な出来事が、妊娠期間のメタファーであることは言うまでもない。


「上下」ではなく「第1部第2部」を同時発表するという形式はどうしたって『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』を想起せずにはいられないし、そうであれば第3部が待っていることになる。ウィーンで具彦の身に起こったことの真相、まりえの父親、および彼がはまる新興宗教など、当然ストーリーに絡んでくるであろうと思わせながら放置されたいくつかの出来事や存在はそれを予告しているかのようだ。一方で、「とにかくこれで一連の出来事は終了したのだろう。そういう感触があった」と、「静寂」が訪れているのは、その梯子を外すことを示唆しているようでもある。あるいは、『1Q84』のBOOK3に多くの人が「え~、こっちに行くの?」と驚かされた(あるいは裏切られた)ように、読者は1年後くらいには、予想だにしなかった展開の第3部を手にしていることになるのかもしれない。


という感じで、思いつくままにダラダラと書いていたせいで重複だらけの締りのない文章になってしまったが、推敲しだすとキリがなくなりそうなのでそのままあげてしまいます。


『騎士団長殺し』 遷ろう文体編

村上春樹著 『騎士団長殺し』




本作でなんといってもまず注目すべきは、この物語が「私」という一人称で語られていることだ。
村上はデビュー以来基本的に一人称で長編を書いてきたが、ドストエフスキー的な「総合小説」を書くために三人称への移行が必要だと考え、難産の末三人称で長編を書くようになった(『1973年のピンボール』での、三人称で書かれた鼠のパートを村上は失敗だったと考えており、これもあってなかなか踏み出すことができなかったのだろう)。そのためか、2000年代以降の長編は一人称時代の作品の「語り直し」という性格を持つようになる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続編になるとも噂された作品は一人称と三人称が交じり合う『海辺のカフカ』となり、『1Q84』には『ねじまき鳥クロニクル』、『多崎つくると色彩のない巡礼』には『ノルウェイの森』が反響することになった。

本作も村上作品でお馴染みのモチーフが頻出する。なかでも『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』といったあたりからの再利用が目立つ。「上下」ではなく「第1部第2部」が同時発表ということでは『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』と重なるし、第3部への布石があるかのごとく書かれているところはこのあたりを形式的にも意識しているのだろうが、同時にどれか一作の明示的な「語り直し」というのとは異なっている。

個人的には、三人称に移行して以降の長編作品の村上の文体にはあまりなじめなかった。本作はどちらかといえば、ここ十数年の長編というよりは『ねじまき鳥クロニクル』の頃の文体に近く、そういう点では乗りやすかったのであるが、同時に文体の点で「待っていた村上春樹が帰って来た」とまではいかなかった。作家にとって「昔の作品の方が好きだった」と言われるほど嫌なことはないだろうが、懐古趣味だノスタルジーだと言われようが、やはり僕としてはデビューから『ノルウェイの森』あたりまでの文体が一番しっくりくるもので、なまじその近くに回帰した分、本作はかえって僕にとっての「失われた村上春樹」というものがより見えてくることとなったようにも感じられた。


本作の主要な舞台となるのがいつなのかは書き込まれていないが、いくつかのヒントから2007年前後だということはわかる。つまり当時36歳であった「私」は、1971年前後の生まれということになる。僕は70年代後半生まれなので、この語り手と同世代とまでしていいのかは微妙だが、その年代についてはある程度のなじみは持っている。

「私」はドアーズやボブ・ディランなど、ロックやポップスに関しては60年代から80年代あたりをよく聴いているようだ。一番新しいものでもブルース・スプリングスティーンである。つまり、世代的にモロであるはずのグランジやブリットポップといったあたりは、少なくとも作中では聴いていない。僕も自分が生まれる前の古いロックばかり聴いて育った人間なので、昔のロックを聴いていること自体はなんとも思わない。しかしこの世代がこの音楽を聴くことによる屈折というか屈託のようなものがまるでないように見えるのはどうだろうか。

僕はビートルズの「レイン」を友人に聴かせたら「オアシスみたい」と言われたことがあるのだが(逆だよ!)、このような反応をされた時の落胆、苛立ち、悲しみ、そして正直にいうと若干の優越感といったものは、自分が生まれる前のポップカルチャーを偏愛するような人間なら誰でも多少は経験があるだろう。60年代にビートルズにもストーンズにもビーチボーイズにも背を向けて50年代のロック、ポップスを偏愛している人間を、屈託なく描けるだろうか。

「私」は序盤で携帯電話を処分してしまい以降これを持つことはなく、ネットもやらない。2007年に携帯を持たないというのは、かなり積極的な意思を持ってのことでなければならないだろう。「私」が携帯を持たないことを揶揄されるところもあるのだが、しかし「私」以外の人物も携帯を使いこなしている人はほとんどおらず、むしろ「私」を含めて、固定電話を(未だに)アクティブに使い続けているかのようだ。

60年代に青春を送った人にとっては60年安保と70年安保を混同されるのは耐え難いであろうし、80年代に青春を送って人にとっては80年代前半の「円高不況」期と後半のバブルとを一緒くたにされるのはたまったものではないだろう。
このあたりの、2000年代に生じたわずか数年での大きな変化というものに本作はいささか無頓着であるかのように映るし、音楽の趣味やその消費の仕方にしても、まるで80年代に30代であった人物を描いているかのようだ。

もちろん村上春樹は一時の村上龍のような「都市風俗の最先端を切り取る」といったタイプの作家ではない。サリンジャーが『ライ麦畑でつかまえて』で、その野崎孝訳に強い影響を受けた庄司薫が『赤頭巾ちゃん気をつけて』でしたような、当時の若者言葉のリアルな再現を目指すといった作風でもない。デビュー時から村上作品の会話は必ずしも「リアリズム」を目指したものではないことは明らかだ。従って本作にしても、言葉のチョイス等が「リアル」でなかったとしても、それをあげつらおうとは思わない。しかし2007年に36歳の人間がドアーズを聴くことや、携帯も持たずネットにも触れないことによる彼の性格や精神についてあっさりと済ませてしまっているところは、この作品が地に足がついていない感覚をもたらすことになる。


村上の「若作り」は何かと揶揄の対象ともされるが、一番の問題は作家と同年代の主人公を描かないことではなく、主要キャラクターがこの時代に生きているという感覚が希薄になってしまっていることにあるだろう。短篇であればさほど気にならないのであるが、「体力勝負」という面もある長編では、これがいささかしんどさをもたらすことになる。

本作にもカントへの言及があるが、村上とカントといえば最も印象深いのが、『1973年のピンボール』における配電盤の葬式の場面だ。僕は73年にはまだ生まれてもいないし、もちろん双子の姉妹と同棲をしたこともなければ配電盤の葬式を執り行ったこともない(おそらくは村上もそうだろう)。それでも、ここを初めて読んだ時に、「哲学の義務は(……)誤解によって生じた幻想を除去することにある。……配電盤よ貯水池に安らかに眠れ」という言葉とともに、雨の匂いや、貯水池が水面を打つ音が、あたかも自分が体験したかことであるかのように浮かんできたし、その感覚は今でも僕の中に残っている。

村上作品の英訳者であるジェイ・ルービンは村上文学の魅力を「密輸」に例えているが、僕が何よりも夢中になったのも、「自分のためにこの物語は書かれているのだ」といった感覚を与えてくれるこの「密輸」業によるものであったのだろうし、あの頃の村上の文体とそれが醸しだす雰囲気(必ずしも「リアル」なものでなくとも)こそがそれを生み出していた。

自分が行ったこともない場所を舞台に、自分とは年齢も性別も異なるキャラクターに容易に生命を吹き込むことができるタイプの作家もいるだろう。一方で、自伝的か否かに関わらず、体験を経なければ命を吹き込むのに苦労する作家というのもいるだろう。その点村上は実は案外不器用な作家なのかもしれない。ジェイムズ・ジョイスはアイルランドにほとんど帰ることなくヨーロッパを転々としながら『ユリシーズ』を書き続けたが、1904年6月16日のあの日あの時には、ジョイスはダブリンにいた。ジョイスは猛烈なリサーチを行いダブリンの瑣末とも思える出来事までをも再現して一日を描いたのであるが、やはりあの瞬間にあの空気を吸っていたというのは大きいだろう。村上はずっと日本を離れているわけではなく、ここのところは基本的には日本に住んでいるようだが、しかし自分の子ども、下手をすれば孫ほども年の離れた世代の吸っている空気を共有しているかといえば、やや疑問である。

村上は80年に発表した短篇「街と、その不確かな壁」を習作と見なし、単行本に収録しなかった。この物語は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」として蘇ることになるのだが、『ノルウェイの森』の原型となった短篇「蛍」が短篇集の表題作にまでなっていることと比べると、その扱いの差が目立つ。
中欧を思わせる、壁に囲まれた奇妙な街を舞台にしたファンタジー的な「世界の終わり」と、計算士と記号士がしのぎを削るSF的な「ハードボイルド・ワンダーランド」が交互に語られていくのであるが、この一見するとリアリズムから遠く離れたような作品も、「ハードボイルド・ワンダーランド」には間違いなく80年代半ばの東京の気配がありありと刻まれている。「街と、その不確かな壁」はこの空気を必要としていたのである。

舞台が近過去である『ねじまき鳥クロニクル』の頃まではなんとか同世代を描いていた村上であるが、それ以降作家は年齢を重ねるものの主要キャラクターは若いままにとどまり続ける。繰り返しになるが、問題は登場人物の年齢ではなく、「地に足がつかなくなった」ことによって細かな描写によって醸しだされる親密さというのが薄れていることだろう(『1Q84』も近過去が舞台であるが、印象としてはむしろ「現代」に寄っている)。

「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね」
これは『風の歌を聴け』の鼠の言葉であるが、『騎士団長殺し』の「私」には、こうした瑞々しさ(それは苦しさと表裏一体でもある)は希薄であるように感じられた。

このあたりはあくまで僕の個人的趣味の問題であって、本作を含む2000年代以降の村上の長編でそのような感情が喚起されたという人を否定するものではもちろんない。


また一人称から三人称への移行と並んで大きいのが、固有名詞の付け方である。村上はある時期まで登場人物に名前を付けることを極度に(といっていいほど)慎重であった。語り手の「僕」に名前が与えられることはなく(『騎士団長殺し』の「私」の名前が伏せられているのも、一人称と並んで注目できるポイントである)、親友の「鼠」や中国人の「ジェイ」、あげくのはてに「208」と「209」というトレーナーを着ることになる双子の姉妹となる。そのため村上の作品は「記号的」ともされたのであるが、むしろこれは「記号」を恐れた結果だったとすべきかもしれない。

キリスト教圏では、聖書やギリシャ・ローマ神話由来の名前を小説の登場人物につけることは多かれ少なかれ何らかの象徴性を帯びることになるのだが、日本語の場合も漢字という要素は大きい。もちろん日本語だけではなく、『ノルウェイの森』の中国語訳の際に訳者から「キズキ」の漢字は何なのかという問い合わせがあったように、漢字圏においても無色透明無味無臭の中立的な名前というのはなく、その漢字をあえて作者が選んだところに何らかの象徴性を見出してしまいたくなる。

こちらに書いたように、デビュー作の『風の歌を聴け』と二作目の『ピンボール』には、後に『ノルウェイの森』で描かれるイメージが大量に含まれている。幻聴らしきものを聞いてしまう女の子、「アウシュヴィッツを連想」させるほど髪を短く刈り込むかつてのガールフレンド、井戸、吃音の青年、そして「直子」という名前すらすでに登場している。おそらくこれらは村上にとって、物語を紡ぐ原風景のようなものだったのだろうし、それだけにかえって、ある時期までは直接的に書くのははばかられたのだろう。

『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と、エンターテイメント作品としても完成度の高いウェルメイドな長編を経て、村上はついに『ノルウェイの森』を書く。『ノルウェイの森』はプロットとしてはあんまりな作品ともできるし(精神を病んだ女の子との悲恋と書くと、なんと陳腐に響くことか)、構成としてもいびつなものである。それでも村上は次のステップに進むためにこの作品を書かねばならなかったし、こちらに書いたように、僕はそれをあえて「蛮勇」と呼びたい。ここでもやはり名前には慎重で、余計な「記号」を負わされることを拒否するかのように「ワタナベ」や「キズキ」はカタカナで書かれ、その他の人物も多くが没個性的な名前をつけられている。「直子」という漢字からは「直線」や「直角」といった「固さ」を連想できなくもないし、それは彼女の精神を暗示しているようでもあるが、村上は漢字に過剰な意味を込めさせたくはなかったのだろう。

これ以降村上の長編作品はウェルメイドなものとは言いかねるものになっていく 。村上は『ノルウェイの森』を書くことで、自分が書きたいのは必ずしもウェルメイドな作品ではないということを意識したのであろうし、さらには自分の心象風景のコアな部分を剥き出しにして読者に曝すことをやってのけることで、過剰なまでの慎重さを振り払ったかのようだ。

そして『ノルウェイの森』の次の作品『ダンス・ダンス・ダンス』において、名前(本名)に積極的な意味が込められた「五反田君」が登場することになる(五反田君は五反田君でなくてはならない)。『ダンス・ダンス・ダンス』はそれまでの作品よりも、2000年代以降の長編に近い肌触りを持った作品であり、2000年代以降の村上の長編を予告するものであるようにも思える。

村上作品は徐々に大江健三郎化とでもいおうか、過剰なほど意味を込められたかのような名前が頻出していくようになる(『騎士団長殺し』において白髪の人物が「免色」というのはあまりといえばあまりだし、ググってもひっかからないことは仮名であることの前フリになっているようにも思えたのだが……)。

村上は『ノルウェイの森』で「蛮勇」をふるう覚悟を決め、それは何よりも、『ねじまき鳥クロニクル』を書くために必要なことであった。『ねじまき鳥クロニクル』は村上にとって総決算的な作品であり、また一人称から三人称への移行、あるいは名前の問題といったあたりでは移行期にある作品でもあった。

僕は『ねじまき鳥クロニクル』を高く評価するが、同時にあやういバランスの上にかろうじて成り立つ「志の高い失敗作」だとも考えている。村上作品にデビュー以来不気味に姿を見え隠れさせていた「悪」を正面から描こうとしたものでありながら、それを描ききれなかったという点では「失敗作」かもしれない。しかしそれに挑むという苦闘の過程こそが、この作品の価値でもあるとも思える。

『ノルウェイの森』で「蛮勇」をふるい、『ダンス・ダンス・ダンス』では奔放に物語を転がした。しかしこの奔放さというのは一つ間違うとルーズさにもつながりかねないもので、『ねじまき鳥クロニクル』ではかろうじて取れていたバランスを、その後徐々に逸していったことが文体にも表れているかのようにも思えてしまう。固有名詞にさえ慎重になるのは、どうあっても過剰な意味を帯びてしまう言葉への、そして過剰な意味を読み込もうとしてしまう読者への不信感があったとすることもできる。奔放さやルーズさというのは、このような不信感とそれがもたらす緊張感の喪失にも結びつくことにもなりかねないものだろう。

こう考えると、一人称で書かれた『騎士団長殺し』が文体的に「戻して」きたというのは個人的には非常に興味深いところであり……というのを前フリとして書こうとしたらこれだけで結構な量になってしまったので、続きは顕れるテーマ編にて


それから「文体」の問題ではなく、しょうもないことといえばそうであるのだが、村上作品における少女の変化も、いささか距離を感じるようになった要因の一つでもあるかもしれない。村上作品には物語のキーとして少女がよく登場するし、『騎士団長殺し』もそうである。『ダンス・ダンス・ダンス』のユキや『ねじまき鳥クロニクル』の笠原メイは、『ノルウェイの森』のミドリを想起させる(ちなみにミドリのモデルは村上の妻であると一般に考えられている)、気の強い「ツンデレ」風であったのに対し、『1Q84』の「ふかえり」や『騎士団長殺し』の「まりえ」は「天然不思議ちゃん」系になっている(では直子なのかというと、ちょっと違う)。個人的には前者の方に圧倒的に魅力があるように思えてしまうのだが……なんてことをおっさんが言うとキモいと思われるかもしれないが、『ダンス・ダンス・ダンス』や『ねじまき鳥』を初めて読んだ時はまだ十代だったもので許して下さい。まあそれを言えば60代後半になった作家が……というのはあまり考えないようにしませう。僕もあと何十年かたつと、「やっぱり不思議ちゃんが最高や!」なんてことになってたりするのだろうか……



『あなたの人生の物語』、あるいはバーンとではなくしくしくと

この文章を読んでいるあなたがどこの誰だか知らないが、あなたの未来を予見できる。あなたは死ぬ。それがいつなのか、自ら決意し実行するのか、不意に訪れる事故によるものか、家族に囲まれ自宅のベットで安らかに眠るように老衰で息を引き取るのかはともかく、あなたは必ず死ぬ。そしてもちろん、僕も。

ハイデガーは死の先駆的決意性が云々というようなことを言ったが、要は人間というのは自分がいつか必ず死ぬというのを知っているということだ。動物は本能的に死を避けようとするし、それは死を恐れているということである。しかし動物は、(おそらくは)自らが必ず死ぬ存在であるとは考えていない。不可避な死を意識する存在こそが人間なのである。

死ぬと決まっているのなら、なぜ生きねばならないのか。ハイデガーはむしろここに積極的な意味を見出そうとした。必ず死ぬという避けがたい事実を積極的に引き受け、その上で行動に移るということの気高さ。これが行動の是非ではなく、それが何であろうが行動すること自体に意義を見出すという倒錯したものに転化していきかねないことは簡単に予想できる。そしてその通り、彼はナチスにその可能性を見て、自らナチスを「指導」しようとさえ考えた。ナチス側からすれば、利用価値があると思えたから利用したまでで、ハイデガーとその思想を共有しようとなどとは思ってもみなかったことだろう。

ハイデガーはあまりにナイーヴであったが、無論このナイーヴさによってその過ちが相対化されるものではない。彼の内部に巣食っていた反ユダヤ主義をはじめとする保守反動家としての顔、誇大妄想的自民族中心主義こそがハイデガーをナチス支持に向かわせたというのは、近年「黒ノート」の研究の進展などによってますます動かし難いものとなっている。ハイデガーはナチスへコミットメントしたが、すぐに失望することになる。しかし彼は第二次世界大戦後もナチスへの加担について後悔や反省を述べることはなく、内面においてもそうすることはなかったとしていいだろう。

サルトルの政治的立場はハイデガーとは正反対のものであるが、その実存主義やアンガージュマンの思想などはハイデガーからの強い影響を受けてのものである。
人間は何か理由があって生まれてくるのではない。人類という種にとっては、一人の人間の生き死になどどうでもいいことだ。私が今ここにいるというのは、自ら望んだのでも神の意思によって導かれたものでもなく、ただ存在しているというだけに過ぎない。しかし人間は選ぶことができる。革命が歴史の必然なのだとしたら、わざわざ革命など起こそうとしなくとも起こるべくして起こるものであって、革命に身を投じるなど無意味ではないか。そのような冷笑に抗い、あえて革命に身を投じるという選択肢を人間は持っている。それをするのかしないのかを選ぶことはできる。

ハイデガーもサルトルも自殺をしなかったというのは、彼らからすればしごく当然のことであったとすべきだろう。


トラルファマドール星人は自らの死どころか、宇宙がどのように滅びるのかをも知っている。「われわれが吹きとばしてしまうんだ――空飛ぶ円盤の新しい燃料の実験をしているときに。トラルファマドール星人のテスト・パイロットが始動ボタンを押したとたん、全宇宙が消えてしまうんだ」。
しかし恐怖におびえたり、なんとかそれを阻止しようと空しい試みを行うことはない。なぜなら、「そういうものだ」から。

「彼は常にそれを押してきた、そして押しつづけるのだ。われわれは常に押させてきたし、押させつづけるのだ。時間はそのような構造になっているのだよ」トラルファマドール星人はそう説明する。
ビリーは途方にくれて、それでは「地球上の戦争をくいとめる考えも、バカだということになる」と訊くと、「もちろん」と返される。

「ただ見ないようにするだけだ。無視するのだ。楽しい瞬間をながめながら、われわれは永遠をついやす――ちょうど今日のこの動物園のように。これをすてきな瞬間だと思わないかね?」

母の自殺や捕虜として経験したドレスデン爆撃などの癒し難いトラウマ、そして鬱の靄を彷徨う中で、カート・ヴォネガットは『スローターハウス5』を書いた。「そういうものだ(so it goes)」というのは、冷笑家によるせせら笑いではなく、深く傷ついた人間が必死に搾り出したものである。

「『スローターハウス5』と『チャンピオンたちの朝食』は、もとは一つの本だったが、完全に二つに分かれてしまい、水と油のようにどうしても混じり合わない。そこで上澄みをすくったのが『スローターハウス5』で、あとに残ったのが『チャンピオンたちの朝食』だ」と、ヴォネガットは語っている。

このインタビューも引用されている『チャンピオンたちの朝食』の訳者あとがきに、有名なエピソードへの言及がある。この小説を読んだ12歳の少年から「ヴォネガットさん、どうか自殺しないでください」という手紙が送られてきて、ヴォネガットは「もうだいじょうぶだよ」と返事を書いた。浅倉久志はこれを「ちょっといい話」とし、ヴォネガットが「この小説を書くという自己療法で自殺の危機を克服」したとしている。

ヴォネガットもまた自殺をしなかった。しかし、彼の内部にこびりついた「危機」を克服できた結果なのではなかった。こちらに書いたように、実際にこの後に自殺未遂騒動を引き起こすことになるのであるが、そのことを知らずとも、結末に置かれたヴォネガットによる涙を流している自画像は、文字通りのカタルシスを得て危機を脱出したものだとは、初めて読んだときから僕には思えなかった。作中に現れたヴォネガットは、トルストイが農奴を解放したように、トマス・ジェファーソンが奴隷を解放したように、「これまでの作家歴をつうじてわたしにとても忠実に仕えてくれたすべての登場人物を、ここで自由にしてやろうと思う」と、登場人物を(キルゴア・トラウト以外には知らせずに)解き放つ。

ではヴォネガットはこれで筆を折ったのかといえば、そうではなかった。60年代に傑作を次々とものにしたヴォネガットだが、70年代以降はその輝きにやや陰りが生じたという印象は否めないであろう。T・S・エリオットは「空ろな人間たち」で、「バーンとではなくしくしくと」と書いたが、自殺もせず、筆も折らなかったヴォネガットはまさにそうだとしてもいいのかもしれない。『チャンピオンたちの朝食』の結末で涙を見せたヴォネガットは、しくしくとしたまま、その生涯を終えたとすることもできよう。

「心優しきニヒリスト」であるヴォネガットをSF作家とすることは、レイモンド・チャンドラーをミステリー作家とするのと同じくらい居心地が悪くも思える。二人とも、世に出るために、そして生活のためにジャンル小説を安手の雑誌に書きなぐった。もちろんそれぞれのジャンルに通じているのであるが、ではそのジャンルを偏愛しているのかといえば、そうとまでは思えない。ハワード・ホークスが『大いなる眠り』を映画化する際に、「ところで運転手を殺したのは誰なのか」と問い合わせると、チャンドラーは「知らない」と答えた。煙に巻いたのではなく、実際にどう注意深く読もうが運転手殺しの犯人は不明のままであり、意図的にそうしたというよりも、単にチャンドラーは関心がなかっただけだろう。『大いなる眠り』をミステリー小説として考えるとこれは大きな瑕疵である。しかしこの作品に限らず、チャンドラーのファンはそんなことを気にしないはずだ。チャンドラーにはフィリップ・マーロウを生み出し、行動させるためにミステリーという入れ物が必要であったが、大切なのは入れ物の中身であって容器ではなかった。

ヴォネガットの作品には異星人が登場し、「時震」が起こり、近未来ディストピアが描かれる。しかしヴォネガットは、最新のテクノロジーが人間や社会をいかに変革するか、想像を絶するファーストコンタクトの際にいったい人間の精神に何が起こるのか、心はずませるような画期的なガジェットを生み出すといったようなことに、中心的な関心があったとは思えない。チャンドラーがミステリーという入れ物を必要としたように、ヴォネガットもSFという入れ物が必要だった。

『スローターハウス5』の訳者あとがきで伊藤典夫はこう書いている。
「時間的経過にのっとった物語形式をわざと分断させた(読みづらくはないけれども)奇妙な構成、事実とファンタジイの渾融、空飛ぶ円盤、時間旅行といったSF的趣味、ほとんど無性格に描かれた登場人物たち――しかしヴォネガットには、このようなかたちでしか自分の体験を語る方法はなかったのだ」。
そしてこれは『スローターハウス5』に限らず、ヴォネガット作品全体にもあてはまることだろう。


なぜこんなことを書いているのかというと、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読んだからである。

チャンは寡作として知られ、本職を持ち、カネのために書き飛ばすということをしない作家である。この本は発売時までに発表されたすべての作品が収録されているそうだが、あたかもベスト盤であるかのように、どれも質が高く、傑作、秀作ぞろいになっている。

内容も多岐に渡っていて、狭義の意味のSF(サイエンス・フィクション)からはみ出るものもある。山岸真の解説によれば、チャンへの「インタビュウで決まって話題になるのが、SFとファンタジイの違いについてである」そうだ。例えば「地獄とは神の不在なり」は、「天使降臨などのキリスト教的世界観が自然環境の一部として具現化していること以外は、われわれの世界と変わらない世界」が描かれている。そして「主人公が科学的視点をもってはいても、この作品舞台はファンタジイ的世界だというのが作者自身の見かた」である。

『スローターハウス5』の解説で伊藤は『タイタンの妖女』が「荒唐無稽な宇宙ファンタジイ」と受け取られたため(「まさにそのとおりなのだ!」)、発表当時は広汎な読者を獲得できなかったとしている。SF作家でありつつ「ファンタジイ」を恐れないチャンがヴォネガットに関心を抱くのも当然であろう。

チャンは巻末に収録されている「作品覚え書き」で各作品の成立過程や捕捉説明などを行っている。表題作「あなたの人生の物語」は、「物理学の変分原理に対する興味」があったがどうしていいかわからなかったところに、「乳ガンと闘う妻を題材にしたポール・リンケの一人芝居、<生きている君といると時が経つのを忘れる>」を見て作品化できると感じたのだという。そして「この話のテーマをもっとも端的にまとめたもの」として、『スローターハウス5』の25周年記念版でのヴォネガットの自序から引用を行っている。ここで、スティーヴン・ホーキングが「われわれが未来を思い出すことができないのをじれったく思っている」のに対し、ヴォネガットはこう言ってやりたいとしている。「しんぼうしていたまえ。諸君の未来は、諸君が何者であろうと、諸君のことをよく知り、愛してくれる飼い犬のように、諸君のもとにやってきて、足下に寝そべるだろう」。


『スローターハウス5』からもインスピレーションを得ている「あなたの人生の物語」を読むと、ヴォネガットとチャンの二人の作家の資質の違いがはっきり見えてくることになる。

言語学者のルイーズは、地球にやって来た「ヘプタポッド(七本脚)」のエイリアンの言語の解析にあたっている。これと平行して、ルイーズは自分の娘へと語りかけ、そして自分たちの未来の出来事が描かれる。過去を回想しているのでもなく、ヘプタポッドとの接触によって未来を予見できるようになるという意識の変革が起こりフラッシュフォワードとして現れるのでもなく、まさに平行しており、これがヘプタポッドの言語構造とも関係していることが明らかとなっていく。

言語学チームが着実に作業を進捗させているのに対し、科学チームはこれという反応を引き出すことができなかったが、ついに応答を得ることができたのが、フェルマーの「最小時間の原理」についてであった。光線が空気中から水中に入るとあのように屈折するのはなぜなのか。「仮定の経路はどれも、現実の経路より長い時間を要する。言いかえれば、光線がとるルートはつねに可能な最速のものになるということだ」。

ゲーリーはこれは「誤解を招くもとになる」として、こう補足する。「フェルマーの最小時間の原理ってのは不完全なんだ。(……)光はつねに所要時間が最小になるか最大になるかのどちらかの経路、つまり“極値の”経路をたどると言うほうが正確だね。最小と最大はある種の数学的属性を共有するから、ひとつの式で両方の状態を記述することもできる。だから、厳密に言えば、フェルマーの原理は最小の原理じゃない。いまはそれに代わって、“変分”原理として知られているんだ」。

現実に眼の前で起こっているこの現象であるが、頭で考えると妙なものだ。
「“最速の経路”なる概念は、目的地が特定されねなくては意味をなさない。また、所与の経路がどれだけの時間を要するのかを計算するには、その経路の途中になにがあるか、たとえば水面があるかといった情報も必要となる」。
つまり、「光はそもそもの始まりの時点で、すべてを計算していなくてはならない」のである。

「光線は動き始める方向を選べるようになるまえに、最終的に到達する地点を知っていなくてはならない」、ルイーズはこう説明され、「思いあたるふしがある」と考えた。

「物理学の基本法則は時間対称的であり、過去と未来に物理的差異はない」というのは、理論的には「イエス」と答えられたとしても、自由意志を考えれば現実に則するとたいていが「ノー」と答えるだろう。「ボルヘス風の寓話」で異論を展開する。しかし、ヘクタポッドにとってはそうではないのかもしれない。そしてヘクタポッドの言語構造から、その世界観が浮かび上がってくることになる。


『スローターハウス5』を、そしてヴォネガット作品を読む度に僕は憂鬱になってくるし、そうであるから読み返すのを躊躇したくなる。そしてだからこそ、僕はヴォネガットがたまらなく好きでなのである。

僕はヴォネガットのような体験をしたわけではないが、この世界に生きていることは、「そういうものだ」とでもしなければやり過ごせないほど苦しいものだとも感じてしまう。
フィリップ・マーロウは自分がどう振る舞おうとも、彼はロサンゼルスという腐敗した街が清潔になるとは信じていない。それでもマーロウは、自分がなすべきことをなす。これは自分の行動に象徴的な意味を見出しているのではなく、自分という人間の有り方の問題なのだ。

「そういうものだ」と肩をすくめてなんとかやり過ごそうとする人間は、愛を信じることはできないかもしれない。でも、ヴォネガットは「愛は負けても親切は勝つ」と言う。母の自殺がなかった世界、ドレスデン爆撃がなかった世界はもう存在しない。こういった悲劇が生み出された世界を変えることはもうできない。それでも、この世界を愛することはできなくても、親切にすることならできるし、それは世界を少しはマシなものにしていくはずだ。

ハイデガー流の「決断」もできず(もちろんすべきでもないが)、革命に身を投じるというよりはぬるいとも映る漸進的社民主義者であり、自殺もできないような人間は、「しくしく」と生きて、死んでいくことしかできないのかもしれない。だから僕はヴォネガットの作品を読むと絶望的になってくるし、それでも「親切は勝つ」と言うヴォネガットと彼の作品が愛おしくなる。

「あなたの人生の物語」を読んで、素直に「感動」できる人もいることだろう。またボルヘスに言及があるように、その円環構造はよく練られた、ウェルメイドな作品となっている。涙を誘うような「感動的」物語でありながら、それは「しくしく」としたパセティックなものであるというよりも、「理」が勝っているという印象が強い。チャンは「ファンタジイ」をおそれないSF作家であるが、やはり彼はどこまでもSF作家なのであろう。「あなたの人生の物語」はセンス・オブ・ワンダーに貫かれたもので、カール・セーガンの『コンタクト』がそうであるように、SF的意識を貫徹したものでありつつ、それはヒューマンな要素と矛盾するものではない。

「あなたの人生の物語」は素晴らしい作品であり、もちろんこれは優劣の問題ではないが、「しくしく」とした、破綻すれすれというか、反則といっていような物語を紡ぐヴォネガットのような作家こそが、僕にとっては改めて近しく思えてくる。


今さらながらにようやく『あなたの人生の物語』を読んだのは、本作が邦題『メッセージ』として映画化されたからだ。ジョージ・ロイ・ヒルによる映画『スローターハウス5』も好きではあるが、やはり映像化というのを考えるとこのようなウェルメイドな作品の方が相性がいいのだろう。前評判は非常にいいこの映画化は如何に。ドゥニ・ヴィルヌーブ監督って『ボーダーライン』なんかもそうだったけれど、個人的には前半はものすごく面白いのに、後半はもう一捻りあればなあといままに肩透かし感もあるように思えてしまい、『灼熱の魂』がやっぱり一番なようにも感じられてしまうのだけれど、今回は個人的趣味に合致してくれるのだろうか。そして『ブレードランナー』の続編も……


『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』

ジェイ・ルービン著 『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』




ジェイ・ルービンが日本文学と出会ったのは1961年のことだった。シカゴ大学2年生だったルービンは、夏目漱石の『こころ』の翻訳でも知られるエドウィン・マクラレンの「日本文学入門」というクラスを取った。日本語を学んだことのない学生が対象の授業でテキストはすべて英訳だったが、これをきっかけに日本語を学び始める。
夏休みには小さなトラックでアイスクリームを売り歩くアルバイトをしたのだが、バナナスプリット用に大量のバナナがあったことが「日本語の勉強の役に立った」。その皮にボールペンで漢字を書いてみると「何とも言えないスムーズな手ごたえですらすら書け、すぐ覚えられたのだ。これは読者の皆さんにお勧めしたいと思う」。
雇い主が漢字だらけのバナナの皮を不審に思い、「あれは何だ」と聞かれたので、「中国産のバナナです」とごまかすと「あ、そうか」と「気にせずに帰っていった」。

と、このように基本的には軽いタッチで書かれたものが中心となっている。扱われている話題は村上春樹とその作品、翻訳について、彼との個人的交遊などが中心になっているが、その他にも日本文学関係の話題から自伝的、身辺雑記的エッセイまでと幅広い。


もともとは夏目漱石をはじめとする明治の日本文学の研究をしていたため、現代日本文学には関心を持っていなかった。村上の作品を初めて読んだのも、すでに『羊をめぐる冒険』の英訳が少し話題になっていたことから、ヴィンテージ社から『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出版に値するかどうかを判断してほしいと依頼されたためだった。いざ読んでみるとたちまち魅了され自分が翻訳したいと申し出るが、ヴィンテージ社は出版しないことを決定した。

ルービンは村上作品を読んだ時、「わざわざ私のために書かれたかのようだった」と思ったという。僕自身も、十代半ばで初めて『風の歌を聴け』を読んだ時に同じような気分になったものだったが、村上より年上のルービンにも、そして親子ほども年の離れた(というか村上と僕の母は同年齢である)僕のような世代にもこのように思わせてしまうことこそが村上が広く読まれる理由であろうが、ルービンはこれを「密輸入」に例えている。

「フレッシュで、微笑ましくて、結局説明を許さないイメージは直接に村上さんの頭脳から一人ひとりの読者の頭脳へ伝わる。ある密輸入者のように、村上春樹は当局の監視を避けて、国境を通り抜けて、関税を支払わないで、自分の心から直接に世界中の読者の心へ貴重な品物を届ける。その、当局を避けている気持ちは非常にスリリングでプライベートのように感じられるので、世界中の読者は、村上春樹という作家が自分のために書いていてくれている、自分の心の中にあるものを理解してくれていると思うようになり、膨大な数で、村上ファンになるのではないだろうか」。

ヴィンテージ社からは出版を却下されたものの、ルービンは村上の住所を調べ、いくつかの短篇の英訳の許可を直接得ることにした。エージェントから提案を歓迎するという返事があったので、「パン屋再襲撃」と「像の消滅」の訳を送った。数週間後、電話が鳴ったので出てみると、「今まで聞いたこともない、まか不思議な、鶏を絞め殺すような音がずっと聞こえて」きた。ガチャリと切ったのであるが、また電話がかかってくる。恐る恐る受話器を取ると、「こちらは村上春樹ですが」と日本語が聞こえてきた。村上はルービンの英訳を『プレイボーイ』誌に載せたいと電話してきたのであった。

後に判明するが、「鶏を絞め殺すような音」の正体は村上がファックスを送ろうとしていたのだった。村上は「とてもシャイだったようで、知らない人とはなるべく直接電話で話したくなかった」のであるが、ルービンが「技術的に後進的」だったために電話せざるをえなかった。連絡を取ると、当時村上はプリンストン大学滞在中で、ルービンのいたハーバードのあるボストンとは車で4時間ほどの距離だった。こうして作家と翻訳家として、そして友人としての長い付き合いが始まる。


欲をいえば、日英、英日をはじめとする翻訳に関心がある人のために、翻訳に焦点をあてた文章がもっと読みたかったのだが(これだけで一冊編んでもそれなりに需要はあるのではないだろうか)、それでもいくつか技術的なことにも触れられている。

日本語では名詞の単数と複数を区別しなくてもいいが、日本語を英語に訳そうとするとこれがやっかいなことにもなる。『1Q84』で、青豆は月が二つあるのに気づくのであるが、他人に尋ねて頭がおかしいとは思われたくもない。そこで電話での会話で探りを入れるという場面がある。この会話は「言葉の単数、複数の曖昧さによって成り立つ」。日本語なら単数でも複数でも「月」ですむのであるが、英語ではこれを区別しなくてはならない。話し相手のタマルが「moons」を使えば彼が月が二つあるのを見たことが青豆にわかるため、タマルが見ている月が一つなのか二つなのかはぼかされねばならない。ここをどう処理したのかというと、「moon-viewing」と「月見」に変えたり、代名詞を使うことで「moon」を省略するなどして対応した。

またこの場面でも顕著な、「内的と外的独白の区別と、一人称と三人称の語りの区別は、日本語では非常に曖昧」であり、これをどう処理するのかというのも英訳にあたって難問となったのだが、ルービンはこういった日本語小説の特徴を謡曲の伝統という視点からも分析している。このあたりは日本語を母語にしているとかえって見えてこないのかもしれない。

翻訳は究極の精読といってもいいだろうが、『ねじまき鳥クロニクル』を訳した際(ちなみにここでも英語では「クロニクル」を単数にするか複数にするかという問題が生じた)には、疑問点を直接村上に会って解決しようとして、こんなやりとりがあったそうだ。

「『ねじまき鳥クロニクル』は水のイメージが大事だが、第1部3章で主人公の岡田亨のネクタイのパターンが「水玉のネクタイ」と形容されているところは、作家がわざと水玉の水を強調しているなら、「水玉の」の普通の英訳の「polka-dot」には水のイメージが現れないので「polka-dot」の代わりに「water-drop-pattern」として翻訳した方が村上さんはいいと思いますか」。

他にも第2部で出てきた「塀」は「wall」とすべきか「fence」か。第2部7章で登場するフォークシンガーはここでは「茶色のプラスティックの縁の眼鏡をかけていた」が、17章では「黒いプラスティックの縁の眼鏡」になっているがわざと色を変えたのか、等々といった疑問が出てくる(村上がどう答えたかは本書をお読み下さい)。
さすがに丸一日かけて延々とこういった質問攻めに合うのには村上もげんなりしてしまったようで、ルービンも一度にまとめてやるのはこれを最後にしたそうだ。

村上は自身でも翻訳を行っていることから、訳に対する注文は厳しいのだろうと覚悟していたが、英訳についての村上の反応は意外なものだった。「その時期村上さんが自分の小説の翻訳を評価する方法は、両方のテキストを綿密に読み比べるのではなく、ただ、英文を読んで、英文の小説として面白いかどうかを判断することだけだった」。
フランス語小説を翻訳している友人が原著者と激しく議論しているのを見ていたので、「面白かった」とだけ簡単な返事をされることには「いささか不満」もあったが、これは村上自身も翻訳を行っているからこそ訳者の主体性を大事にしたということもあったのかもしれない。

唯一の例外が『ノルウェイの森』で、これは西洋でもベストセラーになるかもしれないということで、村上は訳を細かくチェックした。すると「かわってあげたかった」とあるのを「わかってあげたかった」と読み違えて訳している箇所を発見する。「「かわってあげたかった」というところを漢字を使わずに書いたばかりに私の目が「わかってあげたかった」と読み違えたのだと、村上さんはあたかも間違いが自分のせいだったかのように謝ってくださった」。

もっとも作家と翻訳家が常にこうした幸福な関係になるのかといえばそうともいかず、ルービンは野坂昭如との間にあった不幸な行き違いにも触れている(これも野坂らしいといえばらしいエピソードになっている)。


またアメリカでの村上人気の高さを表すエピソードもあるが、そのうちの一つがMITで2005年に行われた講演だ。これまでも錚々たる顔ぶれの作家たちが講演を行っていたが、500人収容のホールが満席になることはなかった。ところがこの日は人が殺到し、通路にも人を入れたがそれでも入りきらず、おまけに大学の消防署が火災法によって席についている人以外は退室を求めたために、一度はなんとか中に入りながら涙ながらに会場をあとにした人もいたという。
そして「村上さんは世界の実体を見せてくれます。しかも私たちが見たことのない世界の実体ではなく、私たちがそれとは知らずに日々見ている世界を見せてくれるのです」と村上を紹介したのは若き日のジュノ・ディアスだった。今となっては紹介役を務めるだけでなく対談でもしてくれていればと思ってしまう。

この頃の映像





村上関連以外では、『風俗壊乱』として出版される検閲の研究にちなんだ発表をもとにしたものも収録されている。これは82年に行われたもので、83年に『諸君』に掲載された。本書にもあるようにルービンは江藤淳のもとで漱石研究を行っていたので、江藤らがしきりと書き立てていた占領軍の検閲について引っ張り出されたのだろう。本書収録のものは手を加えたものなので『諸君』にどのような形で載ったのかはわからないが、ルービンは占領軍による検閲を批判的に検証しつつ、「とにかく、検閲というのは短ければ短いほどいい。6年半の占領検閲は77年の帝国検閲ほど日本の心的生活に害を与えたとはどうしても思えない」と結んでいる。

『風俗壊乱』でルービンは日本(社会)が大日本帝国下における検閲と正面から対峙しなかったことを厳しく評価しているし、ここでもやはり占領軍に対し、実務にあたっていた日本人のブリーファーが拡大解釈し、むしろ積極的に検閲の範囲を広めようとしていたことも取り上げている。
現在、江藤のような「保守」がいた時代はまだよかったと考えるか、当時から日本の「保守」とはこのようなものだったと考えるかはいろいろであろうが、個人的には後者の意見である。占領軍が検閲を行っていたのは周知の事実であるし、それは様々な角度から批判的に検証されてしかるべきものだ。しかしだからといって大日本帝国下での検閲が相対化されるはずもないのだが、これを意図的に混淆させミスリードさせるのが狙いであるのは明らかである。そしてそれは「GHQによる洗脳」云々という極右陰謀論へと「結実」していくのであるから、現在の惨状の種をせっせと播いていたのは江藤らの世代の「保守」だったとすべきだろう。
ルービンの発表は『諸君』としては当てが外れたという感じだったのかは知らないが、日本政府(というか自民党)の政策を批判する日本人を売国奴と罵りながら、自国政府の日本への政策を批判する外国人はやたらと有難がるというしょうもなさというのも、この頃にはすでにあったとすべきか。

そういえば、60年安保の敗北もあって保守化しつつあった江藤は60年代後半をプリンストンで過ごし、保守化を通り越して右翼化してしまうことになる。村上はそのプリンストンでの授業で江藤の『成熟と喪失』を使っていたこともあって、90年代半ばの村上もこうなるのではないかという危惧を持った人もいたが、村上は「日本人」としての責任意識に目覚めながらも江藤のような道は取らず、むしろそれを批判する方を選んだ。このあたりは「アメリカ」に対し直感的にどのような感情を抱くかといった世代的な差異もあるのだろうが、村上について考えるうえで重要なポイントでもあろう。


ルービンの初の小説である『日々の光』の成立過程についても語られている。日系人強制収容を扱ったこの小説は、日本人を妻に持つアメリカ人としても他人事ではない歴史であろうが、何よりもルービンはアメリカ人として、アメリカ合衆国がその憲法の精神にそむいてこのようなことを行ったのに憤っている。

レーガンは政府として公式の謝罪と補償を行い、さらには5000万ドルの教育基金も設立された。結局この教育基金はどんどん減額され500万ドルにまでなってしまうように、アメリカ全体がこの謝罪や教育事業に真摯に取り組んだとまではいえないが、それでもその一部は「シアトルにおける、強制収容所の歴史資料を永久保存するホームページ「伝承」が発足するための基金」として使われるなど、確かな実績も残している。「和解」とは忘却によってもたらされるのではない。記憶するという責任をはたしてこそ、初めて困難なその一歩が踏み出されるのであり、まさに日本人こそが学ぶべき過程であったはずだ。

ルービンは70年代にシアトルのワシントン大学で教鞭をとるためにここに越した。子どもたちが通った学校は、ボーイング社に勤めるエンジニアの子など白人が中心であったが、長男の源の担任になったのは若い黒人女性だった。ある日源が弁当におにぎりをもっていくと、「お前の弁当臭いじゃないか」、「おい、なんだ、その黒い紙は」、「おーい、源は紙を食べているぞ」と囃し立てられた。するとこの担任は、「私スウシイー大好き、少しちょうだい」と手を伸ばし、「源、あなたはすごくラッキーだわ。こんな美味しいものを毎日食べられて」と言った。すると囃し立てていた子どもたちまで恐る恐る試食をし、その結果「妻は余分におにぎりを作るのが毎朝の日課になった」。このあたりの経験は『日々の光』にも活かされている。

同じ頃、ピアノレッスンを始めた源はその才能を評価され、「ワシントン州では1,2との評判のピアノ教師」に紹介される。このピアノ教師はシアトル生まれの日系二世のミセス・宮本で、「ワシントン大学の社会学教授だったミスター・宮本は4年前に100歳でお亡くなりになったが、源のピアノの先生であったミセス・宮本は今年100歳のお誕生日を迎えられ、健在である」とのこと。

その源が今何をしているのかというと、メアリー・J・ブライジ、アレサ・フランクリン、日本のゴスペラーズや福原美穂、韓国の少女時代などに楽曲提供を行っており、パウリナ・ルビオに書いた「Don't Say Goodbye」はチャートの上位にも入いったそうである。


プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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